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何故お布施の額は寺院により違うのですか?

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よろしくお願い申し上げます。
先日、父親の葬儀を無事終えました。
浄土真宗です。
いくつか疑問に思ったので質問致します。私の勉強不足で失礼な物言いになってしまっていましたら申し訳ありません。

葬儀の打ち合わせをした際、直接お寺さんにお布施をどれくらいにするかをお聞きしました。
お車代1万(片道車で30分)精進落としは辞退(つまりお膳代1万)
法名付けて30万で結構ですよ。
と仰いました。
結構ですよという文言が気になりました。

お布施は阿弥陀仏に捧げるものなので、金額に不満ということではありません。
全国のお寺さんは集めたお布施をどのくらいご自身の生活に使われて、どのくらいを修繕維持費や拡張費、又は広告費や檀家接待費に割り当てているのでしょうか?それはお寺によりまちまちですという回答はお控えください。どうあるべきかを教えてください。

私個人としてはお布施に各寺院による金額差が出ている時点でおかしいと思っています。
例えば30万のうち20万はどこのお寺さんでも阿弥陀仏に必ずこの額のお気持ちを捧げますという意味で本山などへ送金し、残った10万はお経、説法の勤めと維持費に使いますという約束が欲しいのです。

先日では通夜葬儀含め1時間もいらっしゃったかどうか。荼毘に伏す前にお帰りでした。
葬儀社の方もそれが一般的と仰っておりました。一般的ってなんなのでしょう。

葬儀に伴い、初七日を式の日に合わせて行うことが多いそうですが、言い方がわるいですが、いい加減だなあという印象です。
どうしても仕事が外せないとか、遠方で行けないとかということで日にちを改める事を遺族から伝えることは致し方ないことと思いますが、葬儀社やお寺さんがまとめて法要をすることを勧めたりというのは如何なことなのでしょうか?
不勉強ですが私は霊的にちゃんと日を数えることに意味があると思うのですが、大事なことはそこではないのでしょうか。
四十九日がお盆になるということでその日はずらしましょうと言われました。

宗教は眼に見えず、なかなか体験し難く、自分なりの解釈を得るまでむずかしいですね。
私は無宗派ですが、神仏を習慣ではなくて本質的に大事にしたいと思っておりますので、尚更疑問に思っております。システム化して商売っ気を持ち込んで来ているように思えるお寺さんに対し虚しくなります。
皆様どうお考えですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お寺全体について語れる方はいない

自分のお寺のことしか申し上げられませんが、お布施はどこまで行ってもお布施です。ですから金額も任意です。私のところでは葬儀に関連していただくお布施も、昨年ですと、多い方と少ない方では20倍近くの開きがありました。でも全く問題ないと思っています。具体的な使い道ですが、葬儀に関連するお布施は本堂や客殿の修繕費に使っています。そのことはご懇志の受領書にも記載してあります。現在のところ住職はお寺からは、いただいていません。サラリーマン生活が長かったので、生活して行くのに困らない程度年金がありますので、お寺から給料をいただく必要がありません。葬儀後の法要についてですが、初七日~七七日(四十九日)までと百箇日は必ず勤めるようにしています。お参りがない場合は、住職一人で勤めることもあります。法務での収入の主な使い道は、本山・教区・組への賦課金、火災保険地震保険料、水道光熱費の寺院分、電話FAXの通信料、文書伝道費用、本堂などの供花料、参拝者への茶菓代、写経・写仏教室の開催費用、寺子屋コンサート・寺子屋人形劇場などの出演料・交通費、終活セミナーなどの講師料、災害地への復興支援金などですが、細かいものをあげればここに書き切れません。お寺の収入で支出をカバー出来ない時は借入金で何とかします。現に私のお寺も6,000万円を超える借入金がありますが、毎年少しづつ返していますので心配はしていません。これらのことを、お寺全体について語れる方はいないと思われます。

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おきもち

鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て20...
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本来は、お布施の額は施主さまによって違うもの。

おっしゃる通り
お布施は寄付金でありお気持ちですから
お寺側から金額を指定することはしません。

ただ逆に
金額を聞かれることも少なくないですから
その時は平均額(相場)をお伝えすることはあります。

お布施でお寺を護持していくので
その経費から逆算して
ご法事やお葬式のお布施は
これくらいお供えしてほしいという金額は出ます。

檀家さんの件数が違えば
その金額も変わってきますが
同じ地域のお寺同士でお布施に大きな差があっては混乱が生じるので
だいたい同じ相場になってきます。
そこで檀家数の少なくて護持できる額が集まらないお寺は
住職が兼業したりすることになります。

葬式仏教と揶揄されて久しいですが
そのお葬式すらちゃんとしていないお寺が増えているのは
同業ながらとても情けないと思います。
そのようなお寺はお布施される資格もないと思います。
あなたが不愉快になられたのは申し訳ありません。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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他の坊さんに変える。

ご質問拝読いたしました。
何とも答え難い質問
ありがとうございます。
そのお寺とどういう御縁かは、
存じ上げませんが、
私ならこんな寺や坊主、
葬儀社とは付き合いません。
読んでいて、
自分都合は優先しながら、
もらうものはもらう。
誠意を感じられません。

