不登校、学校に行くということ
私は今、1ヶ月学校に行けていません。
いじめがあるなど明確な理由があるわけではありません。
学校へ行く意味を少し見失いました。
病院では適応障害と自律神経失調症との診断でした。心配してくれる友達や家族への申し訳なさもありそろそろ学校に行こうと思っているのですが、朝になると怖くなっていけません。
久しぶりの学校、周りの視線、、いろいろありますが頑張りたいです。背中を押していただけませんか??(>_<)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私は登校拒否の草分けです。
京子さん、こんばんは。
私にとって、中学・高校時代はあまりいい思い出がありません。
今から30年以上前のことでしたが、
中学は「校内暴力」で渦巻く状態で、私が通っていた中学は、
何度も新聞やテレビで騒がれました。
高校になると、私自身第一志望でなかった学校でもあり、
あまり行く気にはなれませんでした。
これに加えて、いじめにも遭いました。
結局、高校1・2年の2年間で、200日以上欠席しました。
時間数の少ない授業だと、
あと1日欠席すると留年というとこまで行き着いていました。
良い思い出ではないのだけれど、
今は笑ってあの時のことを話すことができます。
京子さんも、いつかはそんな日が、必ず来ます(´ー`)。
登校拒否してた頃、すごく悪いことしてるような錯覚に陥ったりしました。
両親も心配しますからね。
でも、あの時はあの選択肢しか見つからなかったということです。
京子さんの場合、私のケースとは違うけれど、
申し訳なさをして悪いことしてるな…と思う気持ちは、
30年前の私と同じですね。
久しぶりの学校って、やっぱり緊張もします。
私もそうでした。
保健体育があと1時間欠席したら留年と告げられ、
高2の3学期、1月の半ばから通い始めたかなあ…。
京子さんも書いてられるけど、心配してくれる友達がいるのなら、
こんな嬉しいことはないです。
私にもいました。
「お前にヘンなことするヤツおるけど、気にせんと来いよな」
と励ましてくれる友人が一人いました。
登校を再開した私にとって、やはり辛い学校生活でしたが、
彼のその一言で、どれだけ気分が晴れたことか…。
頑張ろうという気持ちがほんの少しあるのなら、
それに賭けてみては?
でも、やっぱり辛い…と思ったら、ムリして登校する必要はないですよ。
あまり思い詰めることの方がいけないよ。
のんびりチャンスをうかがえばいいのですよ…(^^)。
普通って誰なんだろう?
私が学生時代良く分からなかった事。
それは「普通」ということでした。
普通の子って、クラスの中で、誰の事だろう?
あの子かな?この子?イヤ、この子もフツーじゃないよな。
フツーの子なんていないじゃん。
アタシもフツーとは言えないと思う。
という事は、みんながそれぞれバラバラであることの方がフツーじゃん。
おおいに自信を持ってください。
フツーの子なんていません。
表面的には普通に観えても内面はみんなバラバラ。
先生の前でうまくやれるこが上手な子。
友達の輪に溶け込んでもただ単に一人でいる勇気が無いだけ。
あなたは普通でなくていいです。
ちなみに私は特殊で変わりものでした。
みんなコーチャーという学校指定の靴を履いている中一人だけカンフーシューズを佩いていたリアルアジアンカンフージェネレーションです。
それが今の私を作っています。それでよかったとも思っています。
自分が楽しい事、楽でいられるコトをしていればいいです。
でも少しずつ、オフィシャルな一面も養うことは大事。
周りに合わせようとしなくてもいいんです。
自分だけの目線プラス、すこしずつオフィシャル。
でも、あなたはあなたが楽なように。
良いと思いますが
不登校をあまり気にする事は、無いと思います。
私達はどうしても、世間のルールに乗っていないといけない様に思いがちですが、色々な経験をするという事からすれば、大切な時期に来ている様に思います。
今の日々を大人になる大切な時期だと思い、日記でも残されてはいかがでしょうか。
いつか、その日記の大切さが分かる時が来る様に思います。
是非とも今の自分に自信を持って、堂々とお過ごしください。
ちなみに御釈迦様は、元ニートですよ。
あえて
京子さま
なごみ庵の浦上哲也です。
お寺にお参りに行くのはお好きでも、なかなか学校に足が向かないようですね。
行きたくなくて行かないのではなく、はっきりした理由が無いのに行けない。頑張りたいのに行けない。それはとてもつらいことだと思います。
病院で診断を受け、「適応障害と自律神経失調症」と言われた時にはどう感じましたか。
不安になったでしょうか? それとも自分がどういう状況なのかがわかってホッとしたでしょうか?
