家族全員某宗教を信じていて息苦しいです。
(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています。)
某宗教に対してマイナスな状態で入信状態にあります。
自分は生まれてすぐその宗教に入信しました。親が勝手にです。
教えもとても良いと思っています。勉強していてとても為になるなと思うこともしばしばです。
ですが、両親や祖父母が敬虔な信者で、地区ではある程度の地位があるようで自分も一緒に座談会や会館での働き?会合の手伝い?に行ってるのですが、お金をもらって働いてるわけではなく、自分のようなマイナスな思考をもっていて、楽しくもなく、やりがいもなく、なかば強制的に信仰させられている身からすると大変苦痛になっています。
さらにその宗教には支持政党があるため、選挙の時期になると宗教らしい話などなく、自分の選挙の自由がないようにも感じるときがあります。
信教の自由や選挙する権利が脅かされてるようにも感じています。
親にあまりその宗教が好きではないと相談したこともあります。そのときは話を聞くふりをして、地区の偉い人間を呼び、こんなことを乗り越えてああやって私達を指導してくれてるのだから!とか返事にならないことを言われさらに嫌気がさしてしまっています。
弊害といってはよくないですが、友達と初詣にも行けなくて付き合い悪いなと言われたりしたときも、他の宗教信者だなんて言えないですし、興味でお寺や神社に入らせてもらおうとしても、こんなことしてるの見られたらかなり叱られるなとか、後ろめたさを感じてしまうときがありました。
その宗教は評判がとても悪いうえ、自分の好きなことがしにくく、脱会しようとしたら家族全員と縁を切ることになってしまいます。学生の身でこの歳では脱会を実行に移すのはかなり厳しいかなと思っております。
明確な解決方法というよりも、今の状態でうまく過ごす方法を教えてほしいなと思っております。長文となってしまい、私情もおおく稚拙な文章でおこがましいですが、お返事いただけたらなと思っております。よろしくおねがいします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
SOS
とりあえず、ここにこっそり相談してみてください。
何か解決のヒントが見つかるかもしれません。
真宗大谷派青少幼年センター
TEL. 075-354-3440
http://www.higashihonganji.or.jp/oyc/cult/
真の自由を選択する権利はあなたにある
ウチに同じような人が相談に来られましてね。まぁ、親が入っちゃって本人は自由にイスラムとかそっちの方が肌に合うとかで、そんでもってウチのお寺にたまたま相談に来られたのです。親は脅迫的だった、と言ってました。
最終的にうちのお寺に来なくなりましたから、取りこまれることを選択されたのかもしれません。家族を優先するのが人間の基本ですからね。
とはいえ、おかしいと思いませんか?
家族の絆すら破壊してまで自分の宗教団体に取りこませて政治活動にまで携わらせる。私は気持ち悪いとしか言えません。
人として、宗教として間違っています。
脱会させないとか、個人の自由すら許さないなんて異常としか言えません。
解決方法は簡単です。
彼らが何をしたいのか。
結局政治のハンドルを取ってありもしない理想郷を3億年先、10億光年先に設定して団結させて自分たちだけは選ばれた民族扱いして、今日の幸せに目を向けさせずに永遠に馬の鼻先の人参というCG幸福感を追いかけさせて足元を見つめさせない。要は、選挙で数で勝たせるための🐴駒なのです、信者が。
その組織の中の「誰が」幸せになっているでしょうか。
誰が心底人生に決着が着いた人で、せわしなく活動活動ばかりに追われずに堂々としていられる寂静な心を会得された人でしょうか。
ましてや、その宗教のせいであなたは幸せどころか超絶不幸に追い込まれている。
その時点で答えは出ているのです。
よって、私があなたの立場であったらの話ですが、時々信仰しているフリをして付き合ってあげる。彼らの手口やノウハウを学んで騙されたフリをしつつ、そういうレベルにとどまらないもっと高い宗教性を「あなた自身が」見つけ出せば結果的にもっと高い宗教心や自由な人間性に目覚めるでしょう。
親が死んだら縁を切る。というよりもともとその宗教には心を許してはいけない。せいぜい集いと思って付き合ってスキあらば内部から食い破る勢いで不正にも目を向ける。可能であれば無知な親にも本当の宗教性に目覚めて貰えるようにその宗教に入信しているフリをして「本当はこうあるべきなのにどうしてこんなひどいことが行われているのか」と親も導いてあげる。これは宗教でなくても詐欺から親を守るときも同じです。世界にどんな狡猾なカルト宗教があっても個人の人間の尊厳や心までは染められません。仏教精神とは真の自由性を「あなたが」見出すことです。
盲目的信仰も煩悩
間違ったしきたりや意味のない迷信などに執着する心も、仏教的には煩悩の一つなのです。
仏様を盲目的に信じることさえ、もしかしたら煩悩かもしれません。
その教えが正しいのかどうかを理性的に確かめるのが理想です。
とはいえ、信仰にすがらなければ人生やってられない、というような弱さを持っている、煩悩まみれの人間が私たちです。
ですから、仏教の宗派にも信仰を重視する宗派があります。
あなたのご家族も、煩悩・執着心にとらわれた人間だ、仏様のように煩悩を滅した聖者ではないのだ、と頭の片隅で覚えておき、冷静に付き合っていきましょう。
あなたの人生ですから
拝読させて頂きました。
なるほど、よくわかります。あなたの心の中でも沢山の葛藤があると思いますから大変辛い思いもなさっていらっしゃることでしょう。あなたのお気持ちやお立場を心よりお察しします。
信仰心はそれぞれの本人によるところですし、それは本人の信仰の自由が法律によっても保障されております。
ご家族の方々の信仰や所属する宗教団体がどうであっても最終的には本人が何を信じてどこに所属するかを決めることができます。
あなたがもしもその宗教団体から離れたいならばやはり自分の意思でご判断なさり、ご家族の方々にも所属する団体にもしっかりと説明して脱退するか、距離を置いても良いかと思います。
信仰はそれぞれの人の生きる支えであり、人生の根幹となるものです。
あなた自身のこれから先の生き方や信仰のあり方についてじっくりと見つめ直す機会でもありますので、ご自身でよくよくお考えなさってみてあわてずにしっかりとご自分でご判断なさって下さいね。
あなたのこれからの人生が心から豊かに充実した毎日となりますようにと切に祈っております。
また宜しければあなたのお話しお聞かせ下さいね。あなたをいつも待ってます。