hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分が存在する理由が分かりません

回答数回答 3
有り難し有り難し 44

半年前に、子どもが二十歳で自ら命を絶ちました。
『生きづらい』と言って命を絶ちました。

お坊さんは『もうお浄土に行かれたので今は苦しがってはいませんよ』と仰いました。

でも、この世では生きるのが苦しかったのです。

我が子は苦しむために生まれたのでしょうか。
苦しむために生まれたのだと思うと、私は、生んだことを申し訳なく思います。

私がいなかったら子どもは苦しむために生まれなかったと思います。
私が存在する理由が分からなくなりました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きることは苦なのでご安心を。

生きることは苦しみであるという真理を、お釈迦様(2600年前のインドで仏教を開いたブッダ)は発見されました。
夏は暑いのが当たり前。
暑いのが当たり前だと知っていれば、ショックを受けないで、冷静に熱中症対策をするだけ。
人生は苦しいのが当たり前。
苦しいのが当たり前だと知っていれば、ショックを受けずに、死ぬまで生きればよいだけ。
生きとし生けるものは皆、苦しんでいます。
それが「普通なんだ」と気付くことが、仏様の智慧です。
皆が苦しんでいるのだから、あなたが特別悪いわけでもなく、あなたがご自身を責める必要もないのです。
なお、自殺者の9割は「うつ」などを患っていると言う専門家がいます。
「うつ」の症状で自殺願望が出る場合かが多い。
つまり、息子さんは、「病死」かもしれません。脳・神経の体調不良が原因かも。
若くして病気や事故で亡くなる人は、どこの町にでもいるでしょう。
それは自然現象みたいなもの。べつに、親が責任を感じる必要はありません。
大丈夫。あるがまま。お互いさま。
皆が苦しんでいるからお互いさま。あるがままの自分を責めなくてよい。大丈夫、仏様はあなたを許してくださいます。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

仏さまとなられた我が子の導きの中で今日を生きることが出来ます

 林檎さん、おはようございます。苦しい胸の内を聞かせていただきました。子どもさんと別れてまだ半年。心の中にぽっかり穴が開き、何も手につかない毎日ではないかとお察しいたします。子どもの苦しみに想いを寄せ、そして、その苦しみになすすべがなかったご自身を責めておられることでしょう。これまで育ててきた親なればこそ、身が引き裂かれるほどの辛さだと思います。そんな中で、このハスノハに勇気を持って相談を寄せていただき、有り難うございました。
 さて 私もご門徒(=お檀家)さんとの関わりの中で、自死をされた方のご葬儀・ご法事をお勤めすることがあります。タイミングを考慮しながら、2つのことをご法話としてお伝えします。
1.いのちの最後の様子をことさら取り上げて、その人の人生の優劣をつける必要はありません。これまで生きてきた毎日のうれしかったこと、楽しかったこと、教えてもらったことなど一つ一つを思い出して、そのことを遺された者の宝物にして生きてください。
2.浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来は、一切わけへだてをなさらない仏さまです。 生きざまやいのちの最後においても、一切優劣をおつけにならない仏さまです。00さんは、その阿弥陀仏に導かれてお浄土に生まれ、仏さまとなられます。
 ここで大切なのは、「仏さまになられた」ということです。お浄土に生まれておしまいではないのです。仏さまとは、この娑婆世界に還り、遺された者として生きる林檎さんのために、様々な働きを届け、教え導く存在になったということです。林檎さんがこれだけ苦しいのは、子どもさんが大きな存在であったという証ですよね。別れを通して、改めてその存在の大きさに気づいたということです。それは子どもさんだけでなく、林檎さんの存在もこの世において、同じように大きな存在なのです。
 人間は、本来尊いものでも、普段の生活においてはその尊さや有り難さが分からなくなる習性を持っています。この悲しみを通して、本来尊いもの・大切なものの存在の大きさに教えてくれた子どもさんでしたね。
 これからは、ご命日・お盆やお彼岸・ご法事などを通して、お寺さまと一緒にお経をとなえ、ご法話を聞くご縁を重ねてみてください。そして、(仏さまになられた)子どもさんの導きの中で、林檎さん自身が1日1日を大切に生きてください。また、いつでもハスノハに相談を寄せてくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
このお坊さんを応援する