目に見えない、
聞こえない世界だからこそ
ああ、このお坊さんに
頼んでよかったと、
思っていただけるような、
お勤めをしなくてはなりません。
一球入魂、真剣勝負。

お寺を坊さんを変えましょう。

少なくともあなたは
満足されていないのですから。
御往生された方にとっては、
一回だけなんです。

ただ疑問なことがあります。
お布施は財施と言って、
御尊父さまの御供養のために、
天に捧げたものです。
お金を出すという行為が、
天に届いて、
御加護として返ってくる。
坊さんがお経を上げるのは、
法施と言って、
お釈迦さまの代わりに、
教えを広めるのです。

ですから、
お布施と坊さんの供養は
相関関係にはないのです。

天に捧げたものについて、
あなたがとやかく言えば、
御供養にケチをつけたことに、
なるのでやめましょう。
御尊父さまの御供養専一で、
お願いします。

お布施をいただいているのでは、
ありません。
天に代わってお預かり
したにすぎません。
なぜなら天にとって、
この娑婆世界のお金など、
物質などには、
関心がないからです。

適正に使えば、
問題ありませんが、
これを私利私欲に利用すれば、
とんでもないしっぺ返しが来ます。

供養するというのは、
厳しいことなんです。

御尊父さまの御供養、
そして、
御尊父さまのためにも、
笑顔が絶えない、
幸せな人生を歩んでください。

それが何よりの、
御供養です。

御尊父さまが、
極楽浄土で安心できますように。

追伸

回答者に回答の訂正を求めるのはおかしな話です。
前提として私の回答は【誤】であるということになりますよ。
こうした考え方もあるのだと
受け止めていただくだけで十分だと思います。
あたなと議論するつもりはありません。
あとはご自身でご考察ください。
日程も相手のあることです。
調整するのはやむ得ないことです。

 

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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お布施は執着を手放す修行でもある

お布施は執着を手放す修行でもあります。
お布施した物やお金は、もうあなたのものではありません。
お寺がそれをどうするのか等を気にしているのは、お布施になっていないのです。
また、お布施はサービスの対価でもありません。
お経を読んでもらったからとか関係なく、お寺を応援したいという奉仕の気持ちで差し上げるのです。
本来は、お経を唱えたお礼にお布施をしたりもらったりすることも良くないのです。
何かサービスをやってもらったとかサービスしてあげたとかいう執着もなく、ただ単にプレゼントやおもてなしをするのです。
だから金額は、個人個人バラバラで良いのです。
また、檀家さんの数などお寺の事情がさまざまなので、檀家さんが割り勘でお寺を支えると考えた場合、お寺によって必要なお布施額が異なるのは当然だと思いますよ。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ご回答誠にありがとうございます。
りゅうようさん、詳しくありがとうございます。とても素敵な取り組みで羨ましく思いました。
和田隆恩さん、文章から優しさが滲み出ていらっしゃって日頃から寄り添ってらっしゃるのだろうと伝わって参ります。
特に花山雲吉さんのご意見は全くその通りと思いました。ただ訂正して頂きたい箇所ございます。私はこの度のお布施に関して、私の財全て差し上げても良いと思っているのです。阿弥陀仏が俗世の物質に興味がないことも知った上でです。それが供養になるのならどんなことでもしたいのです。皆さま良く文章目を通して頂いていると思いますが、もし読み違えてらっしゃるようでしたら回答文訂正して頂きたいのです。若い年代として今まで宗教との関わりが薄かったものが、俗世的なお金という単位で信心を表さざるを得ないのであればお寺さんに聞くのは当たり前だと思いますし、その私の信心が直接阿弥陀仏へ届いて欲しいと強く思っているのですからお寺さんがどう使われるのか気になるのもまた当然ではないでしょうか。決して難癖をつけようとしているわけではないのです。もちろんこれからも言うつもりはありません。アドバイスありがとうございます。
訂正お願いできますでしょうか。
法要の日程をずらすことについては、本当に仰るとおり一度きりのものですからちゃんとその日に執り行いたいのです。言うなれば自分の誕生日を家族が1週間前に祝うような、そんな違和感です。これについて今日何件かお寺さんに聞いてみたのですが全ての回答で、親戚が集まりやすい日などに変更するのは普通ですよというのです。法要の効果は変わりませんと。私素人からしますと、逆になにを言ってるんだろうと思うのです。
申し訳ないがその日はお盆で忙しいから別のお寺さん紹介するけどどうだろうかと提案されることが筋だと思うのです。

願誉浄史さん、素敵な理想通りの思想で素晴らしいと思います。そのまま修業お続けになって下さい。ただしもう少し現代日本における宗教事情と暮らし方の変化を鑑みなければ淘汰されてしまいますのでもう少し進んだ読解力と共に柔軟な考えを持たれた方がよろしいかと存じます。

花山雲吉さん、誤があるとは全く思っておりません。それどころかあなたの意見に1番賛同しておりました。嫌な気持ちにさせてしまっていましたら申し訳ないことでした。受け止めて大事にしたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