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相変わらず毎日、16年前のの悪行について考えてしまってます。毎日、暇さえあれば考えます。本当に自分が嫌いです。消えてしまいたいくらい。こんなわたしで親にも旦那にも子供にも申し訳なさすぎて。。。今日は考えすぎて子供に笑顔が向けられませんでした。。。なんで私はこんな性格なんでしょう。後悔してもおそいです。ハスノハでも被害者側の方の質問には加害者は何かしらの報い、因果応報があるなど僧侶の方々も回答されてます。報いとはなんでしょうか。むしろ早く罰を受けなければ心が持ちそうにありません。
また、中学一年生の私がいじめてしまった人は小学6年生の時に私に意地悪やいじめをたくさんしてきた人です。他の人にもしてました。その時はとても傷つき学校に行くのも嫌でした。ですが仕返しのように同じことをしてしまいました。本当に最低なことをしましたが、相手はいじめられたことが強く残ってるようで自分がやったことは忘れているようです。だから、周りには私の悪口を言ってるようです。私はとても生活に支障があるくらい反省してますが相手は違うようです。それも悲しいです。地元では私が悪者です。しょうがないですが。
とにかく毎日が辛いです。心のそこから楽しく生きたい。そんなことはもう無理そうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
因果応報でバチが当たるって、あなたが交通事故にあったり大きな病気をしたりすることを想像しているのでしょうか?因果応報とはそのような事をいうのではありません。あなたは今人をいじめたことで思い悩んでいる。いじめた人から悪口を言われている。その状態、まさにそれが因果応報でバチがあたっている状態なのです。あなたがそのように思い悩み、人から悪評を流されていることでもう十分バチを受けていると考えて良いでしょう。あなたはこれからその経験を糧に、もう人に意地悪なことをするのはしないようにし、また、いじめを受けている人に対し救いの手を伸ばすように努力するようにしましょう。その事で良い評判ができ、良い方向での「因果応報」(因果応報とは悪い事ばかりではなく良い事にも使うのです)を受けることができます。
手放す時がきます
拝読させて頂きました。
あなたが自分がした悪業についてどうしても離れられないで執着してしまうお気持ちもよくわかります。人間誰しもそのようにとりとめなくこだわり続けてしまうことはあるものです。
とはいえその執着心はきっと永遠には続きません、先のことはわかりませんけれどもいつの日かいつの間にかあなたの心の中で一区切りできる時がきますし、何かのきっかけで心にストンと合点がいく時もありますし、そぎ落とされて素直に本質に向き合うこともできる状況になるかとも思います。
その時にはあれは何だったのだろうと思うかもしれません。おそらく機は熟していないのかもしれません。
ですからいつかそんな時が来るさ、と思ってみることも一つの考え方だと思います。
その執着を捨て去ることができるのはあなた自身ですからね。自分を追いつめることはありません、二重に苦しむことではありません。
見方や向き合い方を変えていけばいいのです。
いつかきっとそのような見方ができてあなた自らの手でその執着を手放すことができるでしょうからね。
あなたが皆さんと一緒に素直に仲良く幸せに生きていかれます様にと心より祈っておりますね。