最後の希望をなくした時
ざっくりした質問で申し訳ありません。
自分の中で最後の希望がなくなった時、なにを頼りに生きていけばいいのでしょうか?
常に自分の人生手遅れだと思ってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お釈迦様は言いました。
自ら(心と体)を灯火として歩みなさい。
法(道理、法則)を灯火として歩みなさい。
自分の心が何を求めているのか、自分の体は何ができるのか、よく自分を観察すること。
この世の物事や現象には全てそうなるいくつもの原因があります。その道理をよく学び観察すること。
そして自分の心が求めるものを、この世の道理に合う方法で、自分の体を使って手に入れる。
そのような生き方をしてみてはどうでしょうか。
「最後の希望」
こんにちは。あなたには「最後の希望」があるのですね。それは良かった。「自分には何の希望もない」という方すらいるのですから。
ところで、「それが最後なのか否か」は確定なのでしょうか?ある時点で「これが最後の希望だ」と思うことはあるでしょう。しかし、それは「その時点で、そう思った」という制限からは逃れ得ないのです。あなたが、この世のことを知り尽くして「これが最後だ」と見極めたなら…いや、見極めたとしても、「それ以降」の世界が続く限り、「最後」は延長され書き換えられていくのです。
もう1つ、私たちは「他者の願いによって生きている」側面があります。赤ちゃんの時、どんなに自分が「生きたいよう」と泣いたとしても、保護者が「この子に生きていてほしい」と思わなければ、あなたは生き永らえてこなかったはずです。「何を頼りに」の候補は、とても広いのですよ。
何があったか具体的に描いてくだされば、その例に従って考えることもできるでしょうけれど、「ザックリとした問い」には「ザックリとした答え」しか得られないこと自体は、甘んじるよりありません。
質問者からのお礼
三宅様、ご回答ありがとうございました。
自らを灯火として歩く。その灯火が風前の灯火と申しますか、消えかかっております。
しかしながら、自分を信じて世の道理に沿った形で歩んでいくしかなさそうですね。
ありがとうございます。
佐藤様、ご回答ありがとうございます。
具体的には私のプロフィールにも少々記載させていただいた旨と通じるのですが、両親初め、心から自分を委ねられる人がいなくなったということです。
最後の希望が今し方なくなったと思っております。
ありがたいことに友達はおります、両親も健在です。ですが会話はありません。恐らく諦められてるのだろうな、と思っているから。
そんななかずっと誰よりも、親よりも向き合って理解しようとしてくれた人と離れてしまいました。(死別ではございません)
ここ数年の私にとって、唯一生きる希望の人でした。その人を失ってしまってから、どう生きていけばいいのか希望を見出さないのです。
お礼に代えて追加を書かせて頂きました。
ご回答ありがとうございます。