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真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

はじめて質問させて頂きます。
プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。
それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。
しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。
その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。
それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。
両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。
両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。
私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。
どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。
ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。
どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おはようございます。

ご質問文拝見しました。

ご質問の「お釈迦様」と「大日如来・阿弥陀如来」の違いについて
私がお勤めしている阿弥陀経、観無量寿経、無量寿経に共通することとして、諸仏の世界はお釈迦様の説法を通じてお弟子さんに伝えられ、そのお弟子さんたちが記録された説法や説法の解説書が中国、百済を通じて日本に伝わった。
と聞いています。

乱暴な言い方で申し訳ないですが、お釈迦様存命の時は「伝え手」というお立場が
強かったように思います。
涅槃のときもお釈迦様自身でなく仏の法を依りどころとするように話されたと聞いています。

後のお弟子が敬いと尊さで如来と讃えた関係なのかなと思うことがあります。

同じひとつのリンゴの木に成る実の色や形も差異があります。
同じ土穣に落ちた種も芽や根、幹や枝、花や葉、実など、違う形に育ちます。

覚ばん上人という方が、真言と浄土のことを研究されていたと聞いてますが、私にはまだ難しく、わからないので部分が多いです。

私は真宗の末席に僧籍を置く身ですが、尊敬する真言宗の素晴らしいお坊さんは何人もいます。

仏教の世界は深いです。

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

質問者からのお礼

泰庵様
さっそくお答えを頂き、誠にありがとうございました。

「お釈迦様存命の時は『伝え手』というお立場」
「のちのお弟子が敬いと尊さで如来と讃えられた」
リンゴの木に成る実のお話。

どれも私にとって大変わかりやすく、心から素直にうなづく事ができ、迷いが晴れました。
私はまだまだ歩み始めたばかりですが、仏教の奥深さを日々感じております。そしてその教えに出会えた慶びに感謝して、忘れないよう離れないよう生きていきたいと思っています。

そしてご住職の書かれた、伝えたい事、願う事も拝見しました。
「まずは心身が健やかでありますように。
助けてがちゃんと言えますように。」のお言葉には、思わず声をあげて泣いてしまいました。

今回こうしてご縁を頂きました事、本当にありがとうございました!
これからもご自愛下さり、ますますご活躍下さいますようお祈り申し上げます。

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