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禅宗の座禅の違いについて

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最近、臨済宗と曹洞宗の座禅会に参加させていただきました。
作法の違いはわかりましたが、それ以外に違いはあるのでしょうか?
考え方や目指すところ(?)の違いなどや、こういう人には○○宗が向いているなどもあるのでしょうか?
知識がないため、ざっくりとした質問で失礼いたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

実際はもっと細分化されています

と、こういうことを言うと真理は1つだ!と腹を立てる人が僧俗を問わずいらっしゃるので、ちょっと保身に字数を割かせていただきます。「二儀両懴有りといえども、先仏の護持しまう所、曩祖の伝来したまう所」です。それぞれがそれぞれに正伝の仏法です。

さて、本題ですが曹洞宗の中でも、指導者によって細かい違いがあります。ある人は「呼吸を意識するということはして欲しくない」とおっしゃいますし、ある人は「呼吸に集中して丁寧に丁寧には吐きなさない」とおっしゃいます。左右揺振の時の手は永平寺でも總持寺でも法界定印で教えられますが、駒澤大学のように沢木興道老師の影響が強いところでは膝の上で手のひらを上に向けます。
※永平寺・總持寺もその時期の指導者によって変わることがある

実際のところは「曹洞宗ではこう」という過度の一般化がかえってトラブルを招いていますので、そのつど各指導者に従っていただければ幸いです。実際、自己主張さえしなければ譲ってもよい所だから違うわけですし、もっと言えばその自己主張を捨てるのが坐禅ですしね。

考え方ってどうなのでしょうね?臨済宗は公案禅と聞きますし、その様子は玄侑宗久老師の著書やコミックエッセイの『坊主DAYS』で見て取れますが、それを一般向けの参禅会でなさっているとは耳にしません。実は宗派が違えばほとんど交流が無いのですよ。顔を合わす機会が無いというレベルです。偏見に満ちた梯子禅・純粋禅の論法には染まりたくないので、むしろとっこ様が見聞きなさった違いを教えていただきたいくらいです(笑)

曹洞宗の中でも違いがあるということを再度強調し、臨済宗さんは派が多くありますので、きっと一般化してはいけないのではないかと思いますよとだけ回答させていただきます。

参考までに数少ない臨済宗の回答僧様のお言葉を引用させていただきます。
>臨済宗には14派が存在しますので、各派によって細かく規定あるかもしれませんが、基本的にはお釈迦さんを表す呼称なので、どれも間違えではないです。、、、これも難しい
http://hasunoha.jp/questions/4175

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有り難し
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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

大慈さま、ご回答ありがとうございました。

お礼が遅くなり、大変失礼しました。

正直なところ、難しくてお返事が遅くなってしまいました。

自分なりに禅宗について勉強してみようと思います。

今後は曹洞宗の座禅会に参加させていただく機会が増えそうなのですが、家の近所には臨済宗のお寺のほうが多く……両方に参加させていただくのは、あまり進められないことのでしょうか?

梯子禅にあたるのだろうかと気になりました。

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アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

有り難し有り難し 34
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