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生きてる意味が分からない

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孤独で、相談相手も居ない。生きてる意味が分からない。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きる意味

迷子のオバさんこんにちは。
♪迷子の迷子の子ネコちゃん、あなたのお家は何処ですか?
お家を聞いてもわからニャイ。名前を聞いてもわからニャイ。
こんな歌がありましたね。(歌詞ちょっと違うぞ)
この後、犬のお巡りさんはその猫をVISA切れの不法滞在者とみなして入国管理局に引き渡すという流れになる歌でしたね。(うん、違います。)
「困る」ということ。「困惑」するということ。「迷う」ということ。
「泣きたくなる」ということ。
それは心の行き場を見失っている様子と言えましょう。言い換えれば「向かう先」が見いだされれば「困る事・苦しい事・迷い」が無くなるということなのです。
人間はみんな知らずにこの世に生まれてきました。
そりゃぁ人生どっちに行っていいかわからなくなるような、迷子になるようなことは大いにあります。
学生時代クラスの難しい数学のテストでみんながスラスラ回答できるのに自分ひとりだけ全くわからないような…。置いてきぼりを受けているような。
でも、解き方を丁寧に私のようなバカにでもわかるように教えてくれる先生がいたら私も晴れてみんなの仲間入り。
人生の迷いに答えを。その教えが仏教です。
仏教はあらゆる人が救われる教え。
ただし信じる者は救われるというより、学べば自分の上に学ばれるということが行われて救われるのです。
ここのサイトhasunohaというサイトは沢山のお坊さんが優しく仏教をかみ砕いて平易な言葉で説いてくれているサイトです。
ぜひ苦しみや悲しみを緩和する仏教を学ぶきっかけにしてみましょう。習い事もスポーツもまず「やろう」「やってみよう」という気持ちが大事です。
寝る前に部屋の電気を消す際にもああ、眠い、消すのも億劫だという時も、消さなければ電気代も無駄にかかってしまいます。つけっぱなしで寝ると体も眩しくて疲れも取れません。どんな理由でもいいので「消そう!」という気持ちがあればスイッチに手が届きます。(リモコン派の家庭もあるでしょうが)
私は苦しい、困る、ツライ、という人生を「変えたい」と志しました。
「よし、やってみよう!」という気持ちのスイッチがどこかにあるのです。
家に帰りたいときに「帰ろう!」という気持ちがあれば足は自然に家に向かいます。仏教を学ぶということは自分の家、心のホームに足を向けることです。仏教を学ぶということより自分の暖かさ探しなのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

生きることには意味があります

初めまして、今日は。

心からの想いを拝見させて頂きました。

何代と続く様々なご先祖さまや、父母の願いや想いがこの身体には込められています。そして、誰かがあなたを必要として・・誰かを必要として生きているのです。無駄な命など一切ないのです。

数日後の1月17日は阪神淡路大震災があった日です。昨日でもない、明日でもないこの瞬間と言う今を私たちは生かされています。明日が来る事は当たり前では御座いません。比較的に恵まれた国に生れ、住む家があり、ご飯が食べられ、綺麗な服を着れる事も当たり前では御座いません。当たり前と思っている目の前に仕合せがあるのです。

人として生まれる事も奇跡だと思います。二度とない人生です。思考を変えて見ませんか?

こうだから・・と思っていると、そういう風になり、善きことを思って行動をすれば善き結果に繋がります。色々な人から頂いたご恩は、出来る事を無理なく周りに返していく事。それが恩返しだと思っています。

自分のペースで、ちょっとの勇気を出して・・一歩を踏み出し外に出て見ませんか?きっと思考を変えると・・いつも見ている風景が違って見えます。

様々な、これでもか!これでもか!!と言う困難に合い負けそうにもなりました。そんな時に思考を変えて見ました。その時・・人生は、長い冒険旅行だと思いました。主人公も脚本も自分で好きに描けます。生まれた日や場所は宿命で変えられませんが、運命や人生はいくらでも変えられます。

ご縁や出会いを大切にして、笑顔で過ごしたくさん心のアルバムを刻み人生を歩んでください。

あなたらしく、希望ある人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めることを心から祈っております。

合掌

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おきもち

皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、悩みを相談し気軽に参拝出来る”心のよりどころ”であって欲しい・・・その願いを叶えさせて頂きました。仏縁を頂き真言宗の小さな手作りのお寺を開山させて頂き4ヶ月が過ぎました。妻を脳腫瘍で看取り、東日本大震災で彼女を失い、父を心筋梗塞で看取り、障がいのある長男と健常児の次男を育てる父子家庭の父、押し寄せるこれでもか!と来る障害。・・どうにかなるさ!と思考を変え、今日に至っております。一切衆生をお救いする事、それは経験させて頂いた出来事があるからこそ、その痛みがわかるからできるのことです。迷わず、負けずぶれず道一筋に、あなたの希望ある光輝く人生を楽しめますように。濃霧も時がたてば天晴の如く見通しが良くなるように人生の羅針盤となり皆様に寄り添い、慈悲の回向の光を届けさせて頂きます。 開かれたお寺と志を忘れないよう挑み続けます。合掌 礼拝

質問者からのお礼

ありがとうございます。私のことを必要としている人が居るかわからないけど、今日は生きてみます。誰かに頼りたい気持ちでいっぱいです。

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