どうしたら自分を受け入れられますか?
私は、吹奏楽部に所属しています。中学生の時は強豪校で全国で有名なバンドでした。
練習はとても厳しく夏休みは日が昇る前に登校し日が落ちてから解散するのは当然で太陽の光を浴びることすらなかったです。毎日12時間練習しました。月を見ながら登校したこともあります。
パートと言い、楽器ごとに「○○パート」と分かれて普段練習しています。
私のパートは特に厳しい先輩でした。
先輩も全国にいかなければだという責任を感じていたと思います。
しかし、毎日暴言を吐かれました。じゃま いらない 一緒に練習したくない どっか行って なんで練習くるの?死んで いなくなれば楽なのに 毎日何回も言われ続けました。夏休みの休みは1日半でした。
そのうち私は、なんで生きているんだろうと考えるようになりました。先輩にこんなに迷惑かけてじゃまでしかない自分は生きてて良いのかな?っと思いました。毎日誰かが泣いていました。そのうち、食欲がなくなり自分でもわかるくらい痩せました。泣けなくなりました。
大会の結果は良かったです。一生できないような体験をさせてもらったと思います。
でも、私は部活に行けなくなりました。
先輩は怒るときにはいつも私のためだ言っていたので私が全部悪いと思っていました。今考えるとDVのような状態でした。
自分が嫌いになりました。生きてて良いのかわかりませんでした。心が重くて何をするにも嬉しいや楽しいという感情がなくなりました。人が怖くなりました。前を向いて歩けなくなりました。ほんとに辛かった。ずっとずっと苦しかった。助けてほしかった。
でも仲間が助けてくれました。今では前を向いて歩けるし、もう辛くない。でも人が怖くてたまらないんです。一年以上前のことなのに忘れられないんです。自分を好きになれないんです。たまにあの日々を思い出す時があって怖くなります。もう終わったこと。大丈夫。って思うけど怖い。自分を受け入れられない。
コロナのせいで私なんかよりも辛い人はたくさんいると思います。私なんかが相談して良いのか迷いました。でも時間が経ったから今更誰にも言えず、悩んでいたので相談しました。何かの弾みで先輩に見られたらと思うとすごく怖いけど私はまだ18歳ではないのでQ&Aに書きます。
どうしたら自分のことを好きになれますか?受け入れられますか?もう私はわかんないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せの基準
こんにちは、初めまして。
一生懸命に部活動を頑張って来られた軌跡が、文面から強く伝わってきます。
お悩みでしょう。
私も、地元の市民楽団に所属しております。
社会人から初めた素人程度なので、「全国で有名なバンド」で頑張ってこられたあなたには到底及ばないでしょうが、パートごとの限定された人間関係、雰囲気は何となく分かる気がします。
あなたの文面で登場するパート内の「特に厳しい先輩」は、パートリーダーの先輩という意味で宜しいでしょうか。複数かもしれませんが、文面にあるような暴言を浴びせられてとてもお辛かったでしょう。夏休みも含めて「毎日何回も言われ続け」たら、どんな人でも参ってしまうでしょう。逃げ場がないような閉塞感だったと思います。
そんな中で、「仲間が助けてくれました」というのは良かったですね。全く助けがないと人間やっていけませんが、同級生同士などで共に苦楽を分け合えたのでしょう。不幸中の幸いでした。
ただ、現在でも「人が怖くてたまらない」「あの日々を思い出す時があって怖くなり」「怖い。自分を受け入れられない」という思いが残っているのですね。恐らく、一度壊されてしまった自尊心が回復しないままなのでしょう。
あなたは、未だに「特に厳しい先輩」を基準に自分を考えていませんか。先輩が絶対であなたは常に未熟である、とう図式の中で自分を考えるからこそ、「怖い。自分を受け入れられない」のではないでしょうか。その関係からは、常にあなたは暴言を受ける側であり、否定される側にあり続けます。あなたの基準が、「特に厳しい先輩」である限り、あなたはその縛りから逃れられないでしょう。
こんな悲惨な結論しか出ない基準は、もう捨てませんか。
あなたの基準は、助けてくれた仲間にこそ、自分を大切にしてくれるご両親にこそあります。あなたの自然に笑みが溢れるような関係にこそ、あなたの基準はあるはずです。
音楽は、本来文字通り音を楽しむという素朴なものであると思います。
どうかこれまでの多大な努力を大切にされながら、幸せな音を奏でていって下さい。
ご参考になれば
手放したらどうでしょうか?
ご質問拝読いたしました。
お辛かったですね。
毎日が苦痛だったのでは、
ないですか?
自主的に自ら率先して行い、
人にとりわけ後輩には、
同じことを求めない。
指導するのはいいですが、
どこがどう悪いのか、
個別具体的に指導すべきです。
邪魔や、いらないと
いうのは、個人の感情の吐露、
ストレスの捌け口じゃないですか。
嫌な思い出しか残りませんよ。
全く気にする必要はありませんよ。
人生は楽しむためにあります。
楽しめない、
むしろ不快なものは、
手放せばいいのです。
将来また、始めようかな?
と思える日が来たら、
また再開したらいいと思います。
辛く厳しい経験を、
そのまま受け止めても、
未来に変化はありません。
自己嫌悪だけではないですか?
早朝から夜遅くまで、
厳しい練習に耐えることが、
できたのです。
自分をまずは認めてください。
褒めてください。
私なら3日で止めていますよ。
そして厳しかった時に、
支えてくださった家族や、
友人、周りの方々に、
感謝しましょう。
人生はこれからです。
楽しいこと、
笑顔でいられることを、
探してみませんか?
お幸せをいのっています。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
お坊さんにも楽器をしている方がいるんだとびっくりしました!パートのこととかは経験しないとわからないこともあるのでわかってくれる方がいて嬉しかったです。
「壊れてしまった自尊心」が回復してないことは自分でもわかっていました。でも、もっと辛い人いるのに自分がそんなこと書いて良いのかなと思って書きませんでした。しかし、その考え方こそが「先輩基準」だったなと気づきました。読みながら涙がいっぱいこぼれました。
誰かに言ってほしかったこと、新たに気がついたこと、いっぱいありました。お坊さんはすごく優しい方なんだろうなと思います。私もお坊さんみたいな優しい人になりたいと思いました。
本当にありがとうございます。送ってもらった返事のことを忘れないようにもうすぐ始まる学校も頑張りたいです!
ありがとうございました