仕事を通しての自分の使命に関して
今31歳になりました。会社員です。
20代は仕事を駆け抜け、30代になり、仕事を通しての自分のあり方を深く考えるようになりました。自分は生涯何を残したいのか?最近常にこの軸に自問自答しながら、仕事をしています。
35歳までには自分のビジョンを達成する為に、起業を考えてます。
いろいろなタイミングや経験から
生涯何を残すのか?自分の使命とは?がより明確になってくると信じています。 明確なものが、私に見えてくるのでしょうか?
どうせ一度の人生なら、仕事を通して使命をまっとうしたいです。
熱意
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
5W1H と ♡はぁと もちべーしょん
いつ When どこで Where だれが Who
なにを What なぜ Why どうした How
まずは、これを3つの角度で本当にはっきりさせてゆくとよいでしょう。
物事は身近な事を具体化していくと良いと思います。
①一週間 会社で 自分は プレゼンを 収益向上の為に 精一杯取り組む
などと、明確なビジョンを持つこともよいでしょうし、
将来的なビジョンで
②40歳までには 起業した会社で 自分は 収入の安定したビジネスを 自分の家族の為に 築き上げる …というのもいいでしょうね。
私は禅寺では行事に追われ、目の前の事を淡々と為すのみでした。
ある時この5W1Hを考えたとき、
③「いま、ここで、わたしは、これを、ただ、こうしている」のだ。一点燃焼型の思考になりました。今を生きる、自分が生きているそこを完全燃焼する、一期一会。世の中でもよく言われる、今を生きる、とはまさしくこれであるなぁ。うれしくなって「いま ここ そのことをいきるんだ」という何やら悟ったようなフレーズを握っておりました。
一見すると、なるほどと思われるかもしれませんが、ぶっちゃけこれでもアマちゃんです。
何故ならマダマダ理屈だからです。
時計をご覧ください。一生時計を見ている必要などありましょうか。
一度見たらそれで十分。一日中見ている必要などありましょうか。
握っているうちはつかみ事のイチモツ(一物)があるのです。
使命とは命を使う、ということです。より良く使うべきです。喜ばしく使うべきでしょう。
あなたの命は何に使うべきか?ではなく、何に使いたいか?
好きな事でいいんじゃないでしょうか。使命は堅苦しい義務である必要はありませんよ。
・ときめくかどうか ・やりたいとおもうかどうか ・好きかどうか。
それが♡はぁと もちべーしょんです。あなたは真面目な人だから使命というカタチがびしっと来るのでしょうが、それが使命であってもそれが好きになれるかどうかは本人のあなたの本心が一番それを知っています。
使命などと言うと堅苦しいです。ダイエット的に言えば、痩せなきゃではなく、痩せたいにすることです。
(._.)わたしも昔使命感の塊でねぇ。布教の鬼になっていましたよ。ある時、お釈迦さんは「ああ、人を救わなきゃ」なんてスタンスではなかった、という事で気づかされました。
どうぞ頑張られてください
強い意志を持たれているご様子で、ぜひ頑張っていただきたいと思います。現在は輪郭のみでも、やがてはっきりと見えてくることでしょう。
ちなみに真言宗を開かれた弘法大師空海上人は、願い事が叶うためには3つの力が合わさることが必要だと説いておられます。ご参考にされてください。
○以我功徳力(イガクドクリキ):自分の力。努力、忍耐、、、、、委譲、進むべき時は進み、引くときは引くのもその人の力でしょう。
○ 如来加持力(ニョライカジリキ):仏の力。人智を超えたものへの畏敬の念を持たない人は、やがて傲慢になりかねません。
○及以法界力(ギュウイホウカイリキ):周りの力。ご家族や、ご友人、恩師、与えられた環境に感謝をし周囲の声を無視してはいけません。
29歳、35歳
プルプルカムカムさま。
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。
頂いた文を拝見し、最近珍しいぐらいに熱いお人柄で、気持ちが良いです。
生涯をかける仕事を見つけ、それに邁進できる状況になることを念じております。
私は29歳になる前と35歳になる前に、焦燥感を抱きました。
29歳はお釈迦さまが出家をなさった年齢。35歳は悟りを開かれた年齢です。お釈迦さまほどではなくても、この年齢で何かを為さねばならないのでは、と思ったのです。
でも今(現在40歳ですが)思うと、別に29歳だから、35歳だから、焦らなければならなかった理由はありませんでした。縁に巡り合って、10代で人生の目標に出会える方もいます。60代でそれに出会って、そこから打ち込む方もいます。自分だけの努力で出会えるということではないと思います。
プルプルカムカムさんが「35歳までには」と仰っているのが少し気になりました。目安を持つのは大事ですが、でもそれにとらわれ過ぎない視点をお持ち下さい。
善き結果へ向けて、善き縁を調える
プルプルカムカム様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「生涯何を残すのか?自分の使命とは?」と自問自答なされて、また、一つの人生の節目を感じられて、この度は「起業」するかどうかのご決断、誠に勇気がいることでございます。
一から生業を起こす・・
僧侶的には、一からお寺を作るということになるでしょうかね。。自分のこととして考えてみますと確かに独立して新規にお寺を開くとなれば、誠に不安なこともあり、大変になるでしょうが、当然に遣り甲斐や充実感もあるかと想像致します。拙生も機縁が熟すれば・・いずれは・・おっと・・
さて、以前には起業について、少しだけ大実業家・稲盛和夫氏のことを下記回答にて触れさせて頂きました。
問い「自分自身、身内の人生がおかしくなるのは、因果なのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/257
「・・大実業家・稲盛和夫氏は、「動機善なりや、私心なかりしか」と、動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功するということを述べられておられます。・・」
善き志、動機と善き実行過程があれば、きっと助けてくれる、支えになってくれる方も大勢いることになるのではないかと存じますし、世の中のため、人の為となる善き仕事となれば、きっと皆からの賛意賛同も得れて信頼も上がり、業績も伸びることになるのではないかと存じます。
もちろんリスクも付き物です。うまくいく保障はありませんし、自分の力ではどうにもならないこと、例えば天災や事故、不況などの外部要因によっては、失敗してしまうかもしれません。
それでもしかるべく結果を求めるのであれば、条件を調えていくことを始めなければ何も始まりません。仏教では、この世は「縁起」にて成り立っていると説明申し上げます。このことを下記問いにても述べさせて頂いております。
問い「生まれて来なかった赤ちゃん」
http://hasunoha.jp/questions/387
何事も「縁」次第、「縁」を調えていくことが大切となります。善き結果へ向けて、善き縁をしっかりと調えて参りたいものでございます。
川口英俊 合掌