この問答を娑婆にも伝える
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人の数だけ生き様が違う中で、争うことでしか自分の価値観や存在を守れないと思ってしまう(脳が判断してしまう)から、人は争いの行動をとってしまうのだと思います。
「僕はお釈迦様の教えを信じているよ」
「わたしもお釈迦様の教えを信じている」
それだけだと争いにならないけれど、それ以外のものも引き受けなきゃ娑婆を生きられないからかなとも思います。
ただ、争いとはどのような状態を指し、始まりや終わりの設定など、争いについての十分な考察や論拠もないまま、言葉のイメージでの回答で感想を述べてすいません。
わたしはお釈迦様の教えを信じる人同士がなぜ争うかより、なぜ仲直りできないかを突き詰めていきたいと思っています。
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有り難し
質問者からのお礼
泰庵様、御回答ありがとうございます。