本当は信じ・感謝ているのに
はじめまして。ひろと申します。
私は『生きている』というより『生かされている』と感じる程、神仏やご先祖様に対して心から感謝しております。感謝の気持ちで日々手を合わせております。
しかし、たまに『神仏にお願いしても願いは叶わない』とか神仏をバカにするような事を考えてしまったりして、非常に大きな罪悪感に苛まれ自己嫌悪に陥ってしまいます。
本当に信じ感謝しているのにどうしてこのような気持ちを抱くのか悩んでしまいます。どのように対処をしたら良いのでしょうか。また神仏の皆さまは怒っているのでしょうか。
教えていただければと存じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神仏は遠く拝む対象と考えているから矛盾が起きるのです。
実は、神仏とは自分自身の中にあるので、自分を信じられないのなら、神仏も信じていないことになり、自分を偽っていれば、神仏も疑っていることになります。
神仏は怒りません、罰も当てません。
すてべては自業自得です。
感謝をすることは向上することで、愛の発動でもあります。
こんにちは。
神様仏様は、あなたの心の支えになるものであり、不思議な力で願いをかなえてくれる存在ではありません。ですので『神仏にお願いしても願いは叶わない』で良いと思います。
神様仏様を心の支えとし、願い事に向かって進むことが大切なのだと思います。
宣伝になってしまいますが、下記リンクはhasunohaで連載されている「おぼうさんずラブ」(回答僧紹介)の私の記事です。後ろの方に『神仏にお願いしても願いは叶わなかった』私の話が紹介されています。
https://hasunoha.jp/article/mihotoke/57
質問者からのお礼
光禪様
早々のお返事、ありがとうございます。
確かに神仏は心の支えであり、自力が大切なのだと心に留め置き日々を過ごしていきます。光禪様のサイトも拝見させて頂きました。素敵な閻魔様ですね!
このご縁に感謝いたします。
ありがとうございます。
ひろ
鈴木海祥 様
こんにちは、お返事ありがとうございます。
確かにこの半年は、やることなすことがうまくいかない、スムーズに進まないなど、自分自身を疑っていたことが多々あります。最近は観音経より『念彼観音力』という言葉を心がけております。
神仏は罰をあてない・・・安心しました。温かいお言葉感謝いたします。
ひろ