宗派の違う供養、海外の考え方はだめですか
昨年、父方の祖父を亡くしました。
先日、母方の祖父を亡くし、
葬儀を終えたところです。
今も悲しく辛いのですが、みなさま尽力してくださり、良い葬儀ができました。
今もそこで見守ってくれているような気がします。
おじいちゃんが大好きでした。
ずっと忘れたくありません。
お盆には必ずお墓参りをしますし、これからもそうします。
話は変わりますが、祖父たちの宗派をよく知らないのですが(無知ですみません。)
私も特定の信仰があるわけではありません(ごめんなさい)
私は死について考えるようになり、世界の考え方を少し調べました。
メキシコの死者の考え方がとても素敵だなと思い、
お盆には変わらずお墓参りはしますが、
11月も、写真を飾り祭壇を作り、祖父を思い出したいなと思いました。
そしたら年に2回祖父に会えるのでしょうか。
やはり、海外の考え方は、意味がないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良いと思います
お悔やみを申し上げます。
日本人はハロウィンをしてクリスマスをして、お寺で除夜の鐘をついて神社で初詣をしています。日本人の信仰はこんなに入り混じっているのに、まだらにならず、きれいに混ざりあい信仰されるのが良いところです。メキシコの「死者の日」をお祝いするのも良い事と思いますよ。ちなみに沖縄では二十四気の一つである「清明」(せいめい。沖縄では「シーミー」と読む)の日に、死者のお祭りをします。4月ですので、これもお祝いすれば、お盆と合わせて年に3回ですね。
ミルキーさんなりの御供養となれば、それでいいと思います
メキシコでそういう行事があるんですね。
私の寺の先代住職はブラジルで布教活動したことがあるので、ブラジルの日系人の方々とそこそこ交流があります。また、2回ほどブラジルに行ったことがあります。ブラジルでも11月2日を「死者の日」と言って、多くの人々がお墓参りに行きます。日系人の方々は「ブラジルのお盆」と言ってました。岡村淳さんというサンパウロ在住の映画監督が撮ったドキュメンタリー映画で「死者の日」の墓参風景を見たことがあります。夜に多くの人々が手にローソクを持ち行列する映像は、とても幻想的でした。
光禅師が回答で沖縄のことに触れてましたが、沖縄では門中墓といって一族みんなが同じ墓地に入る場合が多く、洞窟のような墓地の前に一族集まり食事をし泡盛を酌み交わしカチャーシーを踊る。そういう墓参りが一般的なようです。秋田県でも、お墓の前に家族みんなで座り食事をすることが多いそうです。
山形県庄内地方では、8月下旬に亡くなった先祖の霊を山に送る「モリ供養」という行事があります。いろんな地域でいろんな形で亡き人への供養が行われています。其々の行事、其々の参拝方法に相応の由来や意義があると思います。「みんな違って、みんないい」と思います。ミルキーさんにとって「メキシコの死者の日」が心に響くなら、それを取り入れてみることは大いに結構なことだと思います。
多くのお寺で団参(団体参拝の略称)といって、宗派の本山やいろんな名刹を参拝する旅行を企画します。私の寺でも、何年に1回の割合で企画して参拝旅行に行きます。参加者への挨拶で「参拝旅行は一種の武者修行です。自分の見聞を広め自分の信仰を深める旅です。禅宗には歩歩是道場という言葉があります。我々の歩く一歩一歩の其の場所が修行道場である、という意味です。この旅の行く先行く先を修行道場として下さい。尚、皆さんにとっての一番の修行道場では、皆さんの菩提寺である〇〇寺です。そのことをお忘れ無く。」と申し上げております。
いずれは、お祖父さまの菩提寺や宗派のこともしっかり学んでみましょう。
質問者からのお礼
とても、遅くなってしまいましたが、お返事ありがとうございます。
私なりの弔い、また、いずれは宗派やお寺についても学びます。
私事ですが、さらに続けて、父方の祖母、母方の祖母も亡くなりました。
仲の良い夫婦ってほんとに続けていってしまうものなのか。両祖父は、なんでも祖母にやってもらう、いわゆる昔のお父さん像そのものでしたから、一人じゃ困るよって迎えにきたのではと思っています。
今、四人の写真を仲良く並べています。