縁も業

全ての生命が、無数に輪廻を繰り返した過去からの業を受け継いで今生きています。
 しかも、今現在も良いことや悪いことをして、新たな業を作っています。
 業は、すべて自分一人のものです。家族でさえも変わってあげられません。
 ところが、自分ではなく、身近な人や物に何かが起きて自分が苦しんだりすることがあります。自分は小さい子どもで、自宅が火事になって全焼、親も兄弟もみんな死んじゃった、とか、ある話です。その場合、自分は元気でぴんぴんしているのに、いろいろな苦しみを感じて、その後も生きにくかったりします。
 世間ではこれを縁と言います。良縁、悪縁。しかしこれも、厳密に見れば業なのです。自分ではないが身近に何か困難が生じて自分に影響が及ぶという業を、自分が持っていたのです。
 苦しむための人生なんて意味がない、ではなくて、この度はこういう苦しみを受ける人生だったという意味があるのです。お子さんにも、あなたにも。
 ですから、生き方にコツが必要です。
 「ああ、私はなんて不幸なんだろう」と生きるのではなく、
 「なるほど、無数の輪廻の中で、今回はこういう苦しみを受けて生きるのか」と、業のしくみをなんとなく知って、苦しみをなるべく減らしながら生きるのです。
 ひどいたとえを出しますが、東南アジアで津波が起こった時、インドネシアなどの他の宗教の国では、家や財産が流された、家族が死んだと人々が嘆いていました。テレビで映りました。仏教国スリランカにも甚大な被害が生じたのですが、日本のテレビが取材したある男性は、「家を作ってるんだ。家も家族も流されたからね」「悲しくないんですか?」「悲しいよ。ま、でも、家を作らないとね」と平然と悲しみを受け止め、その日の仕事を淡々と行っていました。日本のテレビクルーには、なかなか理解できなかったみたいです。泣きわめいてほしかったのでしょう。その方が絵面もよくなるし。
 そういうわけで、自分の行為(業)だけでなく自分に降りかかってくる出来事(縁≒業)がいっぱいあります。事実は事実として受け止めて、なるべく苦しみに悩まないように生きると良いと思います。
 スマナサーラ長老が業についてもいろいろ本を出しておられます。ご参照ください。

{{count}}
有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お礼が大変遅くなり申し訳ありません。
回答を戴いた時は、お坊さんがたのお言葉が理解できませんでした。
理解できなかったためか、自分の苦しみは誰にも分かってもらえないものだし自分で解決しなくちゃいけないものだと思っていました。

今は少しずつ仏教の本を読んでいます。
理解が難しいのですが、ほんの少し仏教の入り口に立たせていただいて、今回のお坊さん方のお言葉を読むと以前よりは分かる気がしてきています。

それでも今も辛く、死にたいと思う気持ちは折に触れやってきます。
高校生の末っ子が社会人になるまでは死なないと決めましたが、決めると益々死にたいと思う気持ちになる波が大きくなってきています。
不思議です。


げんさん様
自死遺族の方への法話を具体的に教えてくださってありがとうございました。
子どもの人生に優劣をつけるつもりはありませんが、幸せな最後ではなかったという思いはまだ拭いきれません。
今はまだ子どもの最後の本当に変わり果てた顔(親でなければ分からない顔)しか思い浮かびませんが、いつか子どもの楽しそうだった顔を思い出せる日がくるのでしょうか。
問いかけになって申し訳ありません。
心のこもったお返事をありがとうございました。
お礼が遅くなって本当に申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。


藤本晃様
業のお話をありがとうございました。
歳を取るほどさまざまな苦しみが出てきます。実感しております。
『今回はこういう苦しみを受けて生きるのかと受け止めて生きていく』。
なかなか難しそうですが、そういう受け止め方があると知れた事はありがたいです。
死ぬ時は『楽しかった~』と言って死にたかったのですが、若い時にはそう思えても歳が上がるに連れてそう思えない事が次から次へと起こります。
具体的な例をいろいろ教えていただいてありがとうございました。
お礼が遅くなって本当に申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。


