仏典は矛盾がある?
仏教のパーリ聖典にはボーディサッタ(菩薩)は地獄に行かないとの記述があるのですが、ほかの仏典ではボーディサッタは地獄に落ちたという記述があります、どちらが正しいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【我聞如是】私はこのように聞いています。
"仏典には矛盾がある?”
はい、あります。
膨大な経典を一列に並べてみても、つじつまは全然合いません。
”どちらが正しいのでしょうか?”
どちらも正しいです。
仏教は、【応病与薬】というスタイルで人々を教化していきます。医者が高血圧の患者には血圧を下げる薬を、低血圧の患者には血圧を上げる薬を処方するように、仏教も地獄に堕ちるぞと言ったほうが良い相手には地獄に堕ちるぞといい、地獄には行かずに済むよと言ったほうがよい相手には、地獄には行かないと教えます。
重要なのは、聞き手にとって何が成仏の因となるのかであって、書いてある内容の真偽は、じつは大した問題ではなかったりします。つまり、あなたにとってどちらが【仏説】として聞こえてくるのかが要なわけです。
菩薩の段階
しんじんさま
菩薩であっても、段階(レベルの差)があって、迷い苦しみの世界(六道)に輪廻してしまう菩薩ももちろんおります。
菩薩五十二位の後半の段階に十地がありますが、煩悩(障)が無くなり、輪廻から完全に解脱するのは、十地の内、八地以上の菩薩からとなります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%9C%B0
ですので、八地から下の菩薩では、まだ輪廻の世界に留まってしまう中で、地獄へも赴いてしまう者がいてもおかしくないことになります。
しかし、菩薩としての修行のために、迷い苦しみにある衆生を救うべく、あえて輪廻に留まり、人間、餓鬼、地獄へも赴いて、そこで衆生を救うはたらきを成す菩薩もおります。
ですので、菩薩であるから輪廻しないというわけではなく、それぞれの修行の過程において、赴く先もケースバイケースにて異なってくるところがあるとお考えを頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