継承したお仏壇をどうするか・祀りかた
私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか?
一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。
結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。
養母はH19年7月他界。
お仏壇は養父が養母のために購入しました。
<宗派は浄土真宗・西本願寺>
養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。
当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。
今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、
お仏壇のことが気がかりです。
私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。
お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。
また、夫は長男で、下に妹2人居ます。
義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。
夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。
私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。
私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、
娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。
私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。
最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。
養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。
色々なご意見、頂戴できれば幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
家族にご負担にならないご供養を
初めまして、今日は。
ご結婚をされていなく一人暮らしだったり、先立だたれて一人暮らしになられた等、さまざまな出来事や、お子さまに負担にならないご供養が問題視されています。
お墓じまいや、お仏壇じまいなどは特に都心部では増えて来ています。
お子さまが居て、ご位牌やお墓を守る方がいらっしゃっていても、その出来事により負担を背負われるのである”ご供養”ですと、本来のご供養の意味がなくなってしまうと思います。仮に、100円ショップで購入した品物でもお仏壇は作れます。豪華なお仏壇などよりも、純粋な祈りが大切です。リビング仏壇なども現在はおしゃれなお仏壇もありますので、ご位牌を”先祖代々”とお一つに纏められては如何でしょうか?
私たちは、何百年と続くご先祖様や父母の血脈だけではなく、想いや願いが込められています。その出来事を決して忘れず、ご負担にならない”ご供養”をご選択頂きたいです。
純粋な祈りは、人種も、国境もなく全て、平等に時空も超えると思います。お仏壇は此岸というこの世と、あの世と言う彼岸を繋ぐ電話と私は考えています。手を合わせれば・・・ご先祖さまや愛した方がスッと側に来て、祈る姿に微笑んでくれると私は思っております。
あなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めます様に、心よりお祈り致しております。
合掌
かけがえのない場所
ご相談拝読しました。真宗大谷派の僧侶です。
ご先祖や、亡き身内は大事な存在です。だから写真はいくつ飾っていただいてもかまいません。それは素敵な事です。
でも、それと仏壇は本来は別物なのです。
先祖がいなければこの命はなかった。また、養父母といってもその存在があなたにとっての大事な親ですよね。親なくして今のあなたはいない。
ご先祖や親や身内を大事にすることは、今この命を大事にすることになるでしょう。
しかし、ではその命はそもそもなぜ大事にしなければならないのか?
いつか必ず死ななければならない命を一体どこに向かって何のために生きているのか?
その根本問題に応えてくれるのが宗教であり、お仏壇にご本尊として据える仏様の教えです。
身近で大切な人の死はこの根本問題を残された人に強烈に突きつけてきます。その命の終わりを通して、私たちが普段は考えないようにしているこの問いに向き合わせてくれるのです。
その時に、手を合わせる場所があるということはあなたにとって迷惑でしかなかったでしょうか?
お父様がお母様の亡き時に手を合わせ、そしてお二人の命終を縁としてあなたが手を合わせたお仏壇はどんな場所だったでしょうか?
本来はそのことを一緒に考える存在がお坊さんです。通夜葬儀から一連の年忌法要においてご法話はなかったでしょうか?一緒に仏様の教えや、仏壇の意味や、自身の生きる意味や、命の終わりとの向き合い方を共に考えてくださりはしなかったでしょうか?
そうでなかったのなら残念ですし、申し訳なく思います。
こうした問いは自分の思いの範囲内で考えても迷うだけです。その自分も死は避けられないのですから。
なので写真に手を合わせるだけでは間に合わない世界があると思います。私の思いを超えた救いを開くの宗教なのです。
現代は様々なタイプのお仏壇・ご本尊もございます。三つ折りのコンパクトなものや壁掛けタイプなど、リビングにも馴染むものもあるでしょう。
人は亡き後でしか残された者に伝えられないものがある。残された者は亡き人からでないと受け取れないものがある。
願わくば、そのための大事な場所としてのお仏壇・ご本尊を継承していただきたいと願います。
それは教えを聞くこととセットでなければ意味が薄れます。良きお寺さんとのご縁にも恵まれますことを。
質問者からのお礼
ご回答有難うございます。
柔軟な祀り方でもいいのですね。
型に囚われ過ぎる一面があり、どうしようかと悩んでおりました。
自分の病気と向き合い、一日でも長く手を合わせられるように頑張っていきます。
お言葉を掛けてくださりありがとうございました。