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仲良くしていたおじいさんが亡くなりました

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仕事の関係で知り合って、プライベートでも仲良くしていたおじいさんが亡くなっていた事が、最近判明しました。享年93歳でした。

私は旅行の添乗員をしていて、ツアーでご案内したあるおじいさんと、仲良くなり、プライベートでも食事に行ったりしていました。

おじいさんも私の事を気に入ってくれ「3か月に一回は会いましょう」と言ってくれ、自分では入れないような高級レストランに何度もつれて行ってくれました。

そんな感じでしたが、2012年に入ってからは連絡の間隔があき、何度か携帯電話に着信があったけれども、こちらも仕事で忙しく、そのまま折り返しするのを忘れたりしたこともありました。

おじいさんから年賀状をもらったりもしましたが、私は旅行業従事者で、年末年始が年で一番の繁忙期のため、つい年賀状を送るのをさぼったりもしていました。

2013年の5月、なぜだかどうしてもおじいさんと連絡を取らないといけないような気がして、遅すぎる年賀状の返事を出しました(年賀状と言えないですね・汗)

ハガキを出したらおじいさんから電話がありました。でも何だかとても様子がおかしかったので、大丈夫かな、とは思ったんです。(通話履歴を確認したところ、2013年の5月18日でした)

その後連絡がなく、心配だったので、忙しかったけれど、今年は頑張って元日につくように年賀状を出したのですが、返事がありませんでした。
そしてつい昨日、夢におじいさんが出てきたのでもしかして…と思い現役時代に勤務されていた新聞社の会報の訃報欄を調べてみたら…

2013年の5月24日に亡くなっていました。

こうなると色々考えてしまいます。いくら繁忙期だって、一枚くらい年賀状を書けたんじゃないか、何度か着信があったのに、折り返しを忘れてしまったこと、もう少し積極的にこちらから連絡しても良かったんじゃないか…などなど。大変失礼ながら、知り合った時点で高齢だったので、いつ亡くなってもおかしくないと分かっていたのに、行動に移さなかった自分に後悔です。今となっては遅いですが…

私はこれからどう気持ちを持っていったらいいでしょうか?アドバイス願います

2014年3月6日 3:04

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あしながおじさんの遺意

あなたも見ず知らずの人に何らかの形で尽くしましょう。
あなたが提供できる幸せを形にすることです。
この世の中の仕事は誰かの何かの役に立っています。
仕事や小さな幸せ提供を一つずつ重ねて言ってください。
それが報恩の行です。一行、一行ずつの千手観音行です。
このタイミングなら、この状況になら出来る、と思える機会が毎日現れます。
それを行うことです。菩薩行とも申します。
世の中の人はおよそ自分の家庭、家族、職場、自分のサークルにしか利益になる事を提供しないものです。
かの足長おじさんのように、自分の為でもなく、相手の為でもなく、さらに大きな幸せサークル活動の為にあなたも誰かさんを精神的に、経済的に支援してあげてください。
あなたと同じ気持ちを持つ方がたくさん増えればこの世はもっと素敵な世界になるのですから。しあわせはつくれるんです。

2014年3月7日 5:28
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

仏さまとして生きている

ちほさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

60歳ほども年齢が離れていた方と、友人のような付き合いをされていたのですね。しかし忙しさにかまけているうちにお亡くなりになっていた。もっと何か出来たのではないか、と悔やんでいらっしゃるのですね。

でもそのおじいさんは、孫のようなお嬢さんと友人になり、楽しい時を過ごせたのではないでしょうか。また、亡くなる6日前に話すことが出来たのですよね。親子や祖父母・孫の関係でも、亡くなる時に立ちあえるとは限らない、それどころか何ヶ月も何年も連絡をとってなかった、ということも多々あります。
そう思うと、おじいさんとちほさんの間には、確かなご縁が繋がっていたのだと、私は思います。

そしておじいさんは、仏さまとなってちほさんに大切なことを教えて下さいましたね。きっとこれから先、ちほさんは大切な時に大切な方に会ったり連絡したり、と配慮できるようになるでしょう。
それが良い結果を招いた時、ちほさんはおじいさんを感謝の念とともに思い出すでしょう。その時こそ、おじいさんは仏さまとして生きている、と言えるのではないでしょうか。

