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みんな悟っていますよ。
しんさん、こんにちは。
有名人は誰が悟っているかですね。
あなたのいう「悟り」の内容が何を意味しているかわかりませんが、
自立してい生きている限りは、有名人も悟っています。生きて生活しているというこことは悟っているということです。それは私たちも同じです。ただし一部分の悟りであるため、煩悩に落ちることだってあります。それも私たちも同じです。
完璧に全部を悟ったらそれは仏さまになります。どれだけ自分を悟れるか。少しずつ学び、実践して、悟りを極めていくのです。
しんさんも、自分のできるところから悟りを極めて、一生かけて悟りの領域を広めていきましょう。お互い様にです。
合掌
「判断できません」
言葉と行動が一致していなければ、「この人は違うだろうな…」とは思います。
自分なりに「この人スゴイな…」とか「勉強になるな…」と、思う人(亡くなっている方も含め)はおりますが、その方が悟っているかどうか?…は、残念ながら私には判断できません。
判断できるだけの力量が、まだ自分にないからです。
『参学には正しい師匠を求めよ』というお示しに、以前私も、「未熟な弟子の立場で、どうすれば正しい師匠かどうかを見極めることができるのですか?」と、質問したことがありました。
その時の指導者の回答は…
「行いに照らし、常に求め続けよ」というものでした。
仮に「この人が悟った人です」…と、連れて来られた人がいたとして、それが本当かどうか?
…あなたには判断できますか?
修証一如
無情説法につきます。悟ったと思った時点で悟ってない。悟ってないと思った時点で悟っている。修行にこれでいいはありません。だからこそ悟りもこれでいいはありません。日々季節や天候が変わるように同じものがいつまでも止まっていないのです。竹に石が当たると音がします。桃の花は春になると咲くのです。あるがままを受け止める。でも、何らかの力が加わる。
悟っている人をつれてきたら、その時点で悟ってない
質問者からのお礼
ありがとうございます😄😄