自殺するくらいなら親を頼るべきでしょうか
いろいろと疲れてしまって、死にたいと思うことが増えました。痛いのは嫌なので実際に自殺しようとしたことはありませんが、生きることが楽しいとは思えません。これから生きるために働いていくのもしんどいです。
でも今の悩みは、このような匿名のところでしか吐き出せません。誰もわかってくれないと思うし、私が一番悪いと思っているので。というか友達も全然いないので、そもそも話せる人もいません。そういう孤独感も死にたいと思う原因の一つだと思います。
なんとなく自分でもわかっています。死ぬ死ぬ詐欺を続けているのは、結局かまってほしいからなんだと思います。誰かに助けてほしい。でも相談したってお前が悪いって叱咤されるだけだと思ってます。この葛藤です。あと、死ぬことで家族に迷惑もかけたくありません。
いっそ死にたいと思うくらいなら、プライドを捨てて親に泣きつくべきなのかとも思いました。でも本当に親には迷惑をかけたくありませんし、すでに昔、借金や自分の嘘などで親に迷惑をかけているので、もうこれ以上の迷惑と嘘を重ねるなんて親には申し訳なさしかありません。私が死にたいといえば親は悲しむでしょうし、今の状況を知って幻滅されるような気もして怖いです。親にも拒否されるかもしれません(まあそうなったら素直に死ねるのかもしれないですが…)
30代になって、死にたい、助けて、と親に泣きつくなんて恥ずかしいですよね。そういう気持ちがあってもう誰にも頼れません。このまま心を無にして死ねるタイミングがくるまで生きてるしかないんでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頼ることは恥ずかしいことでは、ありません
もし突然この世から去ってしまったら、家族は驚きます。辛いです。悲しいです。「何で、相談してくれなかったの?」と言いたくなります。
こういう比べ方は良くないですが、頼ってもらう方がずうっといいですよ。
心も身体も不調な時はあります。きちんとしなきゃ、きちんとしたいと思っても、思うようにいかないことはありますよ。家族だって、わかってくれますよ。
もしかしたら御家族が「しっかりして欲しい。」と口にする時があるかもしれません。でもね、それは本当に心配してくれるからです。心配していない人には、何も言いません。マザーテレサが「愛の反対語は、無視です。」と言ったそうですが、声をかけるのは、まいさんへの「愛」があるからです。まいさんのことを思うからです。
hasunohaにご相談いただいたのは、自分を少しでもいい方に動かしたいと思ったからだと思います。生きるのがしんどいと思っても、何とか生きてみようという前向きな気持ちが動いたからだと思います。まいさんには、「生きる力」があるんだと思います。
とは言っても、急には現状を変えられないかもしれません。でも、何か出来ることはあると思います。大きなことではなくて構いません。日常の中で、何かこれは自分の力でやっていこう、自分の力でこれだけのことは出来た。そういう形で、何か一歩踏み出してみたら、いかがでしょうか?
心の方の専門家である心療内科やカウンセラーには行かれたとは思います。でも、経過報告を兼ねて、また行ってみては如何でしょうか?また、最近はセカンドオピニオンと言って、違う医師の診断を仰ぐことも多いようですね。他の医師やカウンセラーさんがちょっと違う角度から、まいさんの悩みに対応してくれるかもしれません。
以上のようにちょっと一歩踏み出してみてください。迷うことがありましたら、またhasunohaにお越しください。お待ちしております。
必ず活路は見出すことができます
拝読させて頂きました。
あなたが今死んでしまいたいほどに辛く苦しい思いをなさっていることを親や周りの人達にもお話しなさってみてもいいかと思います。またこの場所でもあなたの状況やお気持ちをお話しなさってみて下さいね。
あなたの中で抱え込まずにいろんな方々に相談してみましょう。
今すぐ状況が変わるわけではないかとは思いますが、いろんな方々からのアドバイスやコメントを頂きながら必ず道はあると思います。
少し見方を変えてみるだけでも生き方やものごとの捉え方や価値観も変わるものです。
そして何よりあなた自身が何が大切なことかを見直すきっかけにもなってきます。
辛く苦しい時に同じ壁にぶつかっていっても跳ね返されるばかりです。別の角度から向き合ってみるとまた変わってくるものです。
あわてずにあなたの気持ちをおっしゃてみて下さいね。
必ず活路は見出すことができますからね。
あなたを心より応援してますね。