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なぜ、争うのですか

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

仏教の歴史の中で、お寺同士が争うのはなぜですか?
みんなお釈迦様の教えを信じてるのに、不思議です、

この問答を娑婆にも伝える
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人の数だけ生き様が違う中で、争うことでしか自分の価値観や存在を守れないと思ってしまう(脳が判断してしまう)から、人は争いの行動をとってしまうのだと思います。

「僕はお釈迦様の教えを信じているよ」
「わたしもお釈迦様の教えを信じている」
それだけだと争いにならないけれど、それ以外のものも引き受けなきゃ娑婆を生きられないからかなとも思います。

ただ、争いとはどのような状態を指し、始まりや終わりの設定など、争いについての十分な考察や論拠もないまま、言葉のイメージでの回答で感想を述べてすいません。

わたしはお釈迦様の教えを信じる人同士がなぜ争うかより、なぜ仲直りできないかを突き詰めていきたいと思っています。

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

質問者からのお礼

泰庵様、御回答ありがとうございます。

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