人の幸せを喜べない
友人、周りの方々の幸せが妬ましく感じてしまい…まったく喜べません。
なんて小さい人間なんだろう…と
何度も何度もプラス思考に考えました…
でもダメでした…
正社員で働いているママ…私はパート
旅行に行ってる家族…お金があっていいな…
出産した友達…私はいつも子どもたちにイライラしちゃってる…
他人と比較してしまう自分が嫌なのに…どうしても比べちゃう…
自分が満たされてないからなのでしょうか?
でも、自分が満たされるってなんだろう…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問ありがとうございます。
そういう時ってありますよね。
ただ思うのですが、世の中は相対評価ばかりだけど、絶対評価で見る方がいいですよ。
周りの人よりお金があるから幸せ、周りの人より自由な時間があるから幸せ、周りの人より休日が多くて幸せ、周りの人より子供が多くて幸せ、などの相対評価では大切なものを見失ってしまうのです。
それよりも、なんとか生活できるお金があって幸せ、生きることができて幸せ、子供と巡り合えて幸せ、など周りと比べない絶対評価で物事を見てみると幸せなことは沢山あると思いますよ。
生物が住める地球があることは宇宙の中でもあり得ないほどの奇跡、微生物から人間が誕生したことはあり得ないほどの奇跡、先祖代々命が繋がってきて自分が今この世に生まれていたことはあり得ないほどの奇跡、パートナーと出会い目の前の子供達と出会うことはあり得ないほどの奇跡、この奇跡を幸運と言わずになにを幸運と言えるでしょう。
そのように考えてみてくださいね。
お子さん達が明るく健やかに育ちますように。
幸せの条件
本当にあなたのいうこと分かります。「隣りの庭は青く見える」というように他人が特に笑顔で楽しんでいる様子は非常に平和の表れですし、幸せに見えて仕方がありません。私も同感です
ここで提案です。①正社員で働いているママ、旅行に行ってる家族、出産した友達
の短所を観ていきましょう。
正社員・・・時間外労働が多い。仕事量が多く自分の時間が持てない。
家族で旅行・・・家が一番落ち着く。やたら出費がおおい。
出産・・・子供に使う膨大なお金、出産祝いのお返しが面倒
このような良いこと悪いことをすべて背負ってもあなたは彼らが幸せに見えますか?
②幸せが嫌ならそんな言葉自体要らない
私は笑顔や楽しさが幸せならその反面でそれに不快な思いをしている人もいることも事実なのです。それは本当に全体が幸せな事なのでしょうか?人の幸せは人それぞれ、仕事をしている時が幸せと感じる人もいれば。休日に趣味に没頭することが幸せと感じる人もいます。旅行が幸せな人もいるし、家でゴロゴロする人が幸せな人もいます。幸せなことも毎日24時間365日しても良いよと言われると疲弊して嫌になります。それが幸せと感じなくなる時もあるのです。
私は言いたい。幸せという言葉に囚われ、自分の苦しみを作り出す原因となるなら、そんな言葉はいらない。幸せは忍耐が必要となります。その時に「その忍耐を超えたところに幸せが待っているのよ。」という人がいます。忍耐が必要となるならこれは幸せに非ず。幸せという言葉は死ぬ間際にしか使ってはいけないという法律でも作らない限り、この言葉は独り歩きしてしまい多くの人が路頭に迷います。
死ぬ前にあなたが「嬉しかった事、楽しかった事、辛かった事、悲しかった事等々、色々遭ったけど私は幸せだったわ。」と云えればそれは幸せなのです。その時まで「幸せ」という言葉を温存していて下さい。ベンチに待機。スタメンから外してください。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
相対評価…その通りだと思います。
すぐには無理かもしれませんが、絶対評価の見方、考え方が出来る人になりたいと思います。