2014年3月13日 23:29
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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

自分ができる事を考えましょう

ちほさん。こんにちは。誕生院執事山口ともうします。
私にも似たようなケースがあります。
〇お世話になった方に久しぶりに電話したら、つい一週間前に亡くなられていました。
〇久しぶりに話をした友達が、2時間後に自ら命を絶ちました。
友達が亡くなった時は本当に悩みました。ちほさんのように自分を責めました。なんで!助けられなかったのか!気づいてやれなかったのか!それで自分ができる事と考えた時、やはり供養してあげるしかないと思いました。
現在、友達の事故からは約30年なりますが、お盆、お正月、ご命日となるべく時間をつくってお墓にお参りに行くようにしています。もし、お墓が解らない場合は、知り合いや近くのお寺の本堂の前でその方の事を思って手を合わされたらどうですか!
私は、必ず仏さまのご加護をうけ、気持ちも徐々に和らいでいくと思います。私がそうでしたから!

2014年3月6日 16:09
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有り難し
おきもち

山口光玄
昭和39年9月14日生 新義真言宗大本山誕生院執事 社会福祉法人覚鑁会...

「散る桜 残る桜も 散る桜」

ちほ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

そのおじいさんとのご縁、本当に不思議なものでありますよね。ご縁深くあった人とのお別れ・・誠につらいものでございます・・

お別れの苦しみ・・これは八苦の一つ「愛別離苦」となります。

「愛別離苦」に関しましては、下記問いにおきまして、「愛別離苦」へのアプローチ、として簡単に回答させて頂いております。

問い「友人の死について」
http://hasunoha.jp/questions/91

無常の風に吹かれ、死は誰にでもいつかやってくるものでございます。

ほんの数日前まで綺麗に見事に咲いていた桜も、昨日今日と春の嵐が参りまして、一気に散りゆくこととなりました・・

桜が散りゆきますと・・

良寛禅師・・「散る桜 残る桜も 散る桜」

親鸞聖人・・「明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

この二句の内容を想うところとなります。

一本の桜の木をこの世、桜の花びらを人に例えますと、縁ありて共に過ごす者同士、しかし、無常の風が吹く度に、一つ一つと散りゆくことになり、やがて残る者はいなくなります・・

人の命の儚さ・・儚いという字は人の夢・・誠にこの人生、あったのかなかったのか・・夢のようなもの、幻のようなものでございます。

このような中ですので、尚更にも一期一会のご縁を大事に致したきものでございます・・

おじいさんとのこと、少し後悔おありのご様子ですが、この度はしっかりと御供養の想いを寄せて頂いて、ご冥福をお祈りして頂けましたらと存じます。その想いはきっとそのおじいさんに伝わり、善き縁となりておじいさんの為となることでしょう。

ちほ様もこれから色々な方と様々なご縁がおありであるかと存じます。この世は「縁」によりて「起」こっている「縁起」として成り立っている世界でございます。「縁」を大切に生かされてあるこの人生をお過ごし頂けましたらと存じております。もしか致しますとこの度は、おじいさんからそのことを学ばせて頂けたのかもしれませんね。そのようでございましたら、誠に有り難しでございます。

川口英俊 合掌

2014年4月6日 8:14
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

使い方をイマイチ理解しておらず、お礼がこんなにも遅くなり申し訳ございません。亡くなった事を知った時はショックで思考能力が落ちていたのですが、あれからずいぶんと色々思い出しました。
今までは、電話するとおじいさんの方から「では、会いましょういつ?」と具体的に日時を決めてくれていたのですが、ここ2年くらいは「会いたいけど、忙しくてねぇ」みたいな感じでした。旅行大好きなおじいさんなので、そんなもんか、と思っていましたが…健康自慢のおじいさんなので、健康じゃない姿は見せたくなかったのかもしれませんね。
そう思うと、少し楽になりました。ありがとうございました