願誉浄史様
『大丈夫、仏様はあなたを許してくださいます』という言葉は目にする度に泣いてしまいます。
子どもを幸せにしてやれなかった私の器の小ささに悔いしかありませんから。
悔いても今さらどうしようもないのですが。
温かいお言葉に涙が出ますが、世間のほとんどはそう見ません。家族さえも。
そういう状況でもあるがままで生きていけるでしょうか。
仏教の勉強を頭が悪いなりに続けます。
お礼が大変遅くなり本当に申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。

「自分の存在価値・生きる価値とは」問答一覧

自分の役割り

自分は技術部門の統括をやらせていただいてるのですが、人の育成は本当に難しい事ですが、生き甲斐を感じています。 その子がその業界なら何処でも 生きていけるスキルを身に付ける事を 念頭に置いて自分が教えられる事を その子の資質に合わせて伝えています。 しかし、自分自身の事としては今まで大きな成果や結果を出した事が無く、自信という意味では全くありません。 そんな自分が指導する立場にいる事が 時には胸が締め付けられるもどかしさが あります。 自分は表舞台でスポットを浴びる人では なく、 裏方で原石を輝かせるきっかけを作る事が 今は使命だと思いこの1年を過ごしてきました。使命だと思うのは自分の観点であってそれが本当に自分に向いているのかは自分にはわかりません。 しかし、誰かの為に何かをする事が自分の幸せであると心から思います。 家族も夢が叶い、家族が幸せに 生きてる事に幸せを感じます。 その為には自分なりにとてつもない 努力はしてきたつもりです。 年齢も40を過ぎこの仕事も 22年目を迎えてました。 今でもこの仕事が大好きです。 裏方にスポットを浴びせる事は ないのはわかっていても、 裏方ってやはり見えにくい存在で 表舞台に立つ人は無常に物事を 自分達が進めていき裏方に対しての 配慮に欠けたり、蔑ろにされたり する事があり、とても辛くなります。 意図的にされてると思う時もあります。 そんな時に相談できるところがなく、 こちらに相談させていただきました。 この先の人生を考えた時、自分の生き方に 迷いと怖さがあります。 今の環境で自分なりにやり切ったら 自分も次のステージに行きたいのですが 裏方が自分で生きてく為のステージを 見つけるにはどうしたら良いでしようか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

存在意義がほしい、他者を責めるのやめたい

別垢でだいぶ前に相談させてもらいました。その節はありがとうございました 私は現在一人暮らし(家賃生活費は親が出してくれています)で無職そして引きこもりです。 この状況ができているのは、他県の大学在学時になったからと、私が母(厳しい人で、失敗する度辛辣な文句や悪態をぶつけてくる性格。今はだいぶマイルドになりましたが、根っこの部分では変わってません)が怖くて実家暮らしを拒んでいたからです。 それで、一人暮らしの間に独り立ちしようと決意し、地方の福祉サービスを借りながらボランティア、就活に向けたセミナーや実践的な面談、果てにはバイト研修まで色々やってみました バイトには受かったのですが、実際は厳しくきちんと学べてないまま本番を重ねればならない、体力ないから急いでやってももっと早くとより上を求められてしまう、苦手な会話も適度にこなさなくてはいけない。 そんな新しいことで手一杯の中(まだ厳しかった頃の)母からLINEが来て、お前は何年も遊んでばかりで何もしていない!何も成長していない!と怒られ、メンタルが更に病んでしまいました それら全てが辛くて一度休みをとってみたのですが、後日自分への文句を話している先輩を見かけ そして全てから逃げ出すようにバイトを辞めました。 しばらく休んだ後、今度は就労支援施設を利用してコミュニケーションの勉強ができるようにしよう!と通い始めました。 初めは順調だったのですが、今度は朝起きるのが苦手なことがきっかけで、受けたいカリキュラムが受けられない、担当の方も出来る限りたくさんカリキュラム受けてほしいと言われ、そして受けたかったカリキュラム(SST)は実際に受けてみると怖くて会話術とかはやってみると上手く出来ず恥かいたという気持ちで不安でいっぱいでした。 それからは行きたくないなって気持ちでサボることが多くなり 結局1年のほとんどをろくに通えないまま一時停止しました バイトの件就労支援の件で、自立できると思ってたのにどちらもできずその時点で自分はクソだ。生きるに値しないと理解しました 最近は家族に心配するので実家に帰るのですが、その度に私が苦しんでるのはお前(母)のせいというように責めて傷つけてしまいます。 自分はどうでもいいけど、他人を傷つけたいとまでは思わないのです でも口から出る言葉は酷くて 自分はどうしたらいいのでしょうか

