孤独との付き合い方
孤独との付き合い方を教えてください。
私は10代後半の頃から人間関係がきっかけでうつを経験しました。
それ以来、よくなったりぶり返したりをしながら20代を過ごしています。
10代から20代前半と、本来であれば友人との大人の付き合い方を学んでいく時期にうつになったことも多少関係しているのか、
人間関係の構築が上手くいかず、トラブルを抱えることも少なからずあります。
(いざこざが起こった際に正論を言って相手を怒らせてしまい一方的に縁を切られるなど)
親しい友人がいないわけではないのですが、所属するコミュニティが変わるたびに友人が変わり、長続きしません。
同様に恋愛も上手くいかず、お付き合いしている人もいません。
このような状況で、精神的に疲れたときや悩みがあるとき、傷つくことがあったときに、孤独に押しつぶされそうになります。
話を聞いてもらえる人がおらず、
自分は誰からも好かれていないんじゃないか。自分は価値のない人間なんだ。周りの人からすれば、自分は代替可能な存在でしかないんじゃないか。と思ってしまうのです。
強すぎる孤独感もストレスの原因になっており、悪循環を生んでいます。
強い孤独を感じたとき、どうやって乗り越えればよいのでしょうか。
どうかお教えください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間関係の構築がうまくいかず。
こんばんは。お気持ちを聞かせてくださって、ありがとうございます。
世の中の問題、大半は人間関係によるものです。つまり、非常に多種多様な問題があります。「正論を言って縁を切られた」というのは、何か言い方のほうに問題があったのでしょうね。また、そうなったのは「自分を守るため」だったのではありませんか?
因縁という言葉があります。「物事は、原因になる事柄と、それを取り巻く状況=縁によって定まっていく」ということなのですが、この「縁」の方が影響は大きかったりします。「正しいことを言ったのに上手くいかない」は、典型的な現象です。因は悪くない。けれど縁が良くなかった。
さて「孤独との付き合い方」とのことですが、「人に優しく」と「ゴミを拾う」をお勧めします。「人に優しく」はいろんなやり方がありますが、「言いぶんをそのまま受け取る」は、その一つです。話の途中で遮ったり、結論をあなたが決めたりしない。「その通りね」か「私は違うと思う」は言うべきですが、「私は」の表現にとどめる。
「ゴミを拾う」は、自分の活動エリアだけで良いです。自分たちのいる空間を心地よくする行動をとる。
「花咲き山」というお話がありますが、当面、そこの花を増やすことを心がけましょう。
そして、ムクムクと不安な気持ちが湧いてきたら、どうぞここhasunohaに書き込んでください。具体的な話の方が具体的な回答を得られます。そして時間があったら、ここの検索窓で、「孤独」に関わる質問を見てください。苦しんでるのは、あなた一人じゃありません。私たちも、時々それは感じていることにお気づきになると思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
正論を言って縁を切られたという出来事について、「言い方に問題があったのでは」また「そうなったのは自分を守るためだったのでは」というご指摘がありました。
思い返してみて、まさにその通りではとハッとしました。
縁が切れた知人は、マジョリティな意見のみが正しく、それ以外は受け付けないという考えを持っている方でした。
そして、マイノリティな意見を持つ側だったのが私でした。
私はその相手の方との共通の集団に居づらくなるのを避けるために、「多様な価値観や意見を尊重するべきだ」という考えを伝えたのですが、その際に相手の反論を真っ向から否定してしまった覚えがあります。
マイノリティな意見を尊重すべきだと主張していた私自身も、多様な価値観や意見を尊重していなかったなぁと恥ずかしく思います。
孤独との付き合い方についても、教えてくださりありがとうございます。
勧めていただいた「人に優しくする」ことと「ゴミを拾う」こと、まずはできる範囲で少しずつ心がけていきたいと思います。
また、「人に優しくする」ということについて考えてみたのですが、私は最近いつもピリピリしており、人に優しくする心の余裕がなくなっていたことに気づきました。
多くの気づきや反省を与えてくださるご回答、ありがとうございました。
まずは「人に優しくする」こと、そして、自身のいる空間を心地よくするということを心がけ「ゴミを拾う」。
これらを心がけていきたいと思います。
本当にありがとうございます。