お経を唱える意味を教えて下さい。
仕事柄毎日お経を聞いています。
色々な宗派のお経がありますが、どれひとつとして意味(内容)が判りません。
お経は誰に対して唱えているものなのでしょうか。
残された人に対してなら、誰一人として意味を理解していないと思います。
故人に対してであれば、個人は意味を理解できているのでしょうか。
毎日聞いているせいか、唱えるのに意味があるのかという不信感が芽生えてきました。
お経を唱える意味を教えて頂ければと存じます。
宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【荘厳】シンボリック
当然、読んでいるお経の文章にも誦文にも<内容>があるわけですが、”お経を唱える”つまり儀式としてのお経には、必ずしもそれをアカデミックに理解する<読解力>が必要なわけではありません。
勤行は【ノンバーバルコミュニケーション】のひとつだといえるでしょう。つまり、言葉以外のコミュニケーションの方法だとお考えいただければ結構です。言語による論述だけでは伝えきれないもの、たとえば感情や感覚などは、音楽や芸術などにメッセージを込めて伝えることができます。仏教がみんなに伝えたいホントのところも、本来は言葉を超えたところにあるものです。ですから、読経する際は、そこに書かれている文章の解釈云々というよりも、まずは心を込めてより丁寧に読み上げることが大切なのです。よって読経という行為そのものが、仏教の真髄を表現し伝達するための舞台装置の一部である、という事がいえると思います。
もちろん宗旨宗派によっては見解が違うんでしょうけど。
本当は意味を理解した方が良い
お経は、お釈迦様の教えを記録したテキストです。
だから、本当は意味を理解した方が良いのです。現代日本人にとって、漢文のままでは意味がわかりにくいですよね。
とはいえ、安易に現代語訳してしまうとニュアンスが変わってしまう場合もあるので、日本人があみだした技が、あえて漢文のままで唱えるという方法。
意味を理解した上で、原文のテキストへのリスペクトを込めてあえて漢文のまま唱えるのです。
ただ、そもそも漢文テキスト自体がサンスクリット語やパーリ語から翻訳されているのですが。。。
とにかく、仏様の教えであるお経をリスペクトし、お経に親しみ、お経を伝承伝達するという行為は、仏教存続に必要な行為です。
また、一定リズムでお経を唱えるのは、瞑想的な効果や、セロトニン神経を整え精神を安定させる効果も期待できると思います。
それと、お経を唱え、仏様をリスペクトしている私自身を仏様やご先祖様に「お供え」「奉納」するという感覚もあります。
「仏様を拝んでいる私」というレアキャラになるための呪文みたいな儀式的な意味もありますね。
あと、単純に気持ち良い、カラオケみたいな感じも。
読経して、お釈迦さまや宗祖の教えを確認するため。
お経や偈文は
普通は漢文古文ですから
読んだだけでは内容は分かりません。
意味を勉強していて
文字を見て読むことで
読経しながら内容も確認できるのです。
また
他者にお経を読み聞かせるために
内容がより伝わるように
節回しやメロディが生まれたのだと思います。
法要法事の儀式作法は
教えの内容を伝えるより
厳かな雰囲気作りを担っているようですが
それも仏教に関心を持ってもらうご縁に
なっているだろうと思います。