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

自分の存在価値

先日、友人新婦の結婚式に参加してきました。 大学時代、ずっと一緒に過ごしてきた仲の良い大切な友人でした。結婚式に出席の際、友人の席には大学時代は私だけ。あとは社会人になってから仲良くなったご友人たちのようでした。新婦らと思い出話で盛り上がるのは社会人になってからの話ばかり。私は疎外感がありました。大学時代の思い出を新婦としましたが、ほとんど、忘れちゃったと。 社会人のお友達との方が凄く楽しそうに最近の思い出話もしていて、私の知らない話に盛りあがっていて疎外感を感じておりました。 素敵なご友人たちで、新婦の友人は、幸せで良かったなぁと思う反面、寂しさも感じました。 特に悲しかったのは、新婦のお母様とお話した時でした。新婦のお母様とは大学の卒業式でお会いしてお話した事がありました。卒業以来の再会で私も嬉しかったのですが、話の中で、「(私が)結婚して数年たつけど、お子さんは?まだ居ないの?数年たってるのに…」と言われてしまいました。 他の出席したお友人は、お子さんが居る方だそうで、「やっぱりね!結婚して数年したらそりゃ、お母さんになるわよね」と会話していて… それから「(社会人になってから住んでる県)に来て、あなた達と娘と友達になってくれてありがとう」と、私らに話した後に、私に気づいて、少し気まずそうに、「大学でもお世話になったものね~」と、慌てたように言われてしまい、悪気は無いとは思いますが勝手に落ち込んでしまいました。 大学卒業後も、時々会って遊んでいたけれど、私と、他のお友達との熱量の違いにショックを感じてしまいました。 友達って、なんでしょうか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

目の手術失敗と自分の価値

今年で30歳になります。 今とても死にたい気持ちでいっぱいです。 家庭環境の影響で大人になって「醜形恐怖症」と「うつ病」と診断されましたが、お金がないと生活できないので、休職せずに頑張りました。 ですが、もともと子どもの頃から「死にたい」という気持ちを持ちながら生きてきたためか、仕事もやりがいを感じず毎日辞めたいです。でも、辞めた所で私には何も取り柄がないと感じ、何も転職できないのではと不安です。今まで自分が楽しいと思うことも見つけられず、やりたいこともありません。 また、子どもの頃から喧嘩の多い家庭環境で育ち、殴られたり泣くことが多かったためか、眼瞼下垂になってしまいました。20歳で手術をし、手術をしてから10年経ちますが、他の手術の症例を見ても、目をとじた時に私のように食い込みが強い人が見つかりません。調べると切開して年数も経っているので、修正も難しいそうです。数年前に結婚した夫におかしくないかきいても「大丈夫だよ」と言ってくれます。他の人にも変だと言われたことはないのですが、今まで変だったのに周りが優しいから言わなかったのかと思い、目を閉じたり伏し目になるのが急に怖くなり、人と顔を合わせるのがつらく、仕事が休みの日はひきこもって泣いています。 死にたいけれど、死んで私のことを大切にしてくれる夫と離れるのもつらいです。でもこのままでは、仕事もできず引きこもり夫の負担になってしまうのではと考え、死んだ方がいいのかもしれないと思ってしまいます。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