自分が許せません
先日もご相談させていただき、ありがたいご回答をいただいたのですが、
まだ日常生活を送ることが大変辛い心境ですので、再びご相談させていただくことをお許しください。
私は当て逃げをしようとしました。
車をぶつけてしまい、すぐに通報すべきところを、大変なことをしてしまったという恐怖感や、
傷はなかった?(薄暗かったこともあり、あまり目立ちませんでした)という現実逃避、
バレなかったら逃げようという最低な卑怯な気持ちから、ひとまず車から降りてその場から立ち去ってしまいました。
幸いというか、目撃者の方が通報してくださり(ショッピングセンターの駐車場でした)
被害者の方も快く謝罪を受け入れてくださいました。
私は「バレなかったら逃げよう」と思ってしまった最低な自分を許せません。
また、いい歳したおばさんが、その時すべきだった行動(通報)をできず、他人の手を煩わせてしまったことも情けなくて仕方ありません。
そのせいで家族にも八つ当たりしています。
大切な夫や子どもを突き放すようなことばかりいってしまいます。
子ども達は健気にそれでも慕ってくれていますが、
夫は愛想をつかしているようです。
車をぶつけた瞬間がフラッシュバックして、運転も恐怖です(車は生活に必須です)。
こんな私は家族に不要な人間で、死んでしまいたい気持ちです。
卑怯な私のことを誰も責めてこないのも、逆に辛いです。
とにかく全てが嫌だという投げやりな気持ちです。
とはいいつつ、普通にご飯を食べたり、テレビをみたりしている図太い自分も大嫌いです。
自分がいわゆる悲劇のヒロインぶった「かまってちゃん」なのだというのも自覚しています。
とにかく今消えてしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたはどういうあなたなのか
前回のご相談と併せて拝読しました。
さて、あなたがすぐに通報できなかったのは最低で卑怯な人間だからなのでしょうか。あなたは家族に不要な人間なのでしょうか。
それは誰がそう決めているのでしょうか。
自分で自分を責めたくなる気持ちはわかります。でもそれは実は自分を守るための反応なのかもしれません。
ひどい事をしたのだから、このくらい自分を責めておかなければならないという自分の価値観の範囲内、ある意味では安全なところで自分をおとしめているのかもしれません。
そうした思いは自分の価値観をいくら延長したり拡大しても破られることはありません。
自分を超えた所から自分の正しい姿を教えていただかないと本当に自分で自分の事実を受け止めるということは成り立たないのですね。
さてさて、私たち仏教徒の場合、その自分を超えた所から自分の正しい姿を教えてくれるものというのは仏様の教えです。
その仏様に教えられる自分の正しい姿とは、「縁にふり回される弱く儚い者」です。
ここで最初の問いかけに戻ります。
あなたがすぐに通報できなかったのはあなたが最低で卑怯な人間だからなのでしょうか?
そうではないのですね。あなたが通報という行動をすぐにとれないという縁(条件や環境)がととのったからです。
目立つ傷がないとか、相手の車の持ち主がいなかったとか、そういう縁がととのったのでしょう。
でも同じ条件でも通報する人もいるかもしれません。それはその人が優れた人格者だからでしょうか。
それも違うのですね。その人がそう判断するに至る縁がやはりあったのでしょう。親の教育とか、人生における経験とか、色んな影響の中でその時そう判断するに至ったのでしょう。
これは運命論ではありません。そしてあなたはそういう縁だったのだから何の問題もないと開き直れという話しでもありません。
私たちは縁さえととのえばどんなこともしでかし得るということ。それが仏教に教えられる私の事実です。
清く正しく生きれるはずの私ではないのです。
その自分の事実を突きつけられたあなたがこれからどう生きるのか。
今ともにいる家族もあなたがあなたの力で手に入れたものではありません。ご縁からのいただきものです。
そして今回の出来事もそうなのです。
縁に良い悪いの評価をくだして嘆くだけでなく、いただきものを大事にしてみましょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
自分の本質は、自分の評価や価値観で決まるのではなく、全ては「ご縁」なのですね。
自分に悪の心があるから…
などではなく、全てはその状況で縁が整うか整わないか。
私の拙い文章では僧侶様のお言葉に深く感銘を受けた今の気持ちを伝えきれず、大変もどかしいのですが、
自分の本質を勝手に決めつけ、絶望していた自分から解放されました。
今回、僧侶様から回答をいただけたというご縁にも大変感謝いたします。
これから先も、良い縁にも悪い縁にもたくさん巡り合うことになりますが、
僧侶様の仰るとおり、ご縁からのいただきものを大切にして生きていこうと思います。
本当にありがとうございました。