家族が病気になる可能性への不安
目を留めていただいたことに感謝します。
身近な人が病気になることがとても怖いです。
特に、家族に何かあったらどうしようと思って、不安ばかりがつのります。
自分については、今の瞬間を生きていることに集中し、それが有り難いことだと気づくよう心がけています。
でも、家族に対しては、変わらずに元気でいてくれることに執着してしまい、
同じように考えることが難しいです。
どのようにとらえたら、心を落ち着けることが出来るでしょうか。
この状態を脱して、本当に家族に支えが必要になった時に、十分な働きが出来るようにありたいです。
大切な人への心のあり方をお教え願えると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
イザという時には対応できます。
たしかに大切な家族が病気になったら不安ですね。
同じように、もし死んでしまったらと、これも同じ不安です。
先々を考えたら不安や恐怖を抱くことばかりですね。でも否定できませんから真剣に考えてしまうことも当然でしょう。
まずは、起きてもないのに不安を抱くのは、取り越し苦労で、これは考え方を変えない限り永遠に続きます。
大前提に人間には、生老病死は避けられないということです。
いかなる人でも、いつかは年を取り老化します。病気にもなります。そして死を迎えるということは避けられないと思ってください。
病気にならないためには、多くの健康法がありますが、それでも肉体がある以上、車と同じで長年使っていればどこかに支障はきたします。メンテナンスも必要です。又、自分が病気になったら、それはそれで耐えれるかもしれませんが、家族となると変わってあげることはできません。
今は、皆さん元気でおられ、あけがたさんも元気ですから、色々考え想像してしまうのでしょう。でもイザその時になったら、不思議と対処、対応ができると思ってください。そういうものです。
実は私も昨年、ガンを患い入院、抗がん治療と続きました。家族はとても心配しましたが、本人である私は、それほどでもありませんでした。治療に関しても通院に関しても、その都度、対処してきました。想像以上にできました。
ですから、今は徒に心配しない方がいいです。
少しでも心身共に健康で日々送れるよう心掛けてください。
四苦八苦は100%
生きている以上
何らかの病気になったり
身体のどこかが傷害に遭ったり
そしていずれ死んでしまう可能性は100%です。
だから
家族に何かあったらどうしようと思うのでなく、
いずれ必ず何かあるのだと覚悟することです。
どれだけ気をつけていても
新型コロナウイルスに感染するかも知れない。
摂生して運動して身体に気をつけていても
ガンになるかもしれない。
安全運転していても
もらい事故であっけなく即死するかもしれない。
そういう可能性のある人生なのです。
だから
ただ不安に怯えるのでなく
そういうことに備えて
準備をしていくことしかできないのです。
そうしていけば
本当に家族に支えが必要になった時に
十分な働きが出来るようになっているでしょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
四苦八苦、生老病死への気持ちのあり方を今一度考えてみようと思いました。
ストレスが高まると、不確定なことを無くそうと、延々と思考する癖があります。
ご回答を頂いて、私は死や病を不確定な出来事、つまり避けることが出来るものと、心の何処かで思っていたのではないかと思いました。
そのおごりから、上手く隠れようという気持ちが産まれ、
鬼ごっこやかくれんぼをするように、最後までそれらに見つからず、捕まらず、残ろうと必死になっていたのではないかと思います。
逃れられないことだから、準備する、訪れた時は存外対処できる。
そう考えると、気持ちが落ち着いて、不安が和らぐ気がします。
思えば、鬼ごっこやかくれんぼは、絶対に鬼に捕まってはいけないと思うより、
鬼に捕まる、見つかることもあるだろうと思いながら、楽しく遊んでいたように思います。
私は、ずっと逃げねばならない鬼ごっこや、誰からも見つけてもらえないかくれんぼを目指そうとしていたのかもしれません。
自分の大切な人にも、自分にも起こりうること、その感覚を大切にしながら、再度、自分の気持ちと向き合いたいです。