自殺して親を後悔させてやりたい
私は今大学生で、血縁のある母とその再婚相手と暮らしています。
この生活が始まったのは小学校高学年の頃です。
最初はその生活もなんの苦もなく送れていたものの、段々と家での生活がしにくくなっていきました。
それが決定的になったのは中学一年生の夏休みです。家庭科の宿題を手伝って貰おうと思っていたのですが喧嘩をしてしまったので、その宿題は祖母に手伝ってもらおうと思い祖母と一緒に進めていました。宿題が終わり家に帰ると、継父は機嫌が悪く、その理由は「なんで自分の家で宿題ができないんだ」というものでした。その時には既に嫌いという感情はあったものの普通に接することはできている時期でしたが、その日首を締められた事を機に全く話さなくなりました。
3日前、大学の教科書等が家に届き、夕食後にそれを整理しようと思いリビングでテレビを見ながら整理していました。
すると突然、「邪魔。部屋でやれよ」と私が座っている椅子ごと蹴られました。もちろん、教科書の整理以外何もやっていないし、通路を塞いでる訳でもない。整理をする前に何かをした訳でもありません。
母には謝られ、「○○のことが1番だよ」と言われました。
正直、そんなことを言うのだったらさっさと別れて欲しいと思います。それに「結局別れない。私も大事だけど、あっちだって大事。」それって結局1番大事なのは母自身で、何も失いたくないだけなんじゃないかと思ってしまいます。
なんで自分の家で、しかも後から来た人の為に自分がこんなにも神経をすり減らして生きていけなければいけないのかが全く理解できないです。
継父を自分で殺す事も何度も考えました。ただそしたら自分が継父と同じ土俵に立ってしまうし、法律にだって反している。自分を余計に生きにくくしてしまうだけです。
だったら、もう自分が死んで後悔させてやりたいです。母はきっと後悔するでしょうが、継父がどう思うかはわかりません。ただ少なくとも生きにくくはなるだろうと思います。
私の周りの人たちはみんないい人だから余計にそうだと思います。
そんな人たちに多少なりとも迷惑をかけてしまうのは重々承知しています。
でも、もう本当に自殺する以外に楽になれる方法がわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの思いは周囲を悲しませます
こんにちは、初めまして。
様々な思いが交錯しているご様子です。
お辛い思いが文面を通して伝わってきます。
継父さんの数日前の行いは、随分と攻撃的ですね。
小中と過ごしてこられた複雑な胸中に、追い討ちを掛ける様な行いに憤りを感じていることでしょう。無理もありません。
あなたは、その継父さんに対する嫌悪感の一方、お母さんには不条理を感じているようです。継父さんとあなたに対するどっちつかずの態度が、「結局1番大事なのは母自身で、何も失いたくないだけなんじゃないか」というのは真をついていると思います。それは経済的な弱さからくるやむを得ない選択でもあり、父子の関係に失敗させてしまった人の言い訳でもあり、選択できない優柔不断の心の弱さもあるかもしれません。あなたがいらだつのにも、相応の理由があると思います。
かの有名な「ハムレット」を読まれた事はあるでしょうか。
謀殺された実父に替わって、継父が実母と再婚して王位を簒奪します。王子ハムレットは、当然継父にも憎悪をたぎらせますが、あっさりと夫が替わった生活に馴染んで楽しげにしている母親にもやりきれない思いを抱きます。そして独りつぶやきます、「弱き者、汝の名を女」と。
この語は、男性女性に限らず、簡単に思いを変える者への嘆きです。
悲しむべき前夫の死を悲しまず、最も気を掛けるべき子を二の次にした母親へ嘆きです。
ただ、そのハムレットの最期は悲劇でした。
ハムレットは実父の敵である継父を亡き者にします。しかし、その直前に振舞われた酒に毒が入っている(継父が混ぜさせた)ことを見抜き、息子を守る為に母親はあえてその酒をあおり命を終えてしまっていたのでした。
復讐を願った人も、その復讐の対象にされた人も、家族も、恋人(オフィーリア)も、家臣も、友達(ホレイショー)も、国民も全て巻き込んだ悲劇です。これは、「自分が死んで後悔させてやりたい」という自死という方法をとっても、意図せずした範囲を以って周囲の「いい人」を大きく悲しませ、苦しませるべく追い込んでいきましょう。
あなたは、これから社会に巣立っていくその直前にいます。
継父と母親だけではない人間関係の視野をこれからどうぞ広げていってください。
御身お大事に
本当にお辛いですね。
あなたの苦しさが伝わってきました。
今の状況では
すぐには無理でしょうが
家を出る算段をしておいてみては?
