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旦那が自殺

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有り難し有り難し 24

五年前、旦那が、私の友達と五年間ぐらい不倫して、その女が、他の男と身体の関係に、旦那とその男とで、女の取り合いに~~相手の男が、怒って、ヤクザを出してきて、私達の家に電話してきて、2日後、旦那は自殺しました。そんなに、不倫女が大事だったのかと、そんな事で死ぬのかと、ショックでした。どうして、自殺したのでしょうか?   今20才と9才に成長しました。9才の子は自閉症で、どんなふうに育てると良いのか?教えてください


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

旦那は不倫相手を選んで自殺したのではないかと

旦那さんは、ヤクザの脅しに屈服して追い詰められてしまったのでしょう。
ヤクザは人を精神的に追い詰めることのプロです。
我々僧侶はその反対です。
人は誰と接するか、何と接するか、どのような雰囲気と接するかで人生変わります。
あなたもご主人の自殺以来、自然に笑えていないのではないでしょうか?
気持ちを共感できる人たちと語らう事が大切です。
さらには、過去を引きずらない生き方が大切です。
どこかで自分を責めていたり、暗い気持ちが引っかかっていると思うのです。
あなたが暗い表情でいると、彼女(お嬢さん)も暗い気持ちになります。
無理して変えようとしないであげてください。
辛いことがあればこれ以上傷つきたく無いと思うのは当然のことです。
あなたのせいではないですが、お父さんを失わせてしまったことを謝ってあげてください。
一緒に泣いてあげてください。一緒に共感してあげてください。
何故なら、お父さん、ご主人を亡くなった気持ちを、共感してくれる人があなたしかいないからです。
あなたもお母さんとして、母親として、しっかりしなければいけない「立場を演じなければいけない気持ち」で今日までやってきた部分もあると思うのです。
そこを、あえて同じ立場に立ってあげて、今日からお友達として接してあげてください。
彼女が自分とよりよく関われるものを増やしてあげるのです。
それによって、彼女は少しずつ世界が広がっていくでしょう。
悟りも【開く】といいます。
閉ざされた心は、関われるものがあることによって開かれ、通い合うようになります。
人間の都合、母親の都合は厳禁です。
人間を人間でなくさせるものは「人の都合」だからです。
それを無くす、「私中心な」ことを、家の中から無くしていくように心掛けて生活してみてください。
ルールが無くなれば、少しずつシバラレから解き放たれていくはずです。また、その暗示を解いてあげるべく働きかけてあげてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。日々笑顔が、増えるように、頑張ります。

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