あまり無理せず、地道に進んで欲しいと思います。あえてこの言葉を使いますが、一歩一歩がんばって下さい。
でも、がんばって勇気を出して学校に行っても、「なんだよ、お前、何しに来たんだよ」なんて嫌なことを言われるかもしれません。反対に「あ! 久しぶり! 会いたかったー!」と嬉しいことを言われるかもしれません。
どちらも有り得ると覚悟と期待をして、じっくり歩んで下さい。
「中道」
京子様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
学校へ行く意味を少し見失われて不登校になってしまわれて、適応障害と自律神経失調症との診断もおありとのことにて、医師や家族、先生、友だち、何よりもご自身の調子と相談しながらにて少しずつ復帰を目指されていかれましたらと存じております。
拙生は、「不登校」とは逆に「絶対登校」となり、実は小中高の12年間、無遅刻・無欠席・無早退でございました。中高では野球部のクラブ活動もしながらにて、我ながらよく頑張れたものだと思いましたものの、その無理なクソ真面目さが災いしてか、その後、胃潰瘍となって体調を崩したり、大学入試に失敗したり、大学生活も中途半端になったりと、やはり反動が参りました・・
仏教を学ぶようになって、何事も無理なくパランス良くが大切であると改めて思っている次第でございます。
仏教的な難しい言葉で言いますと「中道」となるのですが、とにかく無理できないならば無理しないことです。当たり前のことですが・・
例えば、琴の弦は強く絞めすぎると、やがて弦が切れてしまって音が出せなくなってしまいます。かといって、絞めるのが弱すぎると弦はゆるんでしまって音が出なくなってしまいます。強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところで琴の弦は丁度良い音が出ます。このように、加減をしっかりと推し図りつつに、無理せずにご自身のペースで取り組んで頂けたらと存じます。
また、どうしても他と色々と比べてしまうことで、自分を卑下したり、自己嫌悪に陥ったり、無理に自分を追い込んだりしてしまうかもしれませんが、「比べる」ことは意味が無いとだけ、今はとりあえず思って頂けましたらと存じます。「比べる」ことに関しましては、これまで過去問答にていくつか扱わせて頂いております。やや難しい内容もございますが、宜しければ参考にして頂けましたらと存じております。
あと余談ながら・・日本全国に色々な居場所づくりについて取り組んでおられて、前回の都知事選挙にも出馬された連続起業家の家入一真氏のご著書を読まれましても何か得るところがあるかもと存じますので、ご興味がございましたら是非に。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
>釈 友明様
少し考え方が楽になりました(^o^)
学校に行ってないからこそ学べることを探して少しずつ復帰したいと思います!
>藤波蓮鳳様
学校に行ってみました(^o^)といってもほぼ保健室ですか・・・保健室に行くと、同じく保健室で過ごしている子と仲良くなれたし、休憩時間には友達が来てくれたし、、周りの人の暖かさを実感しました。
少しずつ復帰していきたいと思います!
ご回答、力になりました。ありがとうございました(*^^*)
>丹下 元覚様
お礼遅くなりまして申し訳ありません(>_<)
普通なんてないですよね、、
それが認め合える人が見つかるように自分もいろいろな人を受け入れられるようにしたいです。
ありがとうございました!
>浦上 哲也様
確かにお寺は大好きなのに学校へ行く足はとても重いんです(笑)
行ってみたところ優しい言葉をかけてくれるひと、何も無かったかのように接してくれた人など、、たくさん優しさに触れた気がしました。
少しずつ元の生活に戻していけたらなぁと重います。ありがとうございました!