亡くなった人はどこにいますか
よろしくお願いします。
母は生前いろいろな苦労をして、私も母に楽な暮らしをさせてあげられず、せめて来世は幸せになってほしいとの願いで日々仏壇に手を合わせています。
ただ、一方で疑問を抱いています。
四十九日で亡くなった方の魂の行先が決まると解釈しています。となると、既に母が誰かに生まれ変わっているのであればもう私の母としての魂はいないのでは?
だとすると、拝んだり母に話し掛けても受取る人はおらず、初盆だとかお盆にご先祖が帰ってくるとかいっても(もうみんな生まれ変わっているなら)帰ってくる人などいないのでは?と思うのです。
そう思うと母が亡くなった時に親戚や知人が私に掛けてくれた、先立った母の兄弟や両親が母を迎えに来てくれてるから大丈夫だよとか、姿は見えなくてもいつでもあなたのそばで守ってくれているよとか、また会えるよとかいう言葉が虚しくなりました。
母が別の誰かとして幸せな新たな人生を踏み出しているなら勿論嬉しいです。ただ、私は誰に、何に、祈ったり笑い掛けたりしているのかと寂しくなる時があります。
勝手な想像で、母の両親兄弟、夫(私の父)らと所謂「あの世」で穏やかに暮らしているイメージを抱いたりしますが、それは四十九日の意味合いと矛盾します。
仏教では、現在母はどのような状態にあるのでしょうか。私の気持ちはもう母には届いていないのでしょうか。
或いは、私が心配を掛けてしまって母が気にして幸せに生まれ変われないなどということはないでしょうか(だとしたら話し掛けたりしない方がいいでしょうか)。
浄土真宗の住職をしている友人がいるので、できれば浄土真宗以外のお教えをお聞きしたいです。
取り留めのない長文で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。お悔やみを申し上げます。
人は亡くなった後49日経つと他の何かに生まれかわる、と言われています。尚、お葬式において、亡くなったお母様はお釈迦様のお弟子様になる儀式をうけましたので、お母様はきっと仏様の世界ご先祖様の世界にてお釈迦様のお弟子様として生まれかわり、先に行った知人や親戚のかたと穏やかな生活を送っているものと思います。お盆には帰ってきておうちでゆっくり過ごすと思います(見えませんけど)。
これからも是非、お母様のお位牌に向かってお話をしてください。あなたの気持ちはきっとお母様のところに届いています。お盆にはお迎えの支度をしてあげてください。きっと喜びますよ。
おっしゃるとおりです
四十九日までの中陰の期間については、子供の姿になっているが微小サイズのため私たちの肉眼では見えない、という説明を読んだことがあります。
ただ、中陰についてはお釈迦様の時代にはなかった考えだと思います。
仏教の教えとしてはあまり重要ではないです。
お釈迦様は、遺族がいつまでも悲しんでいるのをよしとしません。
七日ごとの法要を通して、家族の死を受け入れていければ良いのではないでしょうか。
日本の風習として四十九日の習わしがある、その程度のものです。
極楽浄土に生まれ変わっている場合、極楽浄土の住人は神通力があり、他の世界に自由に出かけることができるので、私たちの声を聞いてくれている可能性はあります。
お盆はただの習慣で、ハロウィンみたいなものです。
ご先祖様が帰ってきているつもりで、家族団欒などを楽しめばそれで充分では。
唯識思想という考え方を採用する場合は、あらゆる生きものの心はアーラヤ識という深層心理みたいな部分でつながっているのかもしれません。
であれば、私たちの善行為の功徳の「種」を、心の奥底の土壌(アーラヤ識)を通じて他の生命とシェアできるのかもしれません。
いずれにせよ、私たちにできることは、亡くなった人が何に生まれ変わっているにせよ、その方の幸せや悟り(成仏)を願うことです。
相手に届いているかは確かめようはないですが、届いていれば良いなと思いながら。
自分に置き換えた場合、自分にも前世の家族やその子孫がいて、どこかで自分の幸せを願っていてくれるかもしれない。
そうやって、お互いがお互いの幸せを願いあっている世界は、優しい世界だと思います。
質問者からのお礼
願誉浄史様
ありがとうございます。母はもう母を知る人の記憶や何かしらの記録の中にしか存在しないのでしょうね。でも生きていればいつか、生まれ変わったかつて母だった命に出会えるかもしれませんね。私には母が唯一の家族でしたので寂しい日々を過ごしていますが、また母に会えるかもしれないと願いながら、母が幸せになってほしいと祈りながら、残りの人生を全うします。
光禪様
ありがとうございます。恐らく私の心情を思い遣ってのご回答、痛み入ります。母は若くして父と死別し、とても仲のよかった兄弟たちとも母が原因で疎遠になったのち兄弟たちが立て続けに亡くなり、寂しい晩年だったと思います。皆さんが母を迎え入れ、許し、また仲良く過ごしてくれているなら嬉しいです。