離人症
私は離人症ではないかとゆう心気症である気がしてきた。初めての自分の違和感の体験時に景色がボヤッと見えるとゆう錯覚かもしれない見え方に気をとられ、それをネットで検索した時、離人症とゆう言葉がでてきた時のショックを良く覚えている。もしかするとその離人症とゆうインパクトのある怖い名前にその時トラウマになってしまったのかもしれない。 そしてそれからの離人症について調べる日々に囚われてしまい自己催眠をかけてしまったのでなないだろうか。心気症ではないかとゆうのはもし離人症だった時に自分を見失ってしまうんではないかと不安に考えてしまうからです。
そもそも離人症とゆう名前が悪いイメージを、誘発させて不安にしているような気もする。
良く言えば自分の事を客観視できるようになったとゆう事ではないだろうか。
しかし問題は客観視できるのをポジティブに捉えて考える事ができれば良かったがネガティブに考えてしまった事だ。 体を客観視しすぎて、何故歩けるのだろう?や何故今その行動をしたのだろうと、表面的ではなく、脳細胞の働きにわたるまで深く真剣に考えてしまうようになりとらわれてしまっているのが問題だと思う。そしてその考えを無くそうと考える事がもとらわれで治しにくくしている事も感じています。
そして、そういう風に深く考えてしまう事が神経症、心気症なのだろう。 そしてまた脳や意識について調べ出し新たな情報を入れ込みすぎて、結果何が答えなのかもわからなくなり、頭の、中がこんがらがり、精神的にもまいってきているのです。 ひとつの考えた解決法はネットの情報を見て知って楽になる事もあるが、発信している本人ですらわかっていない情報なのにそれに振り回されているのは情け無い事だとゆう事です。しかし知ってしまった事実を忘れ去る事はできないなので、やはり自分を信じ。自分の感覚を、信じ切るしかないとゆう事なのかと思いました。 このようにカウンセリングを受けに来て意見を求めに来ている時点で自分を信じる事への矛盾は感じますが、振り回されず自分を信じる事が本当に解決の道なのかもわからないので少しでも助言いただけたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お医者さんへ
こんばんは。
なるほどそのような気持ちになるのですね。私は専門家ではないのでよくわかりませんし、またあなたがひとりで考えていても堂々巡りとなり何の解決にもなりません。ネットの情報も信じすぎると危険な事もあります。一度お医者さんにかかり、診断を受け、適切な治療を受ける事をお勧めします。