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

震災で亡くなった母の気持ち

3月11日震災の日が近く、ある女性の手記を目にしました。その女性はお母さんと一緒にいる時に津波が来て逃げようとしたところ、お母さんは瓦礫に挟まり身動きが取れなかったそうです。 でも津波はどんどん迫ってきて、女性はお母さんを置いて逃げる事しかできなかった。その気お母さんは、「待って!行かないで!助けて!」と、ずっと叫んでいたそうです。女性は「ごめんなさい…ごめんなさい…どうか許して…」と、胸を引き裂かれる思いで避難したとの事でした。そしてお母さんは遺体で見つかったと…。 9年経つ今でも、ずっとお母さんの声が頭から離れず苦しんでいらっしゃいます。一緒にいてあげれば良かったのか、何とかできなかったのか…という思いが何度も押し寄せるそうです。 少し話は違いますが今まで質問させて頂いた通り、まもなく私には赤ちゃんとお別れした日がやってきます。それに加えて震災でのこうした手記などを読み、最近は命や魂が救われているのかをよく考えます。 この世に生まれる事なく空へ帰った赤ちゃん(水子様)は一切の恨みや煩悩は無く、私などが思うより限りなく純粋な魂であり、母が幸せに前を向いて生きていく事を望んでいるとハスノハで学びました。本当に尊いです…。また、煩悩などは生まれてから大人になるにつれて身に付くものだとも学びました。人間には生きたいという本能があると思います。だから女性のお母さんは、そう叫んだのだと思います。 赤ちゃんはこうした気持ちは持っていないかもしれません…。でも女性のお母さんの魂や思いは、仏様に救われているのでしょうか?本能でその瞬間は助かりたいと叫んだのだと思います。でも、娘さんである女性がずっと苦しむ事を望んでいるわけでもないと思うのです…。女性が間違った行動をしたとは思いません。自分の事もお母さんの事も、助けようと必死だったはずです。私なんかがとてもおこがましいですが、自分とリンクして考えてしまいました。赤ちゃんを助けたかった、本当は自分が死んでもいいかは産んであげたかったです…。それができなかった酷く愚かな母です。 でもそんな私を清らかな赤ちゃんは受け止めてくれていると学びました。女性のお母さんも今は救われているのでしょうか?女性を恨んだりなどしていないと信じたいです。 長々とすみません。色んなご意見をお聞きしたいです。

有り難し有り難し 8
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母が亡くなりました。後悔ばかりです。

つい先日、最愛の母が亡くなりました。 約8年前に乳癌がみつかり、すでにステージ4。 自分はいつも後まわしの家族思いの母は、私や姉、父の入退院で大変だったこともあり、自分の体調変化をわかっていながら病院へ行くのが遅くなりました。 母にとっての宝物は家族。 娘や孫のために長生きするとツラい治療を頑張ってくれていました。 ひ孫も産まれ毎日楽しく暮らしているなか脳に転移し、手がつけられないと医者から告げられ入院して10日で亡くなりました。 優しくて、家族が大好きで、我慢強くて。明るく、常に前向きで、母の口から誰かの悪口や弱音も聞いたことないような素晴らしい人でした。 病院では、母が『私もう長くないね…』って。涙が止まらずにいる私に、自分が1番ツラいはずなのに私の涙をふいてくれて『泣かないよ』って。 母は、『私は幸せだった~』って何度も言ってました。私が『貧乏で、お金なかったのに?』ってきくと『良い娘、孫、ひ孫に恵まれたから、私は幸せだった~』って言ってくれるんです。 『生まれ変わってもまた私の娘で産まれてきてね』って母は言ってくれました。 私と姉が出来るのは、亡くなるその時を、ひとりにさせないこと、そして痛み苦痛がないようにでした。母は寂しがりだったので。最期は母は自ら、家族写真を手に取り、大好きな孫に手を握られ、家族に見守られ亡くなりました。 亡くなったあとも私は後悔ばかりで涙が止まらず前に進めません。 私がはやく脳転移の異変に気付いていれば。体の不調を言ってくれてたのに。どの医者に言っても脳転移は誰も分からなかったようで。でも私が何度も医者に言えば良かったのに。家に帰りたいと言う母、病院に連れて行かないで家で看とり出来るようにしてあげれば良かったとか。 ひ孫と遊んでいる幸せな母の顔を思い出しては、なんで助けてあげられなかったんだろうと後悔ばかり。 母は、家族一人一人に手紙を残してました。 家族の心配と、自分が病気になって迷惑をかけたという内容です。 私はもちろん家族も迷惑かけられたなんて一度も思ったことありません。 家族にとって母は、大きな大きな存在でした。 私は自分が大好きな母を殺してしまった気持ちから抜けられず、寂しくて悲しくてツラくて。 私を信じて一緒に治療を頑張っていてくれた母。私のせい…。。

