子供の頃からの性質は変えられない?
親の遺品整理をしていたら、私の小学生時代の通知表が出てきました。
行動面の評価に、毎年「情緒不安定」とありました。
「三つ子の魂百まで」と言いますが、50歳を過ぎた今も、情緒不安定な自分がいます。
小さい頃からの性質は、努力しても変えることはできないのでしょうか。
最近、自分でも嫌になるほど、堪えることができません。
職場では、動かず無駄口ばかりの同僚に、常にイライラしています。
報告が無くミスに繋がった時、つい声を荒げてしまいました。
それ以来、昼休みは同僚たちと離れ、一人で音楽を聞いたり、読書して過ごしています。
自分の気分転換のためです。
みなさんイヤなことがあっても、それを表に出さずに我慢しているんですよね。
すごいなあ〜と本当に思います。
プライベートでも、ちょっとしたことで卑屈な気持ちになったり、悩んでも仕方ないことにクヨクヨしたり。
以前、友人に
「あなたは思ったことを、何でも吐き出せていいわね」と言われたことがあります。
今思うと、私に呆れていたんだと思います。
最近行くようになった趣味の店に、店主に対する無茶振り、弄りがキツイ女性がいます。
軽く口にする不愉快な女性と、苦笑いで返す気の毒な店主、この光景を見るのはつらいので、彼女と偶然会ってしまうとサッサと店を後にします。
長く同じ空間にいると、私から出る負の気持ちが、店の雰囲気を悪くしそうだからです。
仕事はそれに集中すればいいし、動かない同僚に腹立つのは私一人ではありません。
でも、プライベートで誰かと話すのが怖くなりました。
相手を怒らせまいと気遣っていますが、知らぬうちに怒らせてないか。
私が出した話題は、不愉快ではなかろうか。
これ以上イヤな自分を続けたくない。
情緒不安定な50代なんて、めんどくさくて恥ずかしい存在ですよね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私を乱しているのは、私自身ではなかったかな〜と心に問うてみる
ありますよね〜そういうとき。
私もですよ。常に、菩薩さまのように、穏やかではいられないときって、あります。
仏教では、それを「愚痴」といいます。
貪りや怒りという心。百パーセント自分目線でしか考えられない、自分勝手な心を愚痴といいます。
人は、常に自分目線でしか見れないけれど、相手には相手の考えや気持ちもあって。そこをちょっと考えてみたり、自分の価値観で善悪、優劣を決めていなかったか。
自分を乱しているのは、自分自身ではなかったかな〜と自分の心に問うてみる。
そういう心のあり方を、仏法は示してくださいますよ。
そうして、生きやすい私になっていきたいなって。そう思うのです(﹡´◡`﹡ )
質問者からのお礼
中田さま、ありがとうございます。
そうですね、自分の心の持ちよう一つで、周囲の風景がかわるのですね。
気付きをくださり、ありがとうございました