自宅での餓鬼供養
餓鬼供養についての相談をさせてください。
餓鬼や無縁仏が少しでも、浄土に近づける様に、週に一・二度、般若心経・甘露門・舎利礼文を読み、お米とお水を供えているのですが、自宅で餓鬼供養をしても大丈夫なのでしょうか?
来年度、自衛隊入隊予定 菩提が曹洞宗
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「餓鬼」とは、なんでも欲しがる、がつがつした心をいいます。
私たち人間は、みな不平不満だらけの餓鬼の心をもっています。また私たちは、肉や魚や野菜など、生き物のいのちを、かってにうばって食べています。
そうした餓鬼の心を反省し、すべての物のいのちを尊び、うやまう心や、施しの心を新たにするのが施餓鬼供養の大事なところです。
餓鬼供養をするとは、ただお供え物をしてお経を読む事ではなく、あなた自身の心を調える事なのです。それをきちんと肝に銘じましょう。
お盆に飾る精霊棚(盆飾り)には施餓鬼供養の意味もあります。どこのご家庭でも行われているものだと思います。また年に一度(お盆のお経などの時に)は菩提寺のお坊さんに頼んで施餓鬼供養のお経を読んでもらったり、お寺の施餓鬼法要に参加するようにしましょう。
できれば施餓鬼作法に則る方が良い
質問を拝読しました。
餓鬼や無縁仏が少しでも、浄土に近づける様にと供養されることは重要です。
しかし、安易に施餓鬼供養をされるのはおすすめできません。
施餓鬼供養には作法があり、きちんと供養しなくては逆効果になることがあります。
私たち真言僧侶は修行期間中に必ずしも毎日夕刻に施餓鬼作法を行います。供養の意味もありますが、自分たちが餓鬼の魔に侵されないためでもあります。
餓鬼仏は非常に魔が強く、適当に施餓鬼作法を修すれば魔に取り込まれてしまいます。なので修行期間中は特に心してかかれと言われます。
できれば施餓鬼作法を修する方にお願いした方が良いように思います。
お寺で営むことをお勧めします。
施餓鬼供養は、とても大切な、しかも尊き浄行の一つです。
単に行事として行っているのではなく、それだけの意味(効果)があるものです。
重要なことは、施すことの大切さが含まれています。目連尊者のお話がありますが、(ここでは省きます)多くの僧侶が集いて施餓鬼法要を営み意味があります。
ご自分で行うよりは、やはりお寺でご供養されることをお勧めします。真剣であればあるほど、見えない存在(救われたい存在)が集うでしょう。ゆえに、施餓鬼されど施餓鬼供養なのです。
質問者からのお礼
ご教授ありがとうござます。機会がありましたら、施餓鬼法要に参加します
南無釈迦牟尼仏。
鈴木海祥様、返信ありがとうございます。
中村太釈様。
ありがとうございます