有り難し有り難し 40
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おじいちゃんに何もできなかった。

初めまして。1人で夜中に何時間も考え悩んだ末に、投稿させていただきます。 僕は昔からおじいちゃんが大好きでした。実家の横が祖父母の家なので、頻繁に通い、祖父にとても優しくされた記憶が今でも鮮明に蘇ってきます。 そんな中、高校進学を機に部活等々で忙しくなりあまり顔を出すことが出来なくなりました。ちょくちょぬ顔は出してはいたのですが、これといって特別なことをするわけでもなく時間が過ぎていきます。 高校卒業後は、海外の大学に行く予定でしたので、さらに会う時間が減るのだろうと思っていた矢先、祖父の体調が悪化し(肺炎、肺がん)、渡米3ヶ月前には病院のベッドから起き上がるだけで精一杯の状態へ。 昔から力強く優しい祖父を見ていたこともあり、その段々と弱っていく姿を見るのがとても辛かったです。 渡米前日のことです。今でも鮮明に覚えています。その日病院へ行く前、母親からは「最後の顔合わせになるかもしれへんけど、ありがとうはまだ言わんといてな」と言われました。 病室に入るといつも通り会話をしていたのですが、今まで僕の前で泣いたことのなかった祖父がいきなり泣き崩れました。「いかんといてくれ」「ずっと日本おってくれ」と。 心の準備は出来ていたと思ってましたが、全く出来ていませんでした。 結局、祖父は僕が日本にいない間に亡くなってしまい、亡くなる時立ち会えず、葬式すら参加することは出来ませんでした。 既に一年以上経ちますが、後悔しかありません。 なぜあの時に、日本に留まる決意ができなかったのか。なぜあの時にありがとうすらいえなかったのか。なぜ、僕はこんなにも祖父に対して何もしてあげられない孫なのか。 僕以外の家族は、既に心の整理ができているようなので、これを相談すると、また悲しい空気が生まれるのではと思い相談すらできません。 祖父に感謝の言葉すら、かけることができませんでした。最後の顔すら、見れませんでした。何もしてあげれることが出来ませんでした。 この後悔は、どうすれば良いのでしょうか。最近、祖父に謝るために、いっそ死んで会いに行った方が良いのでは?とも考えてしまいます。 僕は今から亡くなった祖父に出来ることはあるのでしょうか。何をすればこの後悔を和らげることが出来ますか。 回答、よろしくお願い申し上げます。

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母の死の後悔

今週月曜日に心筋梗塞による心不全で母が亡くなりました。 母は、要介護2で、ある程度家の中を歩くことはできましたが、軽い認知症でした。私は、腎臓病でこのままだと透析と医者に言われている状態もあったのですが、ここ数か月、私自身会社を退職し、母の面倒を見ながら、自分の腎臓の温存療法中でした。そのため母には、何かできない事があると、しっかりして、透析になったら面倒見れないよ。などと言って、喧嘩することもありました。 日曜には、そのことが母の頭にあったのか、洗濯を自分で行おうとして、紙パンツを洗濯機で洗ってしまい、洗濯機を壊してしまい、その事で母をかなり叱咤してしまいました。 亡くなる当日、珍しく私が起きて食事を作っていると、痛み止めが欲しいと私の所まで来て「痛み止めがないか」と薬を欲しがりました。土曜には法事があり、日帰りで横浜、前橋を往復したのですが、その影響で、腹痛、背中痛が起きたのだと思っていました。(今思えば、かなり痛くて、私が起きるまで我慢していたのかもしれません。) 薬は飲ませましたが、その日、朝食も食べず(いつもの嫌いなものを残す)、食べないなら、今日はゴミの日だから自分で捨ててきてと喧嘩をしてしまい、母を責めてしまいました。デイサービスの迎えの時も、行きたがらなかったようで、半ば無理やり、デイに行ったようです。午後、調子が悪いようでと連絡があり、車で迎えに行き、そのまま近くの診療所へ行きましたが、駐車場から診療所まで歩くのも痛い痛いと言いながら診察したのですが、診察後、待合室でか細い声で、痛いよ痛いよと言いながら、うずくまってしまい、動かなくなってしまいました。その後救急車で救急病院に搬送されましたが、そのまま亡くなりました。 前日の私の行いや、当日の態度、診療所に連れて行きながら、気づいてあげる事が出来なかった事、非常に後悔し、苦しいです。母の痛いよ痛いよという声が残って、悲しみがこみ上げてきて、辛いです。 今週末、通夜、告別式ですが、家で安眠している母に、どう接すればいいのでしょうか。

