自分に甘く他人に厳しいのを変えたいです
自分より容姿や学力、性格等人間的に優れた人に激しく嫉妬します。
そして自分にはとことん甘く、環境や他人のせいにして自分は悪くないと被害者ぶっています。
例えば、かなり卑屈で陰湿な性格なため、人と話す時にも機嫌が悪そうにする、私はかわいそうなのアピールをする、暴飲暴食をする、遅刻したって、だって気持ちが落ち込んでるんだからしょうがない、謝ればいいやと思っています。
逆に自分より何かしら劣っていると思っている人には心の中で見下しています。
不細工、馬鹿、センス悪い、性格悪い等、醜い言葉だらけです。
他人にはよく思われたいけれど、誰かと仲良くするのは面倒、でも1人は寂しい。
初対面の外面だけはいいのですが、だんだんと自分のボロがでてきたり、うまく立ち回れなかったりしたら、すぐにフェードアウトします。
リセット癖があり、仕事も逃げました。
ずっと他力本願で言い訳ばかりで、人の悪口ばかりで、自分勝手で、こんな醜い心と考え方を直したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
賞味期限の感情を食べない習慣を
嫉妬は多様ですね。
人は必ずしも誰しもに備わっているものです。それが少し癖となり、ついつい心の中で暴れているんですね。
本文を読ませていただきましたら、ご自身の分析をしっかりされ把握されておられるとお察しします。
そこまで自己分析をできていれば、結構簡単に理性のコントロールができると思います。
人間には五感(眼・耳・鼻・舌・身)が備わっています。この五感を清らかにしていくことで、嫉妬の感情は徐々に消え去っていきます。
もうすでに変わりたいと思っている人は、すでに心が良い方向に完治へと向かっているものです。
さぎすんでいる自身の感情が嫌いなら、あとは嫌いな自身と"さよらな"するだけです。
生き方は顔にでるものです。相手は何も言わずとも、見抜かれていることもしばしばです。
いつからでも、何回でも、何度失敗しようとも、変わりたいと思っている心を持つことに「仏心」に火が点火され、やさしい人へと気付けば変貌を遂げています。
私たちは生まれてくる時代や環境や親は選べずとしてこの世に生を出します。人には人の人生観があり、他人の普通も皆異なります。人は十人十色であり、私たちが心配しなくとも皆生きていくのです。付き合いしたくない人とは、しなくていいのです。
どんどん良くなります。
質問者からのお礼
回答いただき、ありがとうございます。
できない、できないと言っているだけではなく、一歩踏み出してこの鬱々とした状態を抜け出したいと思います。