罰当たりな自分に怒りを感じます
数日前まで私は軽い援助交際をしていました。性交はしない本当に軽いものでしたが、それでいくらか異性からお金をもらっていました。
それを一ヶ月ほど続けていたある日、片思いしていた大好きな人が海外に引っ越すことになり、ショックで押しつぶされそうになりました。
援助交際などしたから罰が当たったのだという後悔と悲しみ、己への激しい怒りで気がおかしくなりそうです。
元々人によく迷惑をかけていたので、その時の記憶も想起され、私がこの世からいなくなれば、あの人は引っ越すこともなかったのだろうか?と考えるようにもなっています。
私は罰当たりな女です。早く消えてなくなりたい。
くず人間
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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罰が当たることが罪の償いにはならない。罪と向き合う事。
ご相談拝読しました。
罰が当たるというのはそういうことではないでしょう。
あなたが援助交際をしていようがしていまいが、その人は引っ越しをしたのでしょう。たまたま起こった二つの別の出来事を自分の勘定の天秤が釣り合う様に考えてしまっているだけです。
仏教では自業自得を説きますが、これは悪い事をしたら悪い出来事に合うという意味ではありません。自分の行為の責任は自分に及ぶ、自分は自分の行為によって形成されていくということです。
つまり、あなたが今苦しんでいることはあなたの過去の行為と無関係ではないということであって、彼の引っ越しはまた別問題です。
何か悪い事をしてしまった時に、自分がその悪事に見合うだけの悪い出来事に合えば帳消しになったような感じもするかもしれませんがそれは自分の価値観の勘定が合っただけで悪事とは何も向き合えていないのです。
あなたが消えてもあなたが自分で悪いことをしてしまったと思っていることはなくなりません。
あなたがその事実と向き合う事こそがその悪事の罪からの救いなのです。何か他の出来事を持ってきて相殺しようとしてもダメなのです。逃げてもダメなのです。
片思いだって引っ越しのせいにせずとも思いを伝えて結果に真正面に向き合うこともできたはず。それをできなかったことを引っ越しのせいにしてもダメなのです。
あなたは今、これまでのあなた自身の在り方に目が覚めたのでしょう?そのあなたがこれからどう生きていくのかによってあなたの中でこれまでのあなたの受け止め方が変わってきます。
これからのあなたがこれまでのあなたの全てを無駄にしないのです。でも逆に言えば無駄にもしてしまい得るということ。
人に迷惑をかけてしまったのも、援助交際をしてしまったのもけしてあなただけのせいでなく、その時々の状況の中であなたも気がついたらそうしてしまっていたということもあるでしょう。
そうして流れ流されここまで来たとしても、あなたは今その事実に気がついた。
それならばこれから先は流されずに、あなたが主体的にこれまでのあなたと向き合って逃げずに生きていくことです。
あなたがその罪と本当に向き合うのなら自分を隠さず逃げずに生きていけます。恥じるべきことを恥じ、謝るべきことを謝る人は輝いていますよ。
質問者からのお礼
目が覚めました。
これからは、自分の過去の過ちや行いから逃げることはやめます。
少し時間がかかるかもしれませんが、わたし自身とじっくり向き合う努力をしていきたいです。
ありがとうございました。