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仲良くしていたおじいさんが亡くなりました

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仕事の関係で知り合って、プライベートでも仲良くしていたおじいさんが亡くなっていた事が、最近判明しました。享年93歳でした。

私は旅行の添乗員をしていて、ツアーでご案内したあるおじいさんと、仲良くなり、プライベートでも食事に行ったりしていました。

おじいさんも私の事を気に入ってくれ「3か月に一回は会いましょう」と言ってくれ、自分では入れないような高級レストランに何度もつれて行ってくれました。

そんな感じでしたが、2012年に入ってからは連絡の間隔があき、何度か携帯電話に着信があったけれども、こちらも仕事で忙しく、そのまま折り返しするのを忘れたりしたこともありました。

おじいさんから年賀状をもらったりもしましたが、私は旅行業従事者で、年末年始が年で一番の繁忙期のため、つい年賀状を送るのをさぼったりもしていました。

2013年の5月、なぜだかどうしてもおじいさんと連絡を取らないといけないような気がして、遅すぎる年賀状の返事を出しました(年賀状と言えないですね・汗)

ハガキを出したらおじいさんから電話がありました。でも何だかとても様子がおかしかったので、大丈夫かな、とは思ったんです。(通話履歴を確認したところ、2013年の5月18日でした)

その後連絡がなく、心配だったので、忙しかったけれど、今年は頑張って元日につくように年賀状を出したのですが、返事がありませんでした。
そしてつい昨日、夢におじいさんが出てきたのでもしかして…と思い現役時代に勤務されていた新聞社の会報の訃報欄を調べてみたら…

2013年の5月24日に亡くなっていました。

こうなると色々考えてしまいます。いくら繁忙期だって、一枚くらい年賀状を書けたんじゃないか、何度か着信があったのに、折り返しを忘れてしまったこと、もう少し積極的にこちらから連絡しても良かったんじゃないか…などなど。大変失礼ながら、知り合った時点で高齢だったので、いつ亡くなってもおかしくないと分かっていたのに、行動に移さなかった自分に後悔です。今となっては遅いですが…

私はこれからどう気持ちを持っていったらいいでしょうか?アドバイス願います


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あしながおじさんの遺意

あなたも見ず知らずの人に何らかの形で尽くしましょう。
あなたが提供できる幸せを形にすることです。
この世の中の仕事は誰かの何かの役に立っています。
仕事や小さな幸せ提供を一つずつ重ねて言ってください。
それが報恩の行です。一行、一行ずつの千手観音行です。
このタイミングなら、この状況になら出来る、と思える機会が毎日現れます。
それを行うことです。菩薩行とも申します。
世の中の人はおよそ自分の家庭、家族、職場、自分のサークルにしか利益になる事を提供しないものです。
かの足長おじさんのように、自分の為でもなく、相手の為でもなく、さらに大きな幸せサークル活動の為にあなたも誰かさんを精神的に、経済的に支援してあげてください。
あなたと同じ気持ちを持つ方がたくさん増えればこの世はもっと素敵な世界になるのですから。しあわせはつくれるんです。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

仏さまとして生きている

ちほさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

60歳ほども年齢が離れていた方と、友人のような付き合いをされていたのですね。しかし忙しさにかまけているうちにお亡くなりになっていた。もっと何か出来たのではないか、と悔やんでいらっしゃるのですね。

でもそのおじいさんは、孫のようなお嬢さんと友人になり、楽しい時を過ごせたのではないでしょうか。また、亡くなる6日前に話すことが出来たのですよね。親子や祖父母・孫の関係でも、亡くなる時に立ちあえるとは限らない、それどころか何ヶ月も何年も連絡をとってなかった、ということも多々あります。
そう思うと、おじいさんとちほさんの間には、確かなご縁が繋がっていたのだと、私は思います。

そしておじいさんは、仏さまとなってちほさんに大切なことを教えて下さいましたね。きっとこれから先、ちほさんは大切な時に大切な方に会ったり連絡したり、と配慮できるようになるでしょう。
それが良い結果を招いた時、ちほさんはおじいさんを感謝の念とともに思い出すでしょう。その時こそ、おじいさんは仏さまとして生きている、と言えるのではないでしょうか。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

