南無阿弥陀仏と吃音 浄土真宗
僧侶の皆様はじめまして!初めての相談になります。ここ数十年間ずっと吃音に悩まされており、これをやれば克服出来るという情報を仕入れては(呼吸法etc...
試行錯誤しては全く克服出来ず、改善しようとすればする程酷くなってきて毎日暗澹たる気持ちでした。頑張って受け入れようと試みましたが仕事上では円滑に話す事を求められる故、自己嫌悪になり自殺も考えたりしました。。そんな今までの人生でしたが浄土真宗に出会い、本を読んだり住職様の歎異抄や真宗の教典ついて書かれたブログなどを読み、数珠を購入し京都の本願寺や実家の仏壇で念仏を唱えてるうちに、アレっ??阿弥陀様に任せるってこういう事か。。もうどうでもええやん!!急に安心というか力が抜けたような何とも言い難い安心感に最近包まれてます!!
こういうのって往々にして獲信ではなくタダの勘違いなんでしょうか。。??個人的には真宗についてもっともっと勉強したい、門徒の人と交流し現代の妙好人にも会ってみたいと思ってます。。
迷い
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阿弥陀様にお任せ出来て、良かったですね。
こんばんは。亀山純史と申します。
うーぶさん、阿弥陀様に自分自身をお任せすることが出来て良かったですね。吃音の原因はいろいろあると思いますが、私が思うには、自分では意識していなくても、過度の緊張等の状態が、吃音を生み出している要因の一つだと思います。でも、そのような状態の自分を、自分自身でコントロールしようとすることは、至難のことです。
しかし幸いに、そのような自分で自分をコントロールすることが出来ない私たちのために、阿弥陀様は働いておられるのですね。うーぶさんが、阿弥陀様を前に、自分自身の在り方に対して、「もうどうでもええやん!!」とは、阿弥陀様に今の自分自身をそのまま任せることが出来ている状態でしょう。「阿弥陀様にお任せする」とは、「私を今のままの私の状態で救ってくださる阿弥陀様に、今のままの私をそのままお任せする」ということです。つまり、阿弥陀様による救いとは、今のままの私に対しての救いであり、救いに先立って、私自身に何か条件が必要なわけではないのですね。
私たちは、様々なことに憂い悩みます。お釈迦様は私たちの憂い悩みを、四苦八苦にまとめてくださいました。そうして、阿弥陀様はこれらの苦しみに身を置いている私たちを、その苦しみから救おうとされて今現在、「南無阿弥陀仏」という念仏となって、私たちにはたらきかけておられるのです。
これからも、仏教、そして浄土真宗を人生の拠り所としていただければと思っています。