恨みが消えない、でも良い出会いもあった
かつての上司にやられたことの恨みが消えません。えこひいきされ面白い仕事を回されず、挙げ句トラブルの責任を押しつけられ、最後には希望ではない部署に異動させられてしまいました。
その上司は外面だけよくて、上からの評価はまあまあ悪くはないのです。それが許せず、その上司の職場や、実家、その妻の職場などに嫌がらせ行為をはたらいてしまいました。しかし因果応報なのか、最終的に、その上司は別の不祥事を起こし、閑職に飛ばされました。その点に関してはすっきりしています。
でも、恐らく私が嫌がらせ行為を行ったことは、社内のどこかで噂として広まっているだろうし、また、彼が閑職に追いやられてすっきりした今でも、まだマグマのように怒りがたまっています。
思えば、こうやって過去の恨みにとらわれているのは10代の頃からずっと同じなのです。他人が自分を大切にしてくれなかったとき、その出来事がふとよぎって、仕事に手がつかなくなったり、夜中に眠られなくなったりして、相手への復讐心でいっぱいになり、自分自身が損するにも関わらず攻撃を繰り返してしまうのです。
これからも生きていたら、誰かにぞんざいに扱われたり、ないがしろにされたりすることはしばしばあると思います。そのことに、いちいち恨み、攻撃していては、自分自身が前に進めないことは自分でも分かっています。でも、恨みから抜けられないのです。いつか自分は、人を殺してしまうんじゃないか、という恐怖すら感じます。というか10代の頃、自分はいつ人を殺してもおかしくない、と思っていました。
ちなみに今の上司にはとても恵まれています。自分のことを育てる気もあるし、能力も高く、仕事に対する価値観も近く、思いっきり成長できる千載一遇のチャンスだと思っています。ここで飛躍して、大きくなりたいたいのです。だからこそ、過去にとらわれたくないのです。どうしたらいいでしょうか。
どなたか、私を恨みの地獄から抜け出させてください。
執着
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怨みは誰でも持ってます
拝
怨みは誰しも持つ煩悩です
でも、怨みを持って怨みを晴らせば
その苦しみのサイクルは留まるところを知ることはないでしょうね
人は衝動的生き物です。
その衝動こそが間違えた短絡的行動を呼び
己を地獄に陥れます。
私もいじめられていた時は
本当に相手を殺したいと思いました
何度も拳で空気を殴ったものです
でも、今になって考えてみれば取るに足らない
馬鹿みたいな行為です
同じ様にボボボーボボーボボ…さんが起こした行動が
何の解決にも繋がらずして、
己を貶めるだけだということは
誰が考えてもわかることです。
馬鹿なんですそもそも、
私もあなたもね、そして、その馬鹿さの正体は衝動的であるという事です。
ところが自分が馬鹿だと認識して注意するだけで
仏教的には悟りに近づいていく訳です。
仏教では理性を何より大事にします
今善い上司恵まれている事も
このhasunoha縁があったのも
「善い道を歩きなさい」ということなのではありませんか?
求めれば変われるものです
やってしまった悪い事は
あなたや周囲の人に忘れられればいつか消え去ります
問題過去ではなく、
これから貴方が日々どういう選択をしていくかという事です。
自分だけが人生の主人公なのだから
過去に流されずしっかりとした選択をするべきです。
流されてはいけません。
今は勇気を出して一歩上に上がる時です。
喝
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございました。
衝動的に攻撃することが馬鹿だ、ということ、よく分かりました。しかし、相手が攻撃してくるときでも、反撃はできないのでしょうか。
恨むことには正当性があると思いますし、復讐もすっきりすると思います。