叱られるのが苦手、そんな自分が嫌いです
はじめまして。
私は自分のことが嫌いです。
叱られると、すぐに恐怖ですくんでしまう、そんな自分が嫌で嫌で仕方ないのです。
私は今まで生きてきて人間関係に困難さを感じておりました。
数年前までは、相手に原因があるのではないかと考えていた時期もあったのですが、悩んでいくうちに自分自身に原因があると判りました。
私は周りの方々よりも憶病なのです。
叱られるのがあまりにも苦手で、叱られると恐怖で身がすくんでしまい、どっと疲れがたまったり眠れなくなってしまうのです。
また叱られたらどうしようと、そればかり考え、心身ともに消耗してしまうのです。
相手の方も、危害を加えるつもりで叱ったのではありません。
記憶を掘り起こしてみると、叱ってもその後でフォローしてくれる方もちゃんといらっしゃいます。
でも、相手の方から向けられた好意を受け取ることができずに、叱られた事だけをネチネチと抱き続けて勝手に消耗するのです。
こんな自分にとことん嫌気がさします。
相手には悪意が無く、考えすぎる己が悪いと頭では分かっているのですが、無意識がそう判断してくれないのです。
そんな自分を直したいと思って、考え方を変える努力を何度もしました。
でも、自分の臆病さは根が深く、治ってくれません。
ふざけるな、と自分自身に対して怒りがわきます。
過去に何があったかよく覚えていませんが、過去のことに縛られて、相手に勝手にレッテルをはり、叱られるたびに勝手に怯えて動けなくなる、私自身に怒りが湧いて仕方なくなるのです。
私は、どうしたらよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
叱られてこわいのは当たり前
ロビンさん、はじめまして。質問を拝読しました。
ロビンさんは、叱られるとすぐに恐怖ですくんでしまうのですね。そして、叱られて恐怖にすくんでしまうような自分が嫌で嫌で仕方ないのですね。
私にも身に覚えがあって回答させてもらいました。
今でもそうですが、叱られたり、なじられたりするとものすごく怒りの感情が湧きます。後で考えたらたいしたことがないことであっても、怒りの感情が抑えきれません。内心では、叱られたり、なじられたりすることが私の中で「バカにされている」と変換をしているようです。だから怒りの感情が湧いてくるようです。
ロビンさんも、叱られたときに心の中で変換が起こっているのではないでしょうか。どのような変換なのかはロビンさんにしか分かりませんが、叱られたことに対して消耗してしまうことにつながっていることは確かだと思います。
ロビンさんの心の中で起こっている変換メカニズムが分かれば、叱られてすぐに恐怖を感じてしまっても、自分を嫌いにならなくて済むように思います。
ロビンさんの中で起こっていることに気づくことができるよう祈念しております。
質問者からのお礼
中村太釈様
ご回答ありがとうございます。
中村様に共感していただき、また経験談を教えていただけて、少し救われました。
ただ、やはり、誰しも「叱られるのが嫌だ」という感情は持っていても、私は特に酷いような気がするのです。
私の心の中の変換についても、しばし考えてみました。
無意識の部分が大きいため、なかなか難しいのですが、私にもやはり怒りに囚われるがあるように思います。
それと、大きな要因がもう一つございます。
叱られてすぐ、何に変換されるかと申しますと、やはり「危害を加えられるのではないか」、という恐怖が大きいように思います。
正直に告白してしまいますが、私は昔、いじめにあっていたことがあり、日常的に暴力を振るわれたり、尊厳を踏みにじられたりしていた時期がありました。
いじめにあっていたこと、その時期がつらかったことを覚えているだけで、記憶自体はぼんやりとしたものになっているため、断定はできないのですが、その頃のことが尾を引いており、今でも「危害を加えられるんじゃないか」と無意識の部分でビビっている可能性は否定できません。
当時のいじめっ子たちを今更恨んでみても…という想いもございますし、なんとか自分を変えたいのですが…なかなか難しいですね…。
ただ、御礼を描きながら考えてみたことで、いじめの後遺症なら仕方のない部分もあるかと少し気が楽になりました。
あらためて感謝をさせてください。ありがとうございます。