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執念との向き合い方

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こんにちは。私は自分の執念深さに悩んでいます。

ある知人(知人Aにします)と交流してます。
その知人Aは私の事を馬鹿にしています。
というもの私は何をするにしてもうまくこなす事が出来ないので周りからも周知で馬鹿にされています。
一方知人Aは明るくて友達がたくさんで何でもうまくこなして自信に溢れているように見えますが、人の成功を喜んだり挑戦を応援できないので自己肯定感の低い人なんだろうなと私は勝手に認識しました。
私に対して今の言葉で言うとマウントに似た行為をよくされるのですが、これを言葉に出してしまうと倫理に反してしまうので黙って聞いていていつも自分の心が濁り怒りや悲しみ自己否定の沼に浸かっていました。
そして知人Aと会話をしていたある日、自身の嫉妬心やねたみで嫌な行動をしてしまい罪悪感を感じ後悔している事が過去にたくさんあると聞きました。

知人AはSNSをしています。
私は知りませんでしたが、別の方が私に知人AがSNSしているよと紹介してくれました。
見てみると私の印象が悪くなる嘘を何個か書いていました。
怒りが湧きました。そして私は知らないフリをしました。

とある日知人Aがマウントをとりながら曲がった事が嫌いだとか悪口が嫌いだと話し出しました。
じゃあ嘘ついた事ある?と私は犯意を持って試しました。
出来る事なら嘘はつきたくないと濁った返事をしました。
ふーんそうなんだと返しました。
私の心は確実に知人Aを侮蔑し馬鹿にしていました。
そして誰より私が一番ひどいマウントをしていました。

1人になった時に猛烈な自己嫌悪と罪悪感が湧きましたが、すぐに負の執念がやってきてそれを取り払い自分を正しました。
そして頭の隅に見えないようにして存在している『知人Aにも感情があり過去の行いで罪悪感で満たされている事実』を意識すると後悔するのですが、今までされて来た事を思い出すと怒りや悲しみが湧きまた執念で満たされます。
そして後悔と執念のループと思いきや私は執念ばかりです。

執念について理由を考えてみたら自分が一番自己肯定感が無く、自分を低くしてマウントを取ってるからと感情と向き合って出た答えでした。
相手も自分も大切にしたいです。
どうしたら執念を抑える事が出来るのか。
自分の行動の愚かさ、感情の醜さが苦しいです。
こんな自分にお言葉いただけたらと思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正しい間違いはなく、自分はどう関係性を築きたのか。

あまりそう突き詰めると、しんどくなると思うのですよ。
人間は、誰もが 欲.嫉妬の塊です。
それを表に出すか、反対に自分をなんてヤツだと責めるか、対象から離れるか。
皆、コントロールをしながら、愚かさに支配されないようにしているのですよね。

それも経験しないと、自分の愚かさにも気付けないものですね。

あなたの周りで、相性が合わない人がいたら、無理に付き合わず 適度な距離感をね。

また、心に誓っても、言っていることと、やっていることがコロコロ変わる人もいます。(自分もそうなる場合もありますね)
知らせるのも優しさだろうし、そっと離れるのも優しさ。
抑えられないなら、離れたらいいのですよ。

正しい間違いはなく、自分はどう関係性を築きたいのか、なのではないでしょうか。

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