読経をすること
はじめまして。毎日夜に読経をしています。
すること自体は落ち着きますし、ありがたいのですが、基本的に怠け者なのでやりたくない時も出てきます。
出家された方は朝に夕に祈念されているわけで、この程度の事で音を上げていて申し訳ないのですが、「こんなことをしていて何になるのかなあ」という迷いや、「やらないと良くない事が起きるのでは」というような妙な不安、一日さぼると二日三日とどうでもよくなってくる心が出ます。
どのようにしたら薄くなるのでしょうか?
なまけ心があること
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意味を知ることで、さらに深まります。
読経は、ノルマでもなく義務でもなく、まして強制されて行うものでもありません。
楽しいから、嬉しいから、感謝するから、そして辛いから、様々な心の動きに反応して読ませて頂きます。
でも、毎回、心の状況は同じではありません。どんどんと読んでいくうちに楽しくなる時、そうでない時もあります。
yoshimiさんの言われる「こんなことをしていて何になるのかなあ」という迷いや、「やらないと良くない事が起きるのでは」
という考え方は、返って辛くなるだけです。
又、お経の意味を学ぶことも大切です。初めは読めることが楽しいですが、やはり意味を知ってこそ、お経の価値があるのです。
ぜひ、学んでください。
朝の挨拶
ご質問拝読しました。
お経を唱える理由ですか。
わかりません。
お経を上げる理由を
考えるから悩む
のだと思います。
いまは浄土真宗ですが、
5歳の頃から修験道、
神仏習合ですね。
祝詞を唱え、
印を結び真言を唱え、
お経を唱える。
行者さまから、
お不動さまのお厨子、
平仮名付きの薄い教本、
をいただき、
御伝授され、
両親からは、
お前は選ばれたんだから、
やらないとダメだと言われ、
意味なんか全くわかりませんよ。
漢字もわかりません。
小学校1年生ですから。
意味はずーと分からなかった
ですよ。
興味もありませんでした。
やらないと怒られる、
バチが当たる、
大変なことになる、
良いことは?
と聞くと、
超能力が身につくと。
どんな超能力?
と聞くと、
わからない。
わかるわけがないだろう!
だから超能力なのだと。
といまから考えると、
無茶苦茶な答えでした。
実際、
私が3歳のころ、
マッチで遊んでいて、
ボヤを出しました。
翌年は、
道路に飛び出して、
車に轢かれました。
2年続けて、
命拾いしたことがあり、
両親も否応なく、
信じていましたね。
3年くらいで、
祝詞と不動真言、光明真言、
5年で、
般若心経、
8年で、
観音経偈、
でしたかね。
意味もわかりませんが、
暗譜で唱えられるように
なりました。
もちろん意味はわかりません。
祝詞は日本語なので
中学生くらいでなんとなく、
真言やお経は、
二十歳過ぎですね。
ああ、そういう意味なんだと。
超能力?
そんなものは
全く身についていませんよ。
あるのかないのかも、
わかりません。
しかし、
継続こそ力なり!
半世紀以上、
お勤めを続けたことは、
愚僧唯一の自信です。
客観評価なぞ入りません。
私がどう考えるかです。
自己評価ですから、
自分で勝手に評価する。
これは愚僧の生き様です。
あなたはあなたで
どう考えるか、
どう行動するかです。
ご活躍を祈念します。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
花山様の小さい頃からのお話は貴重なお話でとても心に響きました。実践は言葉に力を与えると改めて感じます。
鈴木様もご回答ありがとうございました。学びます。