シンプル、単純明快な思考
自分は悩みや不安があるとき、
物事を複雑にかんがえてしまい、頭が混乱してしまうのが
最近の悩みです。
どのようにしたら単純明快に物事を考えることができるでしょうか。
悩みがあっても単純、シンプルに考えて
シンプルに生きたいと願うのですが、どうしても悩み始めると
いろいろ考えてしまいます。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
禅
禅はスティーブ・ジョブズで知られる以前からシンプルそのもの。
シンプルの重要性を示しているからZENと読むほどです。
え?だって「単」を「示」すで、「禅」ですから。
世の人は「シンプル思考」というものがあると思っているようですが、禅的にはそういう教えはありません。実物の方に学べば自然におのずから「単」なのです。何も複雑なものはない。
料理なら、失敗は失敗。焦げは焦げ。食パンなら上っ面の焦げを削れば何の問題もない。
「単」とは、単純、シンプル、という複雑の対義語とみるより、人間の考えを差し挟む前の状態、とみてください。
あなたはどうすれば理論的にうまくいくだろうか、などという事などの考えや思いを重視していて、実物を観ていないのではないでしょうか。
武道においては、それでは迷い。相手に打ち込む隙を与えます。
相手にこう言おうと、あらかじめ決めてかかるよりも、実物の相手を観てそれに臨機応変していくことの方がよりシンプルです。
ものの根本的な在りようを禅というのです。
・福神漬け 海に漂流した野菜を拾い集めてしょう油で漬け込んだ。
・横浜公演 震災の瓦礫を集めて粉砕して埋め立てて造られた。
・スタバ くだけて使い物にならないクッキーを粉にしてトッピング
そういうイノベーション、アイデアも必ず実物を観ているからアイデアが湧くのです。
その事自体もシンプルに考える
「でも、だって、なんで、ぼく、わたし」という言葉を用いずに考えるトレーニングをし、
「い」で終わる文章を作成・送信しなければ問題解決です。
もうひとつ
物事に一本の筋を通したがることが多いのですが、人間が二本の足で立っているように考え方に複数の筋が通っていても大丈夫です。
応援しています。
複雑の何が悪い
hibikukagayaku さん。毎回複雑な質問をしてくるものですね。今回も難易度が高い質問ですね。
「単純明快に物事を考えることができるでしょうか?」
ワシの回答は単純明快な思考は良くないと思います。自分中で善と悪。良し悪しを決めてしまうということでしょう。これは物事を偏見と捉えています。人間を差別的に見ております。白でもなく黒でもなく、グレーで何が悪い。少ない情報量で良し悪しを決めるのは自分の大切なものさえ無くしてしまう恐れもあります。
まだ、hibikukagayaku さんは10代なのですから、色々な本読み、映像をたくさん観て、賛成派、反対派、両方の意見が聞ける聞き上手になれる努力をしてください。時には自分や身内でさえも客観的に冷静に中立見れる自分を形成してください。あなたなら必ずなれると思います。
「空と縁起」
hibikukagayaku様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
大鐵様と同様に、一元論、あるいは二元論的な考え方は極端、偏見に陥りやすく、「中道」を説く仏教ではあまり宜しくないことと考えます。
もちろん、この世界が元々シンプル・単純であるならば、答えは簡単で、何ら問題も生じませんし、悩み苦しみも生じるはずがありません。
いや、もしかすると本来はシンプル・単純な世界であるにも拘らず、無明(根本的無知)と煩悩により私たちが複雑怪奇化させ過ぎて、その中で、とらわれ、こだわり、かたよりを生じさせてしまい、悩み苦しんでいると考える方が正確なのかもしれません。時に仏教では無分別智や離戯論という境地を目指すというのもこの一端が伺えるところでございます。
では、どうこの世界がシンプル・単純なのかと言いますと「空」ただそれでシンプル・単純なのです、と答えれることはできるかとは存じます。もちろん、「空」とはいえども、存在は存在しています、それは「縁起」として一応仮に成立していると捉えることとなります。問題は、この縁起関係にあるものを、それぞれ実体視して、とらわれ、こだわり、かたよりを生じさせてしまうことにあると考えることができます。
そこで、一つには、確かにこの世界は「空」でシンプル・単純であるとして説明されるものの、それは、この多元的縁起の広がりの世界の中では、これだと実体視して、決めつけられるものは有り得ないことを理解するためであります。
そして、この「縁起」により成立している世界では、「空」といえども「無」ではなくて、無数の相互依存的関係性により様々なものが成立していることを理解することも重要となります。存在だけでなく、概念も含めてです。善悪、生死、有無、優劣・・迷悟もです。
それは例えば、迷い苦しみにも実体は無い、悟りや涅槃にも実体は無いが、「縁起」により有り得るものということの理解であります。
・・っと、まあ、迷い苦しみがあるからこそ、確かなる「縁」(仏縁や善根)によりて悟りや涅槃を証得することも有り得るのだということでございます。迷い苦しみがなければ、そもそも悟りを目指そうということさえも起こらずに無明の中をさまよい続けるだけとなってしまいかねないこととなります。迷い苦しむことから仏道も始まることとなります。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
児玉さま、回答ありがとうございます。トレーニング、さっそく実践してみようと思います。
丹下 覚元 さま、回答ありがとうございます。
自分はどうも理屈で考えるくせがあって、それが迷いのもとのようですね。実物を見ていませんでした。
気をつけます。
大鐵 さま、回答ありがとうございます。
物事に簡単に白黒をつけずにいこうと思います。大鐵 さまのおっしゃるような聞き上手を目指します。
川口英俊さま、回答ありがとうございます。
「空・縁起」について詳しく解説していただき、一段と理解が深まりました。