悪縁を良縁に変えることはできますか?
こんにちは。
とても端的な質問ですが、努力で良縁を悪縁に変える事はできますか?
昨年、結婚し、出産をしたのですが、それからというものの人の死を含め色んなことが起こり、心がすり減り、未来をまったく信じられない状態にいます。
おそらく、この結婚は現時点で良縁ではなかったと思われます。結婚前にも占いを行う方に、あまりいい顔をされなかったことがあります。
ただ、その方には宿命は変えられないけど、運命は変えられると言われました。
そうなのでしょうか?
主人はいい人ですし、感謝してる部分もたくさんありますし、子供のためにも離婚は避けたいのですが、ネットなどを見ると、悪縁の結婚は離婚が吉という事を書く方もいらっしゃるので、ますます心が動揺してしまっています。
前向きになれるアドバイスがあれば、お願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
変えていけるとしたら、あなたの考え方を変えなきゃね。
生きていれば、別れや死も見ていかなきゃならないよ。続くこともあるでしょう。生きていれば、それだけ数ある縁を結んでいるからね。あの人も、あの人もと、知り合いは増えていくものです。
そして、繋がりや親しい人(家族も)が増えれば、あ〜なればいいな、こ〜したいなって想い(欲)も自然と湧いてきます。
それが人間だよね。生きるってことだよね。多くの縁の中に生きていれば、そりゃいろんなことが起きるものなのですよ。
良い悪いの基準って、何なんだろうね。
人によって違うし、自分に都合のいいことが「良い」なんだろうね。
雨の日を、良い天気、悪い天気って言うのと同じだよ。出かけたいのに雨、作物に恵みの雨、人によって違うでしょ。
いかに、人の基準は曖昧かということです。
宿命、運命、生まれる前から決まってしまっているの?
じゃ〜何しても意味ない、無駄ってことになっちゃうよ。これから起こることも、何かのせいにして、生きていくの?
これから起きることを、占いで 何か任せにして、何かのせいにして、生きていくの?
変えていけるとしたら、あなたの考え方を変えなきゃね。
人生、悲喜交々。
思い描いた通りにばかり、人生は進みません。
そして、様々な経験を通してでないと、見えない世界もあります。
それを、悪い縁と片付けてしまうのか、これからのことをちゃんと考え直そうと足元を見るのかで、その後の生き方、見え方が違ってきますよ。占いにハマると、人は離れていくよ。(そんな人がよく相談にくるので)
なぜ、結婚が良縁では無かったと思うの?
あなたが決めた人なんでしょ?
周りで何かが起きれば、占いじゃなく 彼と一緒に乗り越えなきゃ。
向き合うのは、共に生きていく彼となんじゃないかしら。
ご主人とのご縁は良縁です。
ご主人を愛していらして、
お子さんもいらして、
これを良縁と呼ばずして、
何を良縁と呼ぶのですか?
確かに人生山あり谷ありです。
嫌なこと、
辛いこと、
悲しいことは、
ございます。
それを乗り越えて行くのが、
人生ではないでしょうか。
占いで離婚を視野に入れてしまう。
持っての他です。
昔、偉いお坊様にお弟子が、
師僧にどこまでもついていきます。
ご指示に何でも従います。
と言ったところ、
お坊様は、
人を殺して来なさい、
と指示されました。
お弟子さんは、
そればかりはいかな
師僧の指示でもできません。
とこたえたところ、
師僧は先程、
何でも従うと言ったのは、
偽りか?と問うと、
できないことはあります。
と答えました。
師僧は、
できないことではなく、
その方には、殺す縁がないから、
殺せないだけじゃ、
と答えたそうです。
この娑婆世界で結ばれて、
結婚しお子さんまでいるという、
良縁を占いによって、
打ち壊すのですか?