自分ができる事を考えましょう

ちほさん。こんにちは。誕生院執事山口ともうします。
私にも似たようなケースがあります。
〇お世話になった方に久しぶりに電話したら、つい一週間前に亡くなられていました。
〇久しぶりに話をした友達が、2時間後に自ら命を絶ちました。
友達が亡くなった時は本当に悩みました。ちほさんのように自分を責めました。なんで!助けられなかったのか!気づいてやれなかったのか!それで自分ができる事と考えた時、やはり供養してあげるしかないと思いました。
現在、友達の事故からは約30年なりますが、お盆、お正月、ご命日となるべく時間をつくってお墓にお参りに行くようにしています。もし、お墓が解らない場合は、知り合いや近くのお寺の本堂の前でその方の事を思って手を合わされたらどうですか!
私は、必ず仏さまのご加護をうけ、気持ちも徐々に和らいでいくと思います。私がそうでしたから!

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山口光玄
昭和39年9月14日生 新義真言宗大本山誕生院執事 社会福祉法人覚鑁会...

「散る桜 残る桜も 散る桜」

ちほ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

そのおじいさんとのご縁、本当に不思議なものでありますよね。ご縁深くあった人とのお別れ・・誠につらいものでございます・・

お別れの苦しみ・・これは八苦の一つ「愛別離苦」となります。

「愛別離苦」に関しましては、下記問いにおきまして、「愛別離苦」へのアプローチ、として簡単に回答させて頂いております。

問い「友人の死について」
http://hasunoha.jp/questions/91

無常の風に吹かれ、死は誰にでもいつかやってくるものでございます。

ほんの数日前まで綺麗に見事に咲いていた桜も、昨日今日と春の嵐が参りまして、一気に散りゆくこととなりました・・

桜が散りゆきますと・・

良寛禅師・・「散る桜 残る桜も 散る桜」

親鸞聖人・・「明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

この二句の内容を想うところとなります。

一本の桜の木をこの世、桜の花びらを人に例えますと、縁ありて共に過ごす者同士、しかし、無常の風が吹く度に、一つ一つと散りゆくことになり、やがて残る者はいなくなります・・

人の命の儚さ・・儚いという字は人の夢・・誠にこの人生、あったのかなかったのか・・夢のようなもの、幻のようなものでございます。

このような中ですので、尚更にも一期一会のご縁を大事に致したきものでございます・・

おじいさんとのこと、少し後悔おありのご様子ですが、この度はしっかりと御供養の想いを寄せて頂いて、ご冥福をお祈りして頂けましたらと存じます。その想いはきっとそのおじいさんに伝わり、善き縁となりておじいさんの為となることでしょう。

ちほ様もこれから色々な方と様々なご縁がおありであるかと存じます。この世は「縁」によりて「起」こっている「縁起」として成り立っている世界でございます。「縁」を大切に生かされてあるこの人生をお過ごし頂けましたらと存じております。もしか致しますとこの度は、おじいさんからそのことを学ばせて頂けたのかもしれませんね。そのようでございましたら、誠に有り難しでございます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

使い方をイマイチ理解しておらず、お礼がこんなにも遅くなり申し訳ございません。亡くなった事を知った時はショックで思考能力が落ちていたのですが、あれからずいぶんと色々思い出しました。
今までは、電話するとおじいさんの方から「では、会いましょういつ?」と具体的に日時を決めてくれていたのですが、ここ2年くらいは「会いたいけど、忙しくてねぇ」みたいな感じでした。旅行大好きなおじいさんなので、そんなもんか、と思っていましたが…健康自慢のおじいさんなので、健康じゃない姿は見せたくなかったのかもしれませんね。
そう思うと、少し楽になりました。ありがとうございました

