悪口、陰口、噂話は言ったもの勝ち?
こんにちは。相談させてください。
学生の時も感じていたのですが、社会人になってとても強く感じることがあります。
悪口、陰口、噂話をする人の方が支持をされ、悪口、陰口、噂話をされた方は信頼もなくなり批判をされると言うことです。
いじめの因果応報とかも無くこの世は悪口、陰口、噂話を言ったもの勝ちなのではないのかと思うほどです。
いじめた人は笑って暮らしいていじめられた人は辛く暮らしているなんてよく聞く話です。
悪口、陰口、噂話をしないようにしていても損をするばかりです。どうしてでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悪口を言わずには生きられない人が?
こんばんは。悪口の類は「その人には、そう見えた」という表明であって、「悪口を言われる」こと自体は、誰にだってあり得るのです。首相の悪口を言うこともできるし、自分の親や娘の悪口を言うことだって、自分の悪口を言うことだってできます。
そこから考えられることは2つ。「言われても、”そんなことない”と言える自分でいることが大切」と考える。言われて「その通りだな」と思うこともあるでしょうけれど、それは「自分の次のステップ、きっかけ」を貰ったと捉えることができれば有り難くさえありますよ。「自分にはその積もりもないし、ただの言いかがり・誇張だ」と考えるなら、捨て置きましょうよ。
そしてもう一つは、「この人は、悪口を言わずに生きていけないほど苦しみを背負ってるんだな。何かストレスを抱えてるんだな」という理解です。教育では、「周りを困らせる子は、既に本人が困っている。苦しんでいる」という見方があります。「困ったチャンは、すでに本人が困ってる」という訳です。本人が穏やかでいられない苦しみを既に背負っていて、体に溜まってしまった毒を吐かずにはおれない。仏様であれば、そう見ます。坊さんである私達も、そう見ようと心がけます。
あなたが「坊さんの、仏教の知恵を借りたい」と思うなら、この後者の見方を練習してみてはいかがでしょうか。
良い出しをしたものが本来の勝利者。
さくら 様 相談ありがとうございます。
生きとし生けるものの生き方として、感謝と良い出しをしたものが勝ちだと思います。命があり、今生かされていることに感謝し、他人を尊重し、他人も自分と同じように生かされていて感謝している存在だ!と思って、良い面を認め「私はあなたの○○が良いと思います」と私メッセージで伝える(これを良い出しと言う)事が出来るのが、本当の生き方で、勝利者だと思います。
確かに、噂をされて、虐められたら辛くて、苦しくてそんなことを思える状況にないかもしれません。
しかしながら、自分の命は自分で輝かせなければなりません。その為に、いじめを受けたら、速やかに、信頼のおける第三者や対処してくれる所へ行き、環境を整えてもらう必要があります。いじめで苦しく他人に左右されていては、命は輝かず感謝の心は起きてきませんから。
温かな心には、優しさが溢れてきます。思いやりの心には愛情が溢れてきます。
感謝の心には「ありがとう」の言葉が溢れてきます。
この事を心がけていただいて、噂や陰口を気にせず、虐めには信頼できる人に対処してもらって、暖かな柔らかい佇まいでいてください。きっと良い出しの出来るような変化が訪れますから。
一礼
質問者からのお礼
釋 孝修様
最近、悪口陰口噂話をしてくる人に私メッセージを送っていなかったり感謝を忘れている事があったなと反省しました。
自分の命は自分で輝かせる。人に左右されない。などなどとても勉強になりました。
また嫌な感情が込み上げてきたときここに戻り読み返そうと思います。
お忙しい中ありがとうございました。
佐藤 良文様
悪く言われて該当するなら直す、該当しないなら気にしない。その通りですね。
私の知らないところで相手はストレスを抱えていたり苦しんでいるんだなと思うと、相手にも優しくできたり大事にしようとできたりする心の余裕のようなものができる気がします。
また心の余裕のようなものが無くなってきたりしたらその度に戻って読み返そうと思います。
お忙しい中ありがとうございました。