自分の過ちで心が壊れそうです
先日、交通事故を起こしました。
一時停止が甘く、完全に止まれていなかったのと、「ぶつかる!」と思った時にパニックで足が動かなくなってしまい、ブレーキを踏むのが遅くなってしまいました。
お相手は7箇所も骨折をされて入院してます。コロナの影響で直接謝罪に行けないのですが、手術はなく、ご飯はご自身で食べることができ、スマホも使えるらしいこと、事故直後外見上の怪我や出血はなく、意識ははっきりしててお話ができたことから、お相手のご家族や保険会社は「骨折しやすい箇所じゃないか」と仰ってます。
しかし、私が怪我をさせたことは変わりなく、毎日、後遺症なく五体満足に治りますようにと祈ってます。
警察の聴取や実況見分は当日中に終わり、帰宅を許されたので、今は自宅です。
また、警察から「今まで通り暮らして良い。処分が決定するまでは運転もしていい」と言われ、何日も会社を休めず、出勤してます。
運転はする気になれません。
ご本人やご家族に申し訳がなく、毎日泣いてしまいます。
日常生活が辛いです。
事故のことは上司には報告したのですが、同僚や友人などには話していないので、職場での雑談や趣味の話、「コロナが収まったら旅行しようね」などの連絡が来ます。
お相手の方とご家族が一番辛いのだから、私は些細な楽しみや喜びも感じてはいけない、と思う反面、何も知らない同僚や友人が持ち掛けてくれる話に楽しみやありがたさを感じてしまいます。
こうしてネットを見ることも、お相手の方は入院してるのにと考えると、ネットやテレビを見てもいいのだろうかと思います。
本を読んでも、登場人物たちは私のような馬鹿な加害者ではないから人生を謳歌できるのだと思うと読めなくなってきました。
事故後から食欲がなく、1日1食も食べていません。昨日、数日ぶりにアイスが食べたいと思ったのですが、お相手の方を思うと食べる気力がなくなってしまいました。
反面、自分のことが信じれず、今の自分は無意識に加害者意識に酔ってるのではと不安になります。
加害者なので、ご相談する立場ではないと思うのですが、心が壊れそうです。
心の底から謝罪と反省を繰り返してるのですが、自分の起こしたことは許されることではないです。
日常生活に辛さを感じたり、心が壊れるのが私の罰だと思うのですが、今後どう気持ちを整理させ、どう生きればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様に手を合わせていきませんか。罪は罪のまま救われていく道が
そうですね。。。
いっそのこと、責められて、その分 見てわかる償いができたら、どんなに気持ちがラクになるでしょうね。
事実は消えなくても、軽くなりたい。許されたい。以前のように戻りたい。これが本心ではありませんか。
事故のことは、そのために保険があります。
また、あなたが出来るだけのことをしていかれたらいいと思います。
私は、あなたを責める立場にありません。
なぜなら、人は罪を作ってでしか生きられないからです。気をつけて注意をしていても、完璧なんてそんな保証はどこにもない。自分の行動が、誰かを、何かを、傷つけたり奪うこともある。
そんな自覚に気づかせてくださるのが、仏様です。そして、消えない罪を抱えたままでも、必ず救うよと見捨てずにいてくださる。
そんな仏様と向き合うことで、懺悔する私、許されていく私になれます。
近かったら、お寺へおいで、ゆっくり話そうと言ってあげられるのだけれど。
あなたの近くにも。
仏様に手を合わせていきませんか。
罪は罪のままで。救われていく道がありますよ。
罪を背負った あなたを、それでも大事だと。
おっしゃってくださいますよ。
追記。。。
せめて、仏様の前では、
許す あなたでいても、いいんだよ。
質問者からのお礼
>中田様
こんなどうしようもない私に、お言葉をいただきましてありがとうございます。
中田様のお言葉を読み、自分と向き合ってみたのですが、確かに自分は、以前の自分のように、心から笑ったり、楽しんだりと、日常を謳歌する自分に戻りたいのだと気がつきました。
そういう自分に戻ってもいいのだろうか?
いや、大変なことをしたのだから戻ってはいけない、一生をかけて償い続けるのだ!
と自戒と葛藤をしていたんだと気付かされました。
そして、もし、逆の立場だったら、とも考えました。
私が事故にあって入院している立場だったら、相手に、これから一生、どんな些細なことでも、笑うな楽しむな幸せを感じるなと言えるだろうか、と。
自分に甘いと思われるかもしれませんが、私には言えないと思いました。
心から謝罪をし、諸々の手続きを誠実に対応し、法的な罰を受け、罪を自覚して、背負って、二度と同じ過ちを起こさないと誓ってくれたら、それ以上のことは、私なら言えないと思いました。
もちろん、お相手の方が同じように考えておられるわけじゃないのは承知の上です。
多分、一生恨まれるのだろうと思います。
そうなったら、お相手の気持ちを否定することはできません。
自分の過ちや罪を忘れることは絶対にしません。同じ過ちも繰り返しません。
今も行っておりますが、これからも、お相手の方には誠心誠意、謝罪と償いを行っていきます。
罪を背負って生きることを教えてくださり、ありがとうございました。
こんなことを書いてますが、まだ鬱々としており、正直、「こんな甘い考えて良いのだろうか?」と悩んでおります。
これから、悩みと、謝罪と、反省と、後悔とを繰り返すんだと思います。
お言葉通り、仏様に手を合わせてみます。
近くにお寺がないのですが、近いうちに、どこかお伺いしてみようと思います。
また、機会があれば、中田様のお勤めされているお寺にもお伺いしたいと思いました。
本当にありがとうございます。