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悪口を言っていることになるのか

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有り難し有り難し 14

私は極力悪口、陰口を言わないよう、心がけています。

人が誰かの悪口を話しているときの雰囲気が嫌なので、そんな雰囲気を出す人になりたくないと思い、言わないようにしています。

しかし最近、
「自分はそのような雰囲気を出す人にはなりたくない」
という考えは、私は同じ人間になりたくない。私の方が上だ。と、悪口を言う人達を見下していることになっていないかと思いました。

「悪口を話しているときの雰囲気」が、嫌いなのですが、その雰囲気を出しているのは人間なので、そんな人間が嫌だと遠回しに思っている気がします。

だとしたら、悪口を話す人達を悪く思っていることになります。

まだ、悪口を話さないようにしている理由を誰かに話したことはありませんが、『「私はこういった理由で悪口、陰口を話さないようにしている」と、誰かに話している私』は、嫌な雰囲気を出す人になってしまうのではないか?と悩んでいます。

悪口を言う人が嫌だと感じる時点で、私も人を悪く言っているので、結局は私も悪口を言っていることになるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「悪」をどの視点で考えるか

こんにちは、初めまして。

素晴らしい感性をお持ちですね。
結論を言うと、どの視点でこれを考えるかによります。

「悪口を言う人が嫌だと感じる時点で、私も人を悪く言っている」と言われていますね。順を追って見ていきましょう。

先ず、「極力悪口、陰口を言わない」又は「悪口を言う人が嫌だと感じる」ということは、道徳的、倫理的な視点で正しいことだと思います。自分がして欲しくないことは、人にもするべきではない。人の和を乱すことはしない。人の振り見て我が振り直せ、等等の社会的ルールであり、人間として目指すべき方向を教えてくれるのが、道徳であり、倫理です。これらのことは、幼稚園、小学生でも既に嘘をついたらダメ!と習いますが、成人しても実践するのは難しいことです。これがなければ、社会は無法状態になりますので、この意味でこれらの価値観は重要です。

次に、道徳倫理からさらにあなたは一歩進んでいます。悪口を言う人を嫌う自分がいる。つまり、心の中で悪口を言っているという事実に目を向けられました。これは、哲学や宗教で扱う視点です。仏教では、人間の行いを身(身体)・口・意(心)の三点で捉えます。この場合で言うと、口では悪口を言っていないけど、心で悪口を思っているということになり、あなたの言われるとおりなのです。

非常に大雑把な言い方になりますが、道徳・倫理の基準で言えば、身・口で悪を行っていなければ、心で思っていても悪を為したことになりません。しかし、仏教の基準で言うと、それは悪に該当します。

歴史の教科書で習ったでしょうが、親鸞というお方は「悪人正機」説ということで有名です。この悪は、今述べた仏教での「悪」(さとりとは反対の苦しみの方向性を持つもの)です。仏様の目から見れば、悪人でない人はそもそもいない。その悪から抜け出でられず苦しむものにこそ、仏様は慈悲を垂れられる、という教えです。

ここから先、どう深められるかは、あなたのご判断にお任せします。
その鋭い感性を、どうぞ大事にしてください。
ご参考になれば幸いです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

モヤモヤしていた気持ちが少しすっきりしました。

「悪をどの視点でとらえるか」は、自分の中で考えがまとまっていないので、これからじっくり考えていきます。

回答ありがとうございました。

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