また大切な人が…
母方のおばあちゃんが亡くなりました。病院はコロナの影響で面会も出来ず…最後会うこともかなわず、お別れも言えず、逝ってしまいました。
家に帰ってきたおばあちゃんは目を開けませんでした。
電話で聞いた状況は、寝たきりになってしまうけど、元気です。と言っていたのに…急変でした。
今でも不思議な感覚の中に居て、おばあちゃんが生きてる錯覚を感じます。
我に帰って、あ…もういないんだと思い、絶望感とものすごい悲しみが襲ってきます。
母も亡くなり、おばあちゃんも亡くなり…私の大事な人がどんどん居なくなってしまう怖さが…
ただ、ただ悲しいです。何してても悲しくて悲しくて…怖いです。
もう甘えられる人も辛いことがあった時、相談出来る人もいません。
なぜ私から大切な人たちを奪っていくのか…
まだしたいこともしてあげたいことも、話したいことも、教えて欲しいことも、まだまだたくさんあって…
でももう出来ない…
このやり場のない気持ちが、日常が辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一緒にお念仏を。祖母さまに感謝とお約束を。また必ず遇おうねと
そうですか。。。会いたいのに会えなくて、いつかまたと思っている間に、亡くなってしまわれた。
最後の最期まで、言葉を交わし、触れ合い、感謝を伝えたかったですね。
あなたにとって、大切な人、支えの人だったのですね。
こんな状況下とはいえ、何も出来ないまま、お別れなんて、悲しく申し訳なさでいっぱいですよね。
甘えたり、相談できる人だったのね。
あたたかく、優しい祖母さまだったのでしょうね。
お母さま、祖母さまは、どこにいらっしゃるかわかりますか。
亡くなって、消えてしまわれたわけではありません。
仏教の教えでは、仏様の世界に、お浄土へと生まれて往ってくださっています。
それが、お浄土の仏様(阿弥陀如来)のお救いですからね。
願えば、あなたも、またそこで、会えるのですよ。みんなそうやって、生きとし生けるものは、阿弥陀さまのお救いの中にある いのち なのですから。
今の悲しさも、阿弥陀さまが、必ず会わせてあげるよと、あなたを喚んでくださっていますよ。
なもあみだぶつとお念仏なさってください。
必ず遇せるという、阿弥陀さまのお救いの言葉です。
私もね、大切な方をそばに感じて、見ていてねと想い、甘えながら、阿弥陀さまに伝えています。その想いを届けてくださるから。
今は、阿弥陀さまに支えられる毎日です。
お念仏は、あたたかいですよ。
亡き人と繋いでくださる、阿弥陀さまのお救いだからね。
一緒にお念仏しましょう。
祖母さまに、感謝とお約束を。
また必ず遇おうねと。
お仏壇は、ありますか。
仏様に手を合わせる毎日を。
毎日、遇っているのですよ。
あなたのそばに。
質問者からのお礼
先日四十九日を終えました。まだ実感さえ沸かなくて、ひょこっといつもみたいに出てくるんじゃないかと思うぐらい…
悲しみは消えませんね。
でもいつか会える日まで残された者がしっかり手を合わせていかなくてはいけないと思います。
ありがとうございました。