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自分が存在する理由が分かりません

回答数回答 3
有り難し有り難し 44

半年前に、子どもが二十歳で自ら命を絶ちました。
『生きづらい』と言って命を絶ちました。

お坊さんは『もうお浄土に行かれたので今は苦しがってはいませんよ』と仰いました。

でも、この世では生きるのが苦しかったのです。

我が子は苦しむために生まれたのでしょうか。
苦しむために生まれたのだと思うと、私は、生んだことを申し訳なく思います。

私がいなかったら子どもは苦しむために生まれなかったと思います。
私が存在する理由が分からなくなりました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きることは苦なのでご安心を。

生きることは苦しみであるという真理を、お釈迦様(2600年前のインドで仏教を開いたブッダ)は発見されました。
夏は暑いのが当たり前。
暑いのが当たり前だと知っていれば、ショックを受けないで、冷静に熱中症対策をするだけ。
人生は苦しいのが当たり前。
苦しいのが当たり前だと知っていれば、ショックを受けずに、死ぬまで生きればよいだけ。
生きとし生けるものは皆、苦しんでいます。
それが「普通なんだ」と気付くことが、仏様の智慧です。
皆が苦しんでいるのだから、あなたが特別悪いわけでもなく、あなたがご自身を責める必要もないのです。
なお、自殺者の9割は「うつ」などを患っていると言う専門家がいます。
「うつ」の症状で自殺願望が出る場合かが多い。
つまり、息子さんは、「病死」かもしれません。脳・神経の体調不良が原因かも。
若くして病気や事故で亡くなる人は、どこの町にでもいるでしょう。
それは自然現象みたいなもの。べつに、親が責任を感じる必要はありません。
大丈夫。あるがまま。お互いさま。
皆が苦しんでいるからお互いさま。あるがままの自分を責めなくてよい。大丈夫、仏様はあなたを許してくださいます。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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仏さまとなられた我が子の導きの中で今日を生きることが出来ます

 林檎さん、おはようございます。苦しい胸の内を聞かせていただきました。子どもさんと別れてまだ半年。心の中にぽっかり穴が開き、何も手につかない毎日ではないかとお察しいたします。子どもの苦しみに想いを寄せ、そして、その苦しみになすすべがなかったご自身を責めておられることでしょう。これまで育ててきた親なればこそ、身が引き裂かれるほどの辛さだと思います。そんな中で、このハスノハに勇気を持って相談を寄せていただき、有り難うございました。
 さて 私もご門徒(=お檀家)さんとの関わりの中で、自死をされた方のご葬儀・ご法事をお勤めすることがあります。タイミングを考慮しながら、2つのことをご法話としてお伝えします。
1.いのちの最後の様子をことさら取り上げて、その人の人生の優劣をつける必要はありません。これまで生きてきた毎日のうれしかったこと、楽しかったこと、教えてもらったことなど一つ一つを思い出して、そのことを遺された者の宝物にして生きてください。
2.浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来は、一切わけへだてをなさらない仏さまです。 生きざまやいのちの最後においても、一切優劣をおつけにならない仏さまです。00さんは、その阿弥陀仏に導かれてお浄土に生まれ、仏さまとなられます。
 ここで大切なのは、「仏さまになられた」ということです。お浄土に生まれておしまいではないのです。仏さまとは、この娑婆世界に還り、遺された者として生きる林檎さんのために、様々な働きを届け、教え導く存在になったということです。林檎さんがこれだけ苦しいのは、子どもさんが大きな存在であったという証ですよね。別れを通して、改めてその存在の大きさに気づいたということです。それは子どもさんだけでなく、林檎さんの存在もこの世において、同じように大きな存在なのです。
 人間は、本来尊いものでも、普段の生活においてはその尊さや有り難さが分からなくなる習性を持っています。この悲しみを通して、本来尊いもの・大切なものの存在の大きさに教えてくれた子どもさんでしたね。
 これからは、ご命日・お盆やお彼岸・ご法事などを通して、お寺さまと一緒にお経をとなえ、ご法話を聞くご縁を重ねてみてください。そして、(仏さまになられた)子どもさんの導きの中で、林檎さん自身が1日1日を大切に生きてください。また、いつでもハスノハに相談を寄せてくださいね。

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おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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縁も業

