ずきんずきん。
ひとりの上司に口いっぱいな事を言ってしまいました。数人の上司が、ひとつのことに対して違う指示をしてくるので、なんだか板挟みになってしまった気持ちに覆われて、言ってしまいました。嫌われてしまったかも。と少し寂しくもなります。でも謝る気持ちはなくて、仕事業務を適切にこなしていけば、いい。という気持ちが強いです。でも心はずきんずきんとします。このずきんずきんとするのはどうしてでしょうか?
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正義の押し売りだったかも。
はじめまして。亀山純史と申します。
正義を押し売りしてしまったと感じているからではないでしょうか。
自分が正しいと思ったことでも、相手もそれを正しいと感じるかどうかは分かりません。また、答えが一つとは限らないことも多いでしょう。そういった中で、自分の考えを相手に強要することは、時として「小さな親切、大きなお世話」ということにもなりかねませんよね。あるいはそうでないにしても、もっと融通性がほしいと感じる場合もあります。そういった感覚をお持ちになったから、心はずきんずきんとしているのではないでしょうか。
では、そのような心からの解放法ですが、「あの時は、一方的に言ってしまいましたが、私の考えは…です。それで進めても宜しいですか。」といった感じに、相手への丁寧な説明と、相手の考えもしっかり聞くことだと思います。
以上が私からの回答です。お役に立てれば幸いです。
質問者からのお礼
亀山様、ありがとうございます。亀山様の回答を読ませて頂き「あ。本当だ。私は、両耳をふさぎ、正義の押し売りをしたから、私の心は ずきんずきんとしたんだ。」と心がかたくなっていた事に気づきました。やわらかい心を持ち、独りよがりにならず相手の考えもきちんと受け入れ、その上で自分の考えを伝えられるよう日々重ねていきたいと思います。本気にありがとうございます。