昔のことを思い出しては落ち込みます
辛い思いをしました。
子供の頃から、言っていいことと人が嫌がることの区別がつかず、
褒めたつもりがけなしているように聞こえたり、冗談が通じなかったり、
端からみていると、コミュニケーションが子供っぽかったようです。
人の顔色が気になり、神経質な子供時代。
人も傷つけましたが、いじめにも合いました。
いじめられていることに、三年は気づかず、終わってから気づき、傷つく私。
警戒心が強い割りに素直に人を信じてしまいます。
恨まれるより恨んだほうがいい。
そう思いながら、遅れていじめに気づき、傷つく自分が嫌。
大人になり、警戒しても痴漢などの性犯罪に会い、
利用されてると気づかず友達だと思い込んだり、
そんなどんくさい自分が嫌。
なにも変わっていない気がします。
性犯罪者を恨み、かなり歪んだ顔で怒りっぽい日々をすごし、
その間に人にも嫌われました。
今では、恨んだ人のことは思い出しませんが、嫌われた過去が辛いです。
パワハラセクハラにも合いました。
ストレスで鬱っぽくなり、そのときの言動が勘違いされ、人と距離ができました。
今、以前より気持ちも明るくなり、仕事も変わってからうまく行き、
主人は、変わってきたしうまくやれているというけれど、
疲れがたまると、辛かった日々のことが勝手に思い出され、暗くなります。
何もかもうまくいかなかった日々や、傷ついた日々、傷つけた後悔など、それらで失った人や時間、ものをまた手にいれたい訳ではありません。
傷つけておいて、嫌われることをして失って当たり前。
楽しさに目が向くようになっても、
よき理解者がいても、
もう過去のことと思っても、
勝手に思い出され、辛いです。
人に怒りをむけたり、自分を責めたり。
ほんの一時だけでも疲れます。
このままでは、夫にも愛想をつかされます。
でも、怖くて、知り合いの笑顔の裏に、嫌いが隠れていたらどうしようと不安で、
友達もうまく作れません。
ありのままの自分が好きです。
嫌われてもいいと思いつつ、怖くて、心を開けません。
過去を終わらせて、今、目の前にある笑顔を信じたいです、
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
未来を意識し、心を整える。
Aster 様 相談ありがとうございます。
過去の事は、変えられないけど、解釈は変えられます。
嫌な出来事があっても、今、それがあって自分が成り立っているとしたら
過去は嫌な思い出だけじゃなく、必要な過程だったかもしれません。
あの時のあの体験が自分を強くした。
あの出来後に、冷静に対処できるようになった。
というような解釈です。
虐め、パワハラ、セクハラ等の行為を認めることではありません。
ただ、解釈を変えるだけです。
さらに、「今、以前より気持ちも明るくなり、仕事も変わってからうまく行き、主人は、変わってきたしうまくやれている」ことを素直に受け入れれば、よりそう思えるでしょう。
過去を終わらせるという意識がハードルを高くして辛くしているようですから、
意識をそらして、現状を受け入れて、
さらに未来にどうなったら良い!どんなふうに成りたい!何がしたい!に
意識を向けて、成りたい自分、やりたいことを、常に思う事をしてみましょう。
そして、成りたい自分になった。やり切った。できた。という未来を想像でいいので、心と体全体でよく感じてみてください。瞑想するように。
そうした時に、過去は一つの出来事して客観視もできるでしょうし、今の笑顔も信じることが出来るでしょう。
未来に意識を向けてみるという事を心がけて見てください。
心はコロコロ動くので、制御が難しいかもしれません。
息を調えて、出る息、入る息に集中して、深くゆっくりとした呼吸をして、瞑想して、心を整えていけば、成りたい未来に集中できると思います。
試してみてください。
一礼
質問者からのお礼
ありがとうございます。
未来に目がむいていなかったように思います。
明るい未来を考えて生きていきたいです。