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

母が先月亡くなりました

初めまして。お世話になります。 母が先月脳出血で倒れ、1週間後に亡くなりました。 実家と私が住んでいる場所は遠方で、倒れたと連絡があってすぐ帰ったのですが、コロナ禍で感染対策上入院している母には会えませんでした。 倒れてから意識はあった様ですが、その日の晩に容態が急変し、緊急手術になりました。以降、意識は回復せず、面会ができたのが入院から4日後でした。 呼びかけても、母は、返事もできず、目もあけてはくれません。その週に亡くなりました。 年末年始は、毎年帰省していましたが、コロナ禍もあり、今年は帰省を諦め、2月に帰るからねと年末年始話をしていたところでした。連休がある度に、帰省をしていたのですが、昨年はコロナの影響があり、夏に帰省して以来、帰ることを自粛していました。 元気な母に直接会えずに、この様になったことや、意識ある際に、何かしらの手段で声をかけたりできなかったのだろうかとか、母の健康管理をもっと前から私ができなかったのだろうか等、、、悔やむことばかりです。 母は、いつも家族のことを優先に考え動いていた母でした。 苦労も多かった人生だったと思います。 私も母には迷惑や心配をたくさんかけてきました。 倒れて帰省しても、面会もなかなか許されず、実家にいるだけで、倒れた際も、倒れてからも何もしてあげれなかったことが悔しいです。 まだまだ母としたいこともありましたし、頻繁にメールをしていたので、メールもしたしいですし、母と色んな話をしたいです。 母がいなくなり、父も私も心にポッカリ穴があくとは、この様な状況なんだなぁ…と思いました。人生で1番辛いです。母がいなくなり、こんな辛く悲しい人生、生きている意味なんて無いとも思えてしまいます。 母は、嫌だと言うかもしれませんが、来世でも、また母の子供でいたいです。来世では、ほぼ異なる人生を歩むと聞きますが、来世も親子でいることは難しいのでしょうか。

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父の死のあとに生まれた命

私には二人息子がいます。 次男を出産する1ヶ月前に、父が突然心筋梗塞で亡くなりました。 私の出産は母子ともに命の危険があり、自宅で絶対安静にしていなければなりませんでした。そのため、1歳半の息子を私の父と母にお世話してもらっていました。 母は私の家に住み込みで、父は実家から私の家に朝来て夜帰る生活でした。 夜、実家で一人、父は突然心臓が苦しくなって亡くなりました。 私は自分を責めました。 父のそばに母がいれば、こんなことにはならなかったと。父から母を奪った私が全て悪いのだと。 家族を誰よりも大切にしていた父にとって、私とお腹の子の事が心配でしかたなかったに違いありません。 元々心臓が弱かったのに、孫の世話もさせてしまって、病院に行きたくても行けなかったのでしょう。 後悔してもしきれなく、父しか頼りがなかった母を一人にしてしまったことにも罪悪感が消えません。 次男は無事に産まれてくれました。もうすぐ一年が経とうとしています。 母親失格なのはわかっていますが、私がこの子を身篭らなければ今も父は居てくれたのではと思ってしまいます。 一年経っても、私が父を殺したという思いと、この子を産まなければ父はまだ側にいてくれたのではという思いで夜も涙が溢れ、眠れない日々が続いています。 大好きな父を失い、大好きなはずの次男を素直に受け入れられない私は行き場がない思いでぐちゃぐちゃになっています。 どうか、どなたか、お話を聞いてくださったら嬉しいです。

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なぜこうなったのでしょうか

以前、海外に住んでいました。 2、3年に一度くらいしか日本に帰ってくることが出来なかったのですが、ある年、久しぶりに帰ってきて、大好きなおばあちゃんの家に行く約束をしました。約束の日の何日か前に、おばあちゃんと住んでいたおばさんから電話があり、何が食べたいかなど聞かれました。電話の最後に、今おばあちゃんが隣にいるから話す?と聞かれたのですが、会った時に話すからいいよと電話を切りました。おばあちゃんはその2日後に亡くなりました。数年ぶりに会えるはずだった日の、ほんの2日前でした。おばあちゃんとは本当に仲が良かったです。本当に可愛がってくれました。大好きなおばあちゃんだったのに…なぜあの時電話で話さなかったのか。後悔で苦しみました。海外に戻った時、仕事の後にお酒をがぶ飲みして、大声で泣いて、床を転げ回るほど感情をぶちまけました。 おばあちゃんの死から1ヶ月くらいした時に、おばあちゃんが夢に出てきて、おばあちゃんを抱きしめた夢を見ました。夢の途中でも実際に自分が泣いていたのがわかりました。その日から、なんとなく後悔から立ち直り始めました。 数年前、家の事情で日本に旦那と来ました。今年の初めには子供もでき、心配していた両親に初孫を見せることができました。そんな中、父親が亡くなりました。何年も前に胃癌で胃を全摘していたのですが、腸閉塞になり、入院をして経過観察の後、手術をしたのですが、翌日、突然亡くなりました。本当に突然。入院するまで本当に元気だったのに…コロナでろくに面会も出来ず、孫には入院してから一度も会えずでした。 私はというと…父が心配で実家に戻っていたのに、手術が決まった前日に母と喧嘩をして、自分が住む家に帰ってしまっていたのです。帰る前に、父の顔だけでも見に行こうかなと、本当にその時に思ったのに、『また次に来たら会えるからいいや』と、帰ったのです。最後に会える機会を、話を出来る機会を、また、自分から捨てたのです。 私は父が大好きでした。父は素晴らしい人でした。人並みの失敗もあっただろうけど、家族を一番に大切にした、本当に素晴らしい人でした。 おばあちゃんの時も、父の時も、私は最後に話せる、会える機会を無駄にしました。なぜ?父の死から半年が経ちますが、未だに突然苦しくなって涙が止まりません。夢にも出てきてくれない。どうしたら、これを乗り越えられるのでしょうか