一人暮らしすることが
経済的に難しいなら
大学や行政が相談を受けてくれると思います。
死ぬくらいなら
立派になって義父を見返してから
徹底的に無視してやりましょうよ。
拝読させて頂きました。
あなたの怒りや憎しみや悲しみや殺意わかります。あなたがそう思ってしまうこともやむを得ないとも思います。
とはいえあなたのその怒りや憎しみや恨みや殺意はどうか捨てましょう、どうか手放しましょう。そしてあなたの未来に向かっていきましょう。
あなたは必ず親から自立なさって生きていきます。
あなたは本当にかけがえのない人です。あなたの未来や人生をどうか大切になさってください!
怒りや憎しみや恨みや殺意は決してあなたを救いませんし、楽にはなりません。怒りや憎しみや恨みや殺意を手放していけば必ずあなたは豊かに幸せに生きることができます。
あなたの大切な人生を心から祈っております。
大切な心を惑わされたりせず、自分を見失わないで。
初めまして、お早う御座います。
怒りは、自分自身も・・周りにある暖かな場や仕合せな空間を奪い去るだけでなく、自分自身も見失い、周りが見えにくくさせてしまいます。
立ち止まって見ませんか?私たちのこの身体には、沢山の命だけでなく、想いや願い託された想いや、様々な試練を幾度も乗り越えて来た先人達の生き抜いた証なのです。人として生まれてくる確率は宝くじが当たる何百倍もの奇跡が重なり合って、さらに比較的、仕合せな国に生まれて来たのです。
産んでくれなかったら・・私なんかいない方がいい・・と言う悲しい言葉を嘆くよりも、しかめっ面するよりも、過去でもない、訪れていない未来の出来事をふと思って考えるから、それが不安や心配になってしまうのです。その未来でもない、たった一度しかないこの瞬間を生きているのです。この言葉は、震災で失った彼女が、過去絶望の中に歩み続ける私を見返りない愛情で必死に救い出そうとしてくれた言葉です。
人にはそれぞれに与えられた課題があり、そして先人方から引き継いだものを同じく未来に次ぐ役目があるのです。辛く苦しい出来事がある中で、必ずひょっこりと時々、善き事が訪れます。だから、有難いとありがとうに繋がるのです。思うように行かない人生・・それは、私は46歳ですが誰よりも強く体験させて頂きました。一度は絶望に負けてしまって、大切な物を見失い、命を絶った事もあります。蘇生され、怨み憎んで・・神も仏もないんだと思った事もありました。思考や視野を広げて、不平や不満を言っていた人生に気付かされました。見るものも考えも変わり、目の前にあるもの全てが当たり前ではない事、素直に感謝や有り難いと思える様になり、ありがとうと言う言葉が増えて来ました。敵は、先生です。敵から学ぶことも多く、怒りの石をぶつけ続けていたら心が穏やかになる事は出来ません。恨んでも、憎んでも親に変わりありません。育ててくれたから今があります。人生も運命も自分自身もいくらでも変えられます。敵を変えるのでなく、自分が変わるのです。時に、許す勇気も必要です。一気に問題を片付けようとせずに、結果をすぐに求めようとせず、辛い時だからこそ、素敵な笑顔で過ごしませんか?この問題も留まらず動き出します。心切なくなった時ここに来てください。人生と言う冒険旅行をあなたらしく描いて楽しんで歩めますように、祈っております。合掌