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職場のコミュニケーションの悩み

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初めて相談させていただきます。

今の職場に勤めてから、当初は楽しく働けていたのですが、人事異動などに伴い、仲が良かった同僚がどんどんいなくなりました。

代わりに、言い方がキツい女性と関わる機会が増え、今年に入ってから2回トラブルが起きています。

そして今回、また別な方と3回目のトラブルを起こしてしまいました。
ここまでくると、自分の性格や言葉遣いに問題があるのかと悩んでおります。
いずれも、ほんの些細な一言を発端に、かなりキツいことを言われたり、大事になってしまっています。私自身はイラッとすることがあっても、怒らないように気をつけていることもあり、なぜ職場でそこまで感情をストレートにぶつけてくるのか、正直なところ理解できていません。
現実はどうか分かりませんが、今回のようなトラブルを起こしているのは自分だけのような気がしていて、周りから問題のある人間と思われているのではないか、今後仕事がやりづらくなるのではないかなど、不安を感じています。そして、またそういうことを起こしてしまうのではないかと考えると、心配で何度も涙が溢れてきます。

家族や友人、前述の通り仲の良かった同僚とはうまくコミュニケーションが取れているので、常識的な範囲での言葉遣いをしていると思っていました。

月曜日から会社に行くのが憂鬱で、ずっとこのことを考えてしまっています。
今後どうしていけばいいのか、心が軽くなるようなお言葉を頂戴できればと思います。たくさんの質問がある中で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

トラブルありきと心得ましょう

りんこさん。トラブル続きで、自分に原因があるのかとお悩みなのですね。
お力になればとお話させていただきます。
生まれも育ちも違う者同士が同じ場所に会し、シビアなミッションに取り組んでいるような環境が職場です。価値観の違いや意識の高さで人間関係に摩擦が生じることは、ある意味当然であるともいえます。だからと言って野放しでは人間関係が悪化し、職場の生産性にも大きな影響を及ぼしてしまうことになります。このことはりんこさんのみならず、職場や企業にとって大きな損失なのですね。また、職場における人間関係のトラブルというのは、知らないところで頻発しているものなのです。つまり、りんこさん周辺だけではないのです。実は、チームワークや人間関係の風通しの良さとは、個人の裁量によるものではなく職場の組織的な取り組みや対策が機能していないと実現できません。極論を言いますと、「職場における」人間関係のトラブルは職場の管理者の責任に帰結します。
そうはいっても、りんこさん自身がただいま悩まれているわけですから、現状を打破すべくできることには手を打っていきたいですよね。そのうえで、りんこさん自身が自分に原因があるのか、と自分自身に目を向けられていることが素晴らしいと思います。コントロールできない他人を変えること自体時間の無駄ですので、コントロールできる自分の「行動」を見直してみましょう。ここでは自分の気持ちまでコントロールする必要はありません。例えば腹が立って「畜生!」と心の中で思ってもそれはそれで良いのです。そのためには、思ったらすぐに行動しないことが重要です。行動にその気持ちを反映させない様にコントロールする事が大切なのです。そのように自分を客観的にとらえることを続けていくと、りんこさんの中にも何かしらの変化が起きるのではないかと思います。
最後になりますが、どの職場の人間関係においても重要なのは「挨拶」です。自分に対して気持ちの良い挨拶をしてくれる人をなかなか敵と感じることは出来ませんものね。
私自身職場の管理者でもありますので、この相談を職場のスタッフからの相談と心してお答えさせていただきました。

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#浄土真宗本願寺派寺院住職#社会福祉法人理事長#島根県
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ほんの些細な一言に

 こんばんは。具体的なシーンとして書かれていないので、抽象的なお答えですみません。
 仏教で、物事は「明るく・正しく・仲良く」を心がけた行為が良いと言われています。この中で一番難しいのは、実は「明るく」であろうと思います。
 「正しく」というのは嘘や勘違いを除く訳ですから、比較的に客観的に判断でき、周りの人も理解しやすいでしょう。「仲良く」というのも「相手を悪し様に言わない」ということですから、意識しやすいと思います。
 つまり、あなたのいう「ほんの些細な」というのが相手にとって「グサッと来る一言」だったのではないかと思いますよ。「明るく」という「言い方」の部分でひっかかっているのではないかと。
 もちろん、相手の方が「私が女王よ、私がルールよ」という時代錯誤な感覚を持っているのかも知れません。しかし社会生活を営む上では、「相手がどんな感覚を持っているのか」は知っているべき事柄ではないでしょうか。
 「私にとってはほんの些細な一言が、相手にはガーンと響いちゃうのね」ということを心得つつ、今後は接していくことをお勧めします。もちろん、「あの人は非道い」という集団訴訟を起こす手もありますけれどね。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

