母の死
母が急死して2ヶ月ちょっと経ちます。
倒れてから意識なく2日でなくなりました。
毎晩泣いて、
最近やっと泣くことが少なくなってきました。
涙が出なくなったけど日に日に孤独、虚しさが増しています。
生きる意味、生き甲斐、生きる楽しさがなく早く死んでしまいたいと思う毎日です。
寝ている間にとか、事故にあって死んでしまいたいとさえ考える毎日です。
2世帯で弟家族が上の階に住んでいますが、なんの会話もありません。
この家で私はお荷物、この家にいることが迷惑なのではと、
家にいても怖くて、怯えて、遠慮してそんな思いが日に日に増しています。
お母さんに会いたい、
お母さんのところにいきたい。
苦しくて苦しくて、
早くこの苦しみから逃れたい、
どうしたらこの様な思いをなくすことができるのでしょうか?
アドバイスお願いします。
乱文にて失礼します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命には終わりがあり、大切な方との別れも避けられません
以前、他の方の質問に下記のような回答を致しました。
人在世間愛欲之中 (人、世間の愛欲の中にありて)
独生独死独去独来 (独り生じ独り死し、独り去り独り来りて)
當行至趣苦楽之地 (行に当たり 苦楽の地に至り趣く)
身自當之無有代者 (み 自らこれをうけるに 代わる者あることなし)
これは無量寿経という経典に有る言葉です。私の宗派ではこの経を読むことはまずありませんが、或る時本を読んでこの言葉に出会い、かなり強烈なインパクトを受けました。かなり厳しい言葉ではありますが真理を衝いているなあと思います。
愛する伴侶、愛する家族が居ても、生まれる時から死ぬまで一緒ということは不可能です。信頼しお互いに認め合っている友人が居たとしても、「常に一緒、生涯一緒」という訳には参りません。家族と言えども、期間限定。友人と言えども期間限定。そう理解すべきだと思います。
http://hasunoha.jp/questions/677
この世の生きとし生けるものは、この世に生を受けて後、必ず終焉の時を迎えます。その命ありし時も、四苦八苦とういろいろな悩み苦しみを苦と思うから、嫌っちゃうのでしょう。嫌なことだけで、生きている限り必ずついてまわることー当たり前ーと受け留めるしかないのです。
我々には両親が居て、祖父母が居て、曾祖父母が居て、玄祖父母が居て、更にそれ以前の御先祖が居られます。歴史を振り返れば、戦乱の時代がありました。災害・伝染病・飢饉の時もありました。生命を誕生させ、生命を育み、生命を維持していくことは、難しいことでした。そういう状況の中で我々の先祖は必死に生き抜いて我々に命のバトンを伝えてくれました。
必死になって生き、必死のなって、生命を伝えてきてくれたからこそ、我々は今ここに生きています。生物学の研究で、多くの生命体や種族がのこの地球上に誕生した一方で、絶滅した生命体も少なくありません。今生きていることの重みを感じれば、この命を疎かには出来ません。
お母様も82年間一生懸命生きてこられたと思います。お母様は「自分の死を悲しんでくれること」に感謝していると思います。今後も、お墓や仏壇で心込めてお参りしてあげて下さい。同時に、「産んで育ててくれた命を大事にします。」というメッセージを送ってあげて下さい。
質問者からのお礼
吉田俊英様
回答ありがとうございました。
無量寿経 とても重みのあるお言葉でした。
お言葉のように生を受けてなくなるまで、お言葉のとおりだと思います。
まだ涙する時も多々ありますが、
少しずつ少しずつ前をむき、
仏壇に向かって語り過ごしていこうと思っております。
お言葉、ありがとうございました。