お参りの仕方について
こんばんは、毎日の生活のヒントにいつもハスノハのお話を参考にさせていただいています。
仏教には縁があまりなかったのですが、311の震災で被災し、お坊さんに親切にしていただき心が救われた事があり身近に感じるようになりました。
近所にお不動尊のお寺がありまして、そこは普段は誰もいないお寺ですが、縁日だけは開いていて、滝があってとても美しく大好きなお寺です。
そのお寺に毎日とはいかないまでも2日に1度はお参りしています。最近娘が精神的に不調をきたしてしまい、快復を願ってお参りしています。願いを込めてお酒を絶ったりしてみたりしています。
ですが、そんな事してみても関係ないような気もするし、娘は元気にならないし、お参りをしたところで、時折果てしなく虚しい事をしているような気がして、お参りをしたってなにも変化しないのかなと、単なる困った時の神頼み的な気がして、どうしようもなく涙が出てきます。
なににどう祈ればいいのかわかりません。
身近にはお坊さんも仏教徒もいません。
どのような気持ちで礼拝すればいいのかご教授いただけませんか。
仏壇には朝夕手を合わせていますがお線香を先祖にあげてるだけのような感じです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
純粋な祈りは必ず届きます
初めまして、今日は。
心からのお悩みを拝見致しました。物があふれお金さえあれば何でも手に入って見た目は裕福かもしれませんが、人との関わりが薄れていたり現在は様々な社会的の要因によって心が想像以上に苦しみやすい世の中です。
心の病には、絆創膏を貼って傷を治す事が出来ません。目に見えない心・・見えない心だからこそ、本人にしか苦しみがわからなく伝わらない、伝えられないもどかしさなどで難儀されている事と思います。結果をすぐに出す事ではなく、焦らずに、頑張って来たのですから”頑張れ”と言う言葉を決して言わないでください。娘さんは、揺れ動く心のはざまで必死に出口を求めているのです。
宗派、宗教、人種、国境・・祈りには壁も何もなく全てが繋がり一緒だと私は思っております。大切なのは、純粋な祈りなのです。仏さまは見返りが嫌いです。
これだけ祈ったのだから、絶対にご利益がある・・と言う心でなく、自分が!の”我”を捨て去り、周りの方の為に手を合わせて下さい。ご先祖様も一緒です。こうだからお願いします!!と言って祈ると・・ご先祖様もお願い事だけでお腹がいっぱいになってしまうのです。見返りのない、純粋な祈りが大切なのです。お仏壇はこの世とあの世の電話と一緒です。純粋に祈れば・・その祈る姿の側にスッと来て、祈る姿を見て微笑んで応えてくれます。
時が留まらないのと一緒です。その苦しみも動き出します。善きことを願い行動すれば・・必ず開けて来ます。人生はたった一度です。昨日でも、明日でもない、この瞬間を生きています。頑張るから疲れます。持続が出来なくなります。物事はほどほどが一番です。辛い時こそ、心を穏やかに。笑顔でほどほどにお過ごして欲しいです。
雪解けの春と同じで、必ず難儀されている出来事も解け心にも春が訪れます。
あなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように心よりお祈り致しております。
合掌
あなたの素直な気持ちを込めて
拝読させて頂きました。
あまり形にとらわれずにあなたのお気持ちを素直に仏様やご先祖様方に手を合わせてお伝えなさって下さいね。
一番大切なことは心を込めてお祈りなさることです。
形ばかりにとらわれて心がこもっていないのならば何の意味もありませんよね。
その近所のお寺様のお不動様にもお仏壇の仏様やご先祖様方にもあなたの素直な気持ちでお向き合いなさりお祈りなさって下さいね。
仏様も神様もあなたのご先祖様方も必ずあなたの思いをありのままに受けとめて受け入れて下さいますし、いつでもどこでもあなたやご家族の皆さんを優しくお見守りなさっていて下さいますからね。
質問者からのお礼
ありがたいお言葉をありがとうございました。
心を込めて祈る事、焦らずに待つ事、心の糧にしていきたいと思います。
いつも生活していてこれからの娘の事や自分の不安でいっぱいになってしまいますが、祈っている時が一番平安をいただける気がしています。
ただ快復を祈っていこうと思います
元気がでました。ありがとうございました。