西原様 佐藤様
ご回答いただき、ありがとうございました!

>西原様
「職場における人間関係のトラブルというのは、知らないところで頻発しているものなのです」と書いてくださりましたが、確かに冷静になってみると、他の方も同じようなことがあったと言っていたのを思い出しました。今回、色々悩んでいましたが特に「自分だけなのでは?」と思い込んでいたことが辛さの一つだったので、その思い込みを正していただけて心が軽くなりました。ありがとうございました!

>佐藤様
「相手がどんな感覚を持っているかを知る」おっしゃる通りとても大切なことだと思います。今後はこの観点を持って、他人と接します。ありがとうございました!

「コミュニケーションの悩み」問答一覧

伝えるのが真心か、伝えないのが賢さか

怪我をしてしまい、治療院へ約2ヶ月ほど前からお世話になりました。 その院は門前の仲見世通りにあり、初夏に新しくできたばかりでした。 怪我した当初は、適切な処置で仕事を休むことなく大変良かったのですが… 一向に治療が終わる気配もなく、次、また次の予約で、施術や接遇マナーについても少々気になる点はありました。 例えば、相手に接している間に業務連絡や他の患者さんの所へ行くなど、その場を離れる時は必ず手を離す前にひと声かける、一連の動作の中で、なでる、トントンとたたくなど、患者の心身の緊張を緩めるための手の置き方があるのですが、元々痛めた部分を拳で普通に叩いて響いたり、単純に重くのしかかるだけの雑に感じられる置き方、などの違和感です。 治療学を学びに学会へ参加したり、手技を生業としていた自分の中で経験者として備わった常識との隔たりに、日に日に不信が膨らみました。 ある日、施術中に「今度、ハロウィンの仮装をするんです」と他の患者さんへ話す声が耳に入りました。 怪我直後は応急処置に助けられた反面、ずっと長々通ううちに質が薄れていき、施術や接遇マナーに疑問が生じていた矢先でしたので ハロウィンの仮装をした治療家に、お預けするのは気が進まず、理由は伏せて「卒業」を告げてきました。 大変残念そうな感じでしたが、寺院や大きな神社のある門前町の仲見世に院を構え「地域の人々に貢献する」という建前と、施術の質が伴わないこと、治療行為と仮装(仕事と遊びをごちゃまぜにする)が受け入れ難かったこと 真心が手から伝わらなかったこと それらを伝えずに去ったこと、それで良かったのか、時々心に浮かびます。 年代は20代前半の方ばかりで、患者さんを集める能力や、予約に繋げるノウハウがあることはわかります。 ただ、肝心の施術の質が…(あくまで私の感覚ですが) 繁忙してくると何か大切なものを忘れてしまう…、応答もマニュアルがあることが察せられますし、一生懸命なのはわかりますが 驕れる者は久しからずに思えてなりません。 (クリスマスケーキを売るために、商売人がサンタの格好をするのはわかるのです) プロフィールにも書いた通り、志もあるので、今回のことは学びに繋げたいと思います。 下手にクレーマーになるよりは、それで賢明な選択だった、大人になった、そうけじめをつけたいです。

