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執着を捨てすぎて自殺意欲が促進

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有り難し有り難し 31

こちらで色々アドバイスを頂き執着を捨てる事にしました。

心はあまり楽にならないですが続けています。
いろんな事を諦めるたびに人生生まれつき決まってるんだなと確信したと同時に、殆ど諦める人生に何の意味があるんだと思いました。

それから殆ど生きる意味が皆無だという事を科学的に物理学、生物学の知見から考え自殺意欲が促進するようになりました。

深淵な仏教徒以上にこの世界の虚無性を理解してる私ですが、皆さんはこのような状況になったらどうしますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

“誰かとのあいだ”。

では、こういうのはいかがでしょうか。

『諦めて生きていても意味がないから
生きることをやめる。』

そう仰っていますが
それは生きることに意味が有るのを期待しているということではありませんか。

捨てるどころか
『意味が有ること』にますます執着しているのではないでしょうか。

べつに揚げ足取りで言っているのではなく
この違いを指摘することはとても重要で、
「期待に応えないなら消してしまえ」は
実は期待と執着にどっぷり浸かっていることに過ぎないとして
既にお釈迦さまの時代に「それは正しくない」として退けられているんです。

物理学的、生物学的に言えばですよ。
人間はとても社会的な動物だということが分かっていますね。

なぜ他の為に自分の命を犠牲にする人がいる一方で
自分の利益のために他人を犠牲にする人がいるのか。

この違いは何なのか。
人間は環境によって考え方が左右されるということです。
もしあなたと誰かのあいだに信頼と協力があるならば
その人のために何かしたいと思う。

狩猟時代の昔、我々を取り巻いていたのは
とても危険と恐怖に満ちた世界であったはずです。
天候、資源不足、猛獣、あらゆるものが恐怖であった時代、
私たちを導いてくれたのは“社会性”だったのでしょう。
コミュ力がどうのという話ではありません。
すなわち「信頼」と「協力」で、それが私たちの生きる重要な意味を持つようになったということです。
これは人類学、生物学的な知見が言っていることですよ。

私たち人間は、「自分のために生きる」ことよりも
「誰かのために生きること」に深い意味を見出す生き物なのだということだと思います。

仏教が“利他”をすすめる理由はそこだと思います。
人格形成にいいからとかではなくて
人間が生きることに深い意味を見出せるのは
自分の中ではなく、“誰かとのあいだ”にしかない、と言いたいからだと。

私はそのように考えています。

savantさんは生きることが無意味だとおっしゃりながらも、今回こうして投稿されています。

たとえSavantさんにとっては無意味なことだとしても
私にとっては、そしてきっと他の誰かにとっては
文字通り、深い意味を持ったご投稿だったのだと思いますよ。

多くの人にとって、きっと意味があったんですよ。

                南無釈迦牟尼仏 合掌

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質問者からのお礼

いつも利用させていただき哲学者のようになっております、今回も回答ありがとうございます。

"過去の自分は生きる事に期待していた"が正しいですね。今は殆ど(ちょっとしか)期待しておりません、死ねないのは精神科の薬の作用と恐怖感ですね(その恐怖心も不幸がある事にかなり和らいであります。)
執着が今までは100のうち90ありましたが2くらいしかありません、そして自殺者の大半は警察の記事を読むと死ぬ数分前まで生きるのに期待してた人が大半でネットで来月から使う予定のコンタクトレンズを購入してそのまま自殺した人もいたそうです。

意味があって欲しかったのですが殆ど意味がない事と確信に近づきました。いえ意味があったのは生まれつき幸福な選ばれた人達だけです。
生まれつき虐待された人や生まれつき障害を抱えた私の弟、フィリピン人の同級生がいましたが彼の実家は死ぬほど貧困だったようで今もスモーキーマウンテンで苦しんでる人が沢山いるようです、彼らの生きる苦しみや意味を私は90%ぐらい感受してしまいます。今も苦しんで生きてる人達が沢山いると思うと益々嫌になります、なんて世界なんでしょう。

こう思うからこそ、この世界に期待していたのかもしれません、この世界がもっと良くなって欲しかったから、もっと幸福な世界や良い事があるという期待をしていたから生きていたんでしょう。

私が明日を生きていたのは期待してたのでしょう。
私が勉強したのは期待してたのでしょう。
私が友達や異性と話してたのは期待してたのでしょう。

しかし今の私は全てを無に返そうと思います。ほとんどが無意味であり、科学や哲学を学ぶ程に更に生きる意味なんてないというのを強く確信するようになりました。

原始時代に過酷な環境だったというのは同意します、この世界自体が地獄のような世界なので原始人は苦労したのでしょう。
そこから遺伝子が伝達して今も他人に信頼(自分が死なない為の保険)という名の都合の良い関係を構築しています。だからこそホモ・サピエンスの有性生殖はここまで複雑になったし、この複雑性は利己性によるものです(ゲーム理論など)

また私は誰かに施して施して裏切られて苦しんだ過去があり人をほとんど信用していません。
他人に思いやりは持ちながらもほとんど他人に対して期待しておりません。裏切られたらああ人間って本当利己的だよなと思う具合によって。

さてそんな苦しい裏切りや苦しみが蓄積すると人なんて殆ど信用しなくなるし、信頼なんてしなくなります。

私は利己性も利他性もかなり消失しています。
自分を殺そうとしてますし、他人には期待しておりません。

利己的な人間と利他的な人間の違いは、脳にあるという研究が出ています。
サイコパスは先天的な脳が原因のものです。利他的な人はオキシトシンがよく分泌されるという結果出ています。
やはり環境ではなく生まれつき決まるという世界であり、こんな世界に何も期待できなくなります。

kaotic.comやliveleakというサイトを見てみてください、毎日のように人を殺してる人達が大量に大量にこの世界にはいます。
こんな世界に愛なんて信頼なんてあると思いません。もしあるとすれば私には何故ないのでしょうか。
私には微塵も愛や思いやりも今はありません。

やはり自殺しかないのでは、なんの意味もない世界なんだと執着を捨てないと怒りに変わってしまうのでお礼はここで終わります。

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