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看取りの後悔

先日同居している祖父が亡くなりました。ですが、その時の対応に後悔しています。 私と叔父は看取れましたが、一番祖父と関係が近かった母と祖母は看取れませんでした。 その日、母は買い物をしてから家に帰っていました。いつも通り母が会社からどこにも寄らず帰ってきて、祖母を連れて病院に来ていれば祖父の最期に間に合っていたと思います。 私は医療を学んでいるので、祖父が亡くなる1時間ほど前、祖父の状態の変化から、保ってあと数時間かもしれないと思っていました。ただ、まだ学生なので自信もなく、母や祖母を無駄に心配させたくないと思い、その時点では電話もしませんでした。 今思うと、あの時電話してあげていれば、母と祖母は祖父の最期に間に合っていたのではないかと思います。母も祖母も、あの時買い物していなければ間に合ったと後悔しています。 母と祖母には、異変を感じていたことは言っていません。これから先も一生言えません。墓まで持っていくつもりです。 二人には、祖父は母と祖母に最期の瞬間を見せたくないから、二人以外に祖父と同居している私と叔父がいる時に亡くなったのではないかと言っています。少しでも心が楽になるのではと思ってのことです。 ですが、私の中では異変を感じた時に呼んであげていればと後悔しかありません。 今となっては祖父の気持ちも分かりませんので、母や祖母が死の瞬間を見てショックを受けないようにだとか、急いで来て事故をしないように考えてくれていたのかもしれませんが、本当は祖母や母にそばにいて欲しかったのかもしれません。 母と祖母への対応はこれでよかったのでしょうか。少しでも後悔をしないように、心を楽にしてあげたいです。

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母親を見殺しにしました

末期癌の母を自宅で看病して3週間で、結果的に独りで逝かせてしまいました。 自宅に戻ってすぐは、歩けて少し食べれる状況だったので、母が退院して自宅に戻ってくれて嬉しかったです。 先は長くないと解っていても、急速に悪くなる母を直視出来ず、なぜ歩けないの食べれないのという苛立ちから母に冷たくあたってしまいました。 かなり苦しかったはずなのに、ギリギリまで痛みを訴えず。。 キツイ身体に鞭打って、母の誕生日に1泊旅行に一緒に行ってもらいました。 母は旅行中は身体がしんどく、楽しめていませんでした。最後の思い出にと連れ出した感じです。 旅行から帰宅した夜に、痛みを訴えたので痛み止を多目に飲ませました。 疲れているので寝ようね、と。 疲れていたのは私だったからです。長時間運転、寝不足、母の痛み。。イライラしていました。 お布団に入れてあげると、いつものようにありがとうと言ってくれました。 明け方、母はお手洗いに行った戻り、ベッドまで上がる力すらなく力果て、寒い畳の上に縮こまって亡くなっていました。 隣の部屋て寝ている私に声をかける声量もなく。。 それなのに私は旅行疲れから、普段は7時前に起きるのにその日は10時と寝坊。。冷たくなった母をみて、私が殺したのだと確信しました。 私はすぐ隣の部屋に寝ていたのに疲れているを理由にして様子を見に行かなかった。朝5時に様子を見に行っていたら、生きていて、優しくベッドに戻せばまだ数日生きれた気がします。 私が寂しくて、母に癌になった事を責め、寂しいと泣きわめいた時、ずっと優しく私の体をなでてくれました。 母が一番苦しく辛かったのに。 母こそ一番辛く痛い中、私を気遣いつづけてくれました。なのに私は看病で優しさを返せなかった。 旅行から戻って具合が悪そうな母に対し、何もしなかった。気付いていながら何も。トイレにもつきそわず。 母を見殺しにしたのは私です。 謝りに行きたいです。 お母さんに会いたいです。 独りにさせて、不安にさせた事を死にたいほど悔やんでいます。

