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先祖供養について

回答数回答 4
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ある方より、主人の先祖供養がされてないので○○万円で供養できるのでしたほうがいいと言われました。
この供養がされてないので私、子どもたちにまで影響がきていると。
ご先祖様の供養は大切なことは承知しておりますが、このような申し出にとまどっております。
無理強いはしないのですが供養していないために、問題があるといわれて、かなりモヤモヤしてます。
先祖供養はそんなに金額をかけないとできないのでしょうか?どうしたらよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私たちがどう故人の死を自分の人生の中で位置づけていくか

こんばんは。亀山純史と申します。
先祖供養ということは、私が信仰している浄土真宗では申しませんが、私なりの考えで回答させていただきたいと思います。

まず、〇〇万円かけて供養したときに、「〇〇万円かけて供養できた。」と思うのは、「〇〇万円かけた。」という思いがあるからです。そしてそれはご先祖さまに対してではなく、「〇〇万円かけた。」という自分たちに向けらた思いだと思います。なぜなら、自分たちが行った供養の行為で、本当に故人が供養されたかはわからないからです。

さて、先祖供養の目的は、ご先祖さまが仏様になってくれることでしょう。浄土真宗においては、故人の成仏は阿弥陀如来のお仕事であって、私たちになせる仕事ではないのです。ですから、浄土真宗では先祖供養のために読経等をすることはないのです。浄土真宗の門徒(信者)として、私たちがご先祖さまに対して出来ること(またはなすべきこと)は、自分がこうして浄土真宗の門徒(信者)として、阿弥陀様とのご縁に結ばれたことが、遠くご先祖さまからの縁によるものであることへの感謝の気持ちを持つことなのです。

つまり、先祖供養とはご先祖さまが仏様になってくれるための行為(読経等)ではありますが、それらの行為が行き着くところは、「私たちがどう故人の死を自分の人生の中で位置づけていくか。」ということになるのだと思っています。
したがって、先祖供養が金額の多少によって左右されることはないのです。

以上が私からの回答です。宗派によって考え方は様々かもしれませんが、一つの助言として聞いていただければ幸いです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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納得した供養・お布施で

ぷにこ様
結論を先に申し上げます。○○万円で無くても大丈夫です。(ご質問は僧侶にお願いする供養にかかるお布施・お金の話とお察ししました。この点についてお話します。)

世の中には数十万人の僧侶がいて、○○万円は必要という方もいれば、お気持ちでいくらでもよい。中には経済的な事情があれば〇円でも構わないという、僧侶もおられます。

逆に一般の方の中にはこのお寺には本当にお世話になり、多くの布施をしたいという方もいます。

大切なのは、自身で情報を集め、話を聞き納得出来る和尚さんに供養をお願いすることかと思います。世の中素敵な和尚さんは結構います!

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小黒澤 和常
大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティ...
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ご供養は、金額では御座いません。

初めまして、今日は。

ご供養は金額で決まる事では御座いません。

手を合わせる純粋な心が大切です。

私たちは、父がいて母がいてこの世に生まれ今があります。そして、ご先祖さまがいてそのまたご先祖さまが・・・と様々なご先祖さまがいたからここにいるのです。

人間に生れる確率は、奇跡に近いことです。

お仏壇が御座いましたら、いつもありがとう!とお手を合わせてください。お仏壇がない場合は、ご先祖さまありがとうございます!とお手を合わせてくださいませ。

あなたの純粋な祈りこそ、ご先祖さまのご供養に繋がるのです。

あなたあらしい、素晴らしい人生が歩めますように。

合掌

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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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供養は心で行なうので

気持ちがこもっているかどうかが一番重要です。次に、意味を知っているかどうかが重要です。

 お金・お布施については、よく、「お布施はお気持ちで」などと言いますが、「少なくていい」の意味ではなく、本当に心がこもっているかどうかがポイントなのです。
 強いて物質的に言えば、自分の財産に対する割合とも言えます。自由にできるお金が十万円ある人の一万円のお布施と、一億円ある人の一千万円のお布施が、同じ割合ですから、単純に見れば、同じほど気持ちを込めてお布施したということもできます。世間の相場ではないのです。
 そのほか、盗んだり拾ったりしたものではなく、自分が稼いだお金でお布施する方が功徳が大きい。相手が徳の高い人にお布施する方が功徳が大きい。逆に、本当に困っている人を助けてあげるのも功徳が大きい、などの法則が、一応あります。

 亡くなった人のために供養するとはどういうことかと言えば、供養する相手は、お布施やお世話などをする徳の高い人や困っている人なのですが、その供養した善行為を、亡くなった人に振り向け(廻向し)てあげて受け取ってもらうことです。先祖供養とは、先祖のために誰かを供養すること、です。

 先祖・故人が困っていなければやらなくてもよいのですが、こちらから分からないので、しかも、廻向は特定の人だけでなくついでに一切衆生に振り向けるので誰かのためになるし、やってあげる自分の功徳になるし、とりあえずやって損はないので、やれる範囲でやろう、ということなのです。

 詳しくは拙著『功徳はなぜ廻向できるの?』国書刊行会などをご覧ください。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

ご助言いただきましてありがとうございます。
心の中で考えていた通りのお答えをいただき、ホッとしております。
ご先祖供養についての他の質問を拝読しても、ご先祖様が子孫たちに悪さをするはずがないとのことも書かれておりました。
生き様を見せる、、というかしっかり生きていき、感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