愚僧に言わせたら、
占いこそ悪縁です。
占いそのものを否定する
つもりはさらさらありませんが、
よい御縁をいただいてください。
間違いなく良縁です。
良縁とはその御縁を
もととして、
自らが幸せになろうとする
その過程と結果が良縁だと、
思います。
どう作りあげるのか、
それこそ共同作業です。
お幸せを
ご主人さま、お子さま、
そして周りの方々と、
お作りくださいませ。
お幸せを祈っています。
悪縁良縁の裁きをする裁判官は自分 そこを知って転ずる
仏教では諸悪を良縁やこの上ない素晴らしい方向へ転ずる心を無上心、菩提心と申します。お釈迦さまも道元禅師も菩提心があったからこそ悟り・正覚を成就されました。
そもそも物事の良い悪いって誰が決めるのでしょうか。
冬場に活躍するマフラーで考えてみましょう。
寒い時に身に着けると暖かいです。
ですが、マフラーをつけることが当たり前になると体が弱くなって一度つけると手放せなくなる面もあります。子供がふざけて遊ぶとうっかりすると首が絞められてしまいます。ですが、手編みのマフラーを作る気持ちで嫌いなご主人に対して何かをお布施・贈呈・🎁・提供すれば、ご主人のご性格もガラッと変わって急にあなたにやさしくなって、心が通い合い、あなたも嫌いな気持ちが吹き飛ぶかもしれません。
マフラー一つでも善悪が元々無いのです。
物事の善悪の裁判官は「自分」であり、良き方向へ導くのがあなたの理知的な宗教心、信仰心なのです。仏教とはある種、最高に理知的な教育です。
モノの方にはもともと良し悪しはありません。
言葉もそうです。他人への評価もそうです。占いという根拠のないものを信じて言葉に転じられると心が悪縁に転ぜられる。物事は根本、根源、ファクトに基づいて判断・評価すべきことで見ず知らずの占い師などという科学的根拠一切なしの言葉などを押し付けられてはいけません。他人の人生を振り回す人の言葉は楽しむ程度は許されても信じるべきものではありません。ネットや本に書いてあることも占いも「そもそも受け取る側が自分に都合よく解釈する」ものです。
人間のそういうサガをまず知るべきです。それが仏の教えなのですから。
架空の物語の映画やドラマで涙するのも人間。自分の体験とリンクして感情を揺さぶられているわけです。作り話ですら脳が騙されるのが人間ですからその乱れやすいその心を不動なる心に導くべきなのです。
鏡は先に笑わないと言いますように、人生を幸せ、悪縁なく良縁ばかりにするには、まず自分の脳内行動パターンを変えなければいけません。
何を見ても聞いても読んでも過敏にアレルギー反応する傾向にあると人生を損ないます。心のアレルギー反応は身を守るための反応ではありますが、その後の心の向かい先をこそ変えることでアレルギー反応は無くなります。この際「よしやるぞ!」と気持ちと菩提心を奮い起こされることで、心は常に良好に向かうでしょう。吉祥
質問者からのお礼
花山雲吉先生 中田三恵先生 丹下覚元先生
この度は、励ましのお言葉、お叱りのお言葉誠にありがとうございました。
短い時間の間に3人の先生方よりお言葉をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、とても不快な質問であったこと、申し訳ありせんでした。
花山先生の良縁とは〜その過程と結果が良縁だというお言葉、
中田先生のそれを悪い縁と片付けてしまうのか〜というお言葉、
丹下覚元先生の菩提心のお話、
心に染み、これまで苦しめられたもやや恐怖心が晴れました。
そして、丹下覚元先生の人生を幸せ、悪縁なく良縁ばかりにするには、まず自分の脳内行動パターンを変えなければいけません。というアドバイスは、私が思春期の頃、自分が嫌いで悩んでいた時に、私の祖父が教えてくれた本の教えととても似ていました。その本は思考という言葉を使っていましたが、自身の思考から縁やチャンスをはじめ、全てが作られるという教えでした。つまりは、自分の考え次第、心の持ち様で全てが始まるという事だと思います。私はその時、その言葉にとても救われました。
そして最近も、その考えは頭の片隅にはあったものの、それが負けてしまうくらいの恐怖心が取り憑いていたので、どうにもこうにも前に進む事ができないでいました。そんな中、3人の先生方にアドバイスをいただき、まるで霧が晴れた様に心が軽くなり、その教えに奮い立たされました。
先生方を通して、また祖父に助けてもらったのだなと昨日の朝、感じていました。ちょうどその頃、昨日は1日雨でしたが、ほんの10分程、晴れ間がさし、自宅の前の農園では、地面からもやがキラキラと空に上がっていき、とても幻想的な風景を目にしました。
そして、その祖父は、現在、リハビリ病棟に入院していましたが、なかなか食事をとることが難しくなり、ちょうど昨日の午後、胃瘻をつけるかつかないかの話し合いが行われ、その結果、胃瘻をつけずに、その命を天に任せる事が決まりました。
本来ならば、とても寂しい事ですが、本日面会に行くと、まだまだ強く生きており、胃瘻はつけずとも、うまく行けば、人によっては1年も生き延びる可能性があるとのこと、祖父からは生きる強いパワーを感じました。
そして、昨日の出来事は、祖父からのメッセージに思えてなりません。
夫からも、運、不運、言う前に、まず今出来ることを2人でやっていこうよ、まず行動していこうよ、という言葉をかけてもらいました。ありがたい限りです。
感謝の気持ちをお伝えしたく、長々と書いてしまいました。
本当にありがとうございました。
家族で幸せを作っていけたらと思います。