全ての生命が、無数に輪廻を繰り返した過去からの業を受け継いで今生きています。
 しかも、今現在も良いことや悪いことをして、新たな業を作っています。
 業は、すべて自分一人のものです。家族でさえも変わってあげられません。
 ところが、自分ではなく、身近な人や物に何かが起きて自分が苦しんだりすることがあります。自分は小さい子どもで、自宅が火事になって全焼、親も兄弟もみんな死んじゃった、とか、ある話です。その場合、自分は元気でぴんぴんしているのに、いろいろな苦しみを感じて、その後も生きにくかったりします。
 世間ではこれを縁と言います。良縁、悪縁。しかしこれも、厳密に見れば業なのです。自分ではないが身近に何か困難が生じて自分に影響が及ぶという業を、自分が持っていたのです。
 苦しむための人生なんて意味がない、ではなくて、この度はこういう苦しみを受ける人生だったという意味があるのです。お子さんにも、あなたにも。
 ですから、生き方にコツが必要です。
 「ああ、私はなんて不幸なんだろう」と生きるのではなく、
 「なるほど、無数の輪廻の中で、今回はこういう苦しみを受けて生きるのか」と、業のしくみをなんとなく知って、苦しみをなるべく減らしながら生きるのです。
 ひどいたとえを出しますが、東南アジアで津波が起こった時、インドネシアなどの他の宗教の国では、家や財産が流された、家族が死んだと人々が嘆いていました。テレビで映りました。仏教国スリランカにも甚大な被害が生じたのですが、日本のテレビが取材したある男性は、「家を作ってるんだ。家も家族も流されたからね」「悲しくないんですか?」「悲しいよ。ま、でも、家を作らないとね」と平然と悲しみを受け止め、その日の仕事を淡々と行っていました。日本のテレビクルーには、なかなか理解できなかったみたいです。泣きわめいてほしかったのでしょう。その方が絵面もよくなるし。
 そういうわけで、自分の行為(業)だけでなく自分に降りかかってくる出来事(縁≒業)がいっぱいあります。事実は事実として受け止めて、なるべく苦しみに悩まないように生きると良いと思います。
 スマナサーラ長老が業についてもいろいろ本を出しておられます。ご参照ください。

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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

お礼が大変遅くなり申し訳ありません。
回答を戴いた時は、お坊さんがたのお言葉が理解できませんでした。
理解できなかったためか、自分の苦しみは誰にも分かってもらえないものだし自分で解決しなくちゃいけないものだと思っていました。

今は少しずつ仏教の本を読んでいます。
理解が難しいのですが、ほんの少し仏教の入り口に立たせていただいて、今回のお坊さん方のお言葉を読むと以前よりは分かる気がしてきています。

それでも今も辛く、死にたいと思う気持ちは折に触れやってきます。
高校生の末っ子が社会人になるまでは死なないと決めましたが、決めると益々死にたいと思う気持ちになる波が大きくなってきています。
不思議です。


げんさん様
自死遺族の方への法話を具体的に教えてくださってありがとうございました。
子どもの人生に優劣をつけるつもりはありませんが、幸せな最後ではなかったという思いはまだ拭いきれません。
今はまだ子どもの最後の本当に変わり果てた顔(親でなければ分からない顔)しか思い浮かびませんが、いつか子どもの楽しそうだった顔を思い出せる日がくるのでしょうか。
問いかけになって申し訳ありません。
心のこもったお返事をありがとうございました。
お礼が遅くなって本当に申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。


藤本晃様
業のお話をありがとうございました。
歳を取るほどさまざまな苦しみが出てきます。実感しております。
『今回はこういう苦しみを受けて生きるのかと受け止めて生きていく』。
なかなか難しそうですが、そういう受け止め方があると知れた事はありがたいです。
死ぬ時は『楽しかった~』と言って死にたかったのですが、若い時にはそう思えても歳が上がるに連れてそう思えない事が次から次へと起こります。
具体的な例をいろいろ教えていただいてありがとうございました。
お礼が遅くなって本当に申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。


願誉浄史様
『大丈夫、仏様はあなたを許してくださいます』という言葉は目にする度に泣いてしまいます。
子どもを幸せにしてやれなかった私の器の小ささに悔いしかありませんから。
悔いても今さらどうしようもないのですが。
温かいお言葉に涙が出ますが、世間のほとんどはそう見ません。家族さえも。
そういう状況でもあるがままで生きていけるでしょうか。
仏教の勉強を頭が悪いなりに続けます。
お礼が大変遅くなり本当に申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。

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