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師弟関係でいつも同じような壁にぶち当たる

お世話になっております。 自分自身と習い事の先生との関係が昔から同じパターンを繰り返しており、少し苦しくなってきたので相談させていただきます。 私は4月から大学で教えるようになり、自分の未熟さ、ダメさを思い知らされると同時に、先生といえども完璧な人などいないし、皆、弱さを隠して生きてるんだな、だから誰に対しても完璧を求めるのはやめよう、と思えるようになりました。 私自身は、これまでピアノの個人レッスンで、芸術的には尊敬できるけどすごく癖の強い、モラハラとも言える先生に師事したことがあり、そのモラハラが嫌になってやめてしまったことがあります。ピアノそのものの技術的なことをほとんど教えてもらえず、人生教訓的な話や、愚痴や、私に対する否定発言が増え、辛くなってしまったからです。 そして今は、ピアノではないのですが、あるスクールに生徒として通ってます。その先生が、普段はすごく優しくてピュアな心の人で、レッスンも楽しいのですが、時々、私の性格や生き方をバッサリと否定する発言をしてくるようになりました。といっても、根拠なく言ってるのではなく、私のレッスンでの取り組みや発言から、私の弱さを見抜いているようで、全く的外れではないのですが、お説教のような、やや脅しのような発言が増えています。モラハラとまではいきませんが、なんだか以前のピアノの先生との体験を思い出し、息苦しさや威圧感を感じます。この先生は、教えるべきことはちゃんと教えてくれているので、前のモラハラ先生とは違います。でも似ているところとして、どちらの先生も、実は自分に自信がなく小心者なところ、そして、私が何気なく言ったことや質問に過剰に反応してムッとするところ、私が反論すると気を悪くしてその場からいなくなること、など。つまり、ちっちゃい奴らなんです。どちらも男性なのですが。 私はなぜいつも、ちっちゃい先生を引き当ててしまうのでしょうか。私は確かに質問が多いですが、先生というのは、質問されるのが嫌なのでしょうか。それでも、今の先生にはまだ教えてもらいたいことがたくさんあるので、今去ることは考えられません。完璧な人間などいないとわかってますが、こういう先生と、教わるべきことを教わりながら、どう関わっていけばいいか、ぜひアドバイスをお願いします。

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せっかちな老人

私の仕事場の老人ホームに、認知症ではあるのですが、食事やトイレ、歩行も自分でできる方です。女性です。先日業者による床清掃があり、その方にもちゃんと説明をして、3時まで終わらない事も伝え、それまでは別のフロアーに移る事も伝え、本人もわかったと返事をくださり、一緒にフロアーを移りました。すると1分もしないうちに、まだですか?と尋ねてくるので、同じ事を説明し、待ってもらいましたが、また、まだですか?と尋ねてこられ、今度は少し休みたいと言うので、自分の部屋ではないけれど、誰も使っていない部屋を用意したのですが、自分の部屋じゃないと騒ぎだし、落ち着かなくなったので、1人の職員が老人と一緒にその場を離れ、違う場所に歌ってもらい、そこでもまだですか?横になりたいと、騒ぎだし、職員も手におえないほどになってしまい、1時間早く床掃除も終わり、老人を自分のフロアーにもどし、お茶とおやつを食べていただき、なんとか落ち着いてもらいました。そこへ、私があまりにも1人で騒いでいたのを知っていたので、老人にどうして、静かに待ってもらえなかったのですか?みんな静かに待っていたんですよ、と伝えると、じゃ私が悪かったのねと言うので、思わずうんと言ってしまいました。すると、わかったよと大声を出し私に手を出してきたのです。あなたが1人で騒いだ事によって、1人の職員が、休憩も入らず、ずっと一緒にいてくれたんですよと伝えあまりわがまま言わないで下さいと伝えると、私がわがままなの?と言い、そうだよともつたえました。みんなと一緒に静かに待っていてくれればこんな事にならなかった事も伝え、迷惑をかけた職員に操ってきました。なので、ちゃんと謝ってくれて、ありがとうねと言葉をかけると、あんたはあっちいっててといわれ、私の事をすごい目でにらんでくるのです。その老人はこっちからの話しを理解できない人ではないし、せっかちな所、わがままを言っている事に気がついてほしかったし、少しでもいいので、そういう所を治してほしかったので、ちょっときつめに言ってしまいました。普段は職員に甘えてくるし、他人には嫉妬してくるし、自分の言った事をすぐにやってほしい人なので、なんでもハイハイと聞いてしまった所もあるので、ちょっと甘やかしてしまった所もあり、自分のわがままを全部聞いてもらえると思ってしまったようでせっかち待てないわがまま対処対策願います

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