有り難し有り難し 26
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ただ聞いてほしいだけです

ただ聞いてほしいだけです。 身内や知り合いではない誰かに聞いてほしいのです。 2日前に母が病死しました。 ひとりになると辛くなり、母に対する後悔がたくさん出てきて、涙も止まらず、もうどうしようもない気持ちになります。 母が病気で心の支えは娘の私だとわかっていたけれど、受験勉強を言い訳にしてお見舞いもほとんど行かず、臨終にも立ち会うことができませんでした。 病気で苦しんでいる母を見たくなくて母と会うことを避けていました。 それを知っての祖父の気遣いだったのだと思います。母の死に間際、苦しんでるその姿を私に見せてはいけないと判断して、母が亡くなった後に私に連絡が入りました。 臨終に立ち会えなかったこと。お見舞いにほとんど行かなかったこと。私の勉強のサポートをしてくれたのに、病気の母をサポートできず、寄り添えなかったこと。病気の母を友達に見られることが恥ずかしくて、高校最後の体育祭を見に行きたいと言っていた母を来られないように入場券を渡さなかったこと。病気の原因であるお酒を必死に、全力で、止めれなかったこと。今まで散々酷い言葉を言ってしまったこと。わがままばかりで迷惑をかけたこと。 ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。後悔しています。ごめんなさい。

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亡き父への後悔ばかりで苦しい

先日、父が咽頭癌で亡くなりました。12年前に若年性認知症を発症(原因は、私が出産の為に実家通いが出来なくなるので一人暮らしの父を2カ月程住まわせ気疲れさせたのが原因かもしれません。)認知症の薬を絶やさないよう12年ほぼ毎日車で往復40分かけて実家に、父の好きなお酒と一緒に持って行くのが日課になっていました。数年は苦にもならなかったのですが、私の子供も大きくなるにつれ段々と父の存在が煩わしくなっていきました。4年ほど前には、私自身が鬱症状が出てしまい、同時期に子供も人間関係から不登校になりメンタル面も弱まり学校を転入したり、またその下の子供も同じく高校に暫く通えなくなるなど4年の間にとても大変な事ばかりでした。父の病気が発覚したのは余命1カ月と宣告された8月の事です。振り返ってみれば、父の異変に気付いたのは半年程前でした。声がれの症状でした。でも私にはそれくらいの事など気に止める余裕すらありませんでした。6月久しぶりの病院の受診、先生にも食事の咳き込みで癌ではないかと尋ねてはみましたが肺炎になっていてそちらを優先に治すと言う事で耳鼻科の受診も2カ月が経つまで先延ばしにしてしまいました。その間は私の家で父親を住まわせ食事や薬の管理もしていましたが、2番目の子供の不登校と重なり、子供の事が一番大事一番心配で、父親の事など邪険にしていました。食事をする度に咳き込み額には汗びっしょり、冷房もない部屋に扇風機だけ、しかもお粥を作ってあげたのは家に居た最初と最後だけ、あとは普通食でした。もう既に私は、父と目を合わせて会話する事もなく、イライラして怒鳴ってばかり。私は独り言で「早くくたばればいいのに。死ねばいいのに。」と言った事もありました。最低な娘です。こんな性格の私じゃなかったはずなのに本当に鬼のように変貌していました。しかし、余命1カ月と宣告され病院生活になってからは、鬼のような私は消え去り、父に直接今までの事を詫びたりもしました。認知症の父は、私から邪険にされていた事など覚えていない様子でした。そして最期の時も、2人姉妹である私と妹で看取ることが出来ました。しかしやはり4年間父親をないがしろにしたと言う事がどうしても消え去りません。本当に父に申し訳なかっと涙が溢れ出てしまいます。出来る事ならもう居ない父親と交信し、謝りたい。許してくれなくてもいいから謝りたい。

有り難し有り難し 9
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