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会ってない父が死に色々考えてしまいます

3年ほど会っていなかった父が亡くなりました。いい父親というわけではありませんでしたが彼なりに子供思いの父でした。 最後に会った時は私の離婚騒動で、再構築するにあたり迷惑をかけたお詫びに行った時です。 そのあとは2、3ヶ月に1回父から「大丈夫か?優しくしてもらってるか?」などの電話が来て少し話す程度でした。 神奈川と埼玉、遠いいけど会えない距離じゃない、いつでも会える、と思い次は会おう来年は会いに行こう、などとずるずる時間が立ってしまい会えずじまいでした。 祖母が入院して、世話をしながら1人で耐えられずお酒に逃げた父を思うととても申し訳なく辛くなります。安らかな死ではなかったです。 いつも私を思っていてくれたのに、私は自分の生活で父のことなんてあまり考えてはいませんでした。 あの時あっていれば、電話していれば、ずっと考えてしまいます。時間が経てば幸せな記憶と一緒にたまに笑顔を思い出し安らげる日が来るとは思いますが、今は後悔ばかりです。 いい娘ではなかったし迷惑や心配をかけっぱなしでした。 声が聞きたいし顔が見たい。 いつか記憶の顔が朧げになるのが怖い。 親不孝ばかりした私を嫌いになってしまわないか。いつか会えるのか不安でたまりません。

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前に進む方法が知りたいです。

大好きだった父が亡くなってしまい、毎日後悔ばかりしています。 父は田舎から15歳で上京してずっと働いて 育ててくれました。 不器用なところもあり職場を転々としながらもずっと仕事詰めで家計を支えてくれました。 夜勤もあり拘束時間の長い仕事でした。 私は高校を卒業して浪人をしても、第一志望の大学に合格出来ず、私立は経済的に難しかったので進学しませんでした。 その後直接父には言っておりませんでしたが、 父が病気になってしまったことから、医学部に行きたいと思うようになり、社会人で働きながら受験をしておりました。 休みの日は図書館に通っておりましたが、働きながら勉強するのは想像以上に難しく、仕事から帰ってきた後勉強せず寝てしまったり、なかなか勉強時間の確保も出来ず結果が出せませんでした。 最近、父はようやく出勤する日が減り、少し休みが出来るようになっていましたが、最近、急に容体が悪くなり、救急車を呼んで治療をしてもらいましたが、そのまま亡くなってしまいました。 先生からは本当は夜勤の仕事をするのもよくないと言われていたのですが、家計のためにずっと頑張ってくれていました。 完治は出来ないと言われて長くないと分かっていたのに、家族に弱みを見せず働いてくれていて、最近は出勤日が減り、会社から辞めなさいと言われるまでずっといようかなと言っていたのをいいことに、(父は少し口うるさいところがありほぼ毎日母と口喧嘩していたので)家にずっと居られても嫌だな、父もそう言ってるしなんとか今の仕事は少し休みながらでも続けて欲しいなと思い、また、子供の自分が親の仕事のことに口出しするのは、と気が引けていたのですが、仕事をするにしてももっと楽な仕事をもっと早く探してあげるべきだった、もっと色んなところに旅行に連れて行ってやるべきだった。もう今更そんなことばかり考えてしまいます。 父が病気になっても自分のことしか考えず、 結果も出せず、本当にクズで最低だったと思います。 このままだらだらと時間を浪費するのだけはダメだと思っているのですが、ふとしたことで父を思い出すと泣いています。 前に進む方法が知りたいです。 宜